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世界の形を変えてしまった『天気の子』/あの世界の東京で雨が降り止まない理由

天気の子

<注意>『天気の子』のネタバレ

新海誠監督最新作『天気の子』を鑑賞した。

 

  • 家出少年と晴れ女のラブストーリー

本作は離島から家出した少年が天気を晴れにする事が出来る少女に出会うラブストーリー。映画の世界の東京は常に雨が続いている。そして映画の中盤では雨はかつて無い記録的な豪雨となり東京全体が巨大な雲が包み込む。その豪雨を止めることが出来るのが他でも無い「100%の晴れ女」だった。

 

  • 役割からの解放と生きる意味

しかし彼女が雨を止めるには彼女が人柱となり犠牲にならなければならない。彼女は一度はみんなの為に人柱となる道を選ぶが主人公は「世界の破滅」より「彼女」を救う道を選ぶ。彼女もまた人から必要とされることを願い「晴れ女」の力を使ってきたが、ここで初めて自分のために生きる事を誓う。彼女は「自分が雨を晴れにして人々に笑顔を与える」という役割だと思い込んでいたモノから解放されたのだ。不特定多数の笑顔を求めて苦しんでた彼女はもうそこには居ない。自分を必要としてくれる存在がいるという肯定感が彼女を地上に戻したのだ。

 

 

  • 「世界の形を変えた」と開き直る意味

一方で彼女の自由を代償に東京は雨に包まれて3年の時を経て沈没する。警察に保護されて離島に戻った主人公は高校を卒業して大学進学を機に再び東京の地に訪れる。彼は周りから「世界の形を変えたと思ってるなら傲慢だ」「昔は東京は水の中だった」と聞かされて、彼女にも再会した時にその言葉をかけようか悩む。しかし再び彼女の姿を目にした時、彼は再確認する。自分が「世界」より「彼女」を選んだ事を…

新海誠監督のインタビューを読むと『君の名は。』が批判された事をかなり気にしてたようだ。だからこそ「世界より彼女を選び、それを開き直りにも近い形で肯定する」作品が生まれたのではないかと感じた。

本作ともタイアップしている日清カップヌードルのCMで「アオハルかよ。」とセカイ系をネタにしたモノがある。本作はそのCMをネタ抜きで大真面目に映画化したようなイメージだ。

 

 

  • 雨が降り止まない世界を作った原因は?

物語が進むにつれ2人だけの世界に入っていき、その代償に世界の形を変えてしまう映画。しかし我々も常に自分勝手な選択の連続で少しずつ世界の形を変えてしまっている。果たしてあの世界の東京で雨が降り止まない理由は何だったのか?その理由に目を瞑るなら、彼ら彼女らの選択を非難する権利はないだろう。パンフレットで新海誠監督は以下のように語っている。

今回の作品の柱としていちばん根本にあったのは、この世界自体が狂ってきたという気分そのものでした。

<中略>

ただ、それ(世界情勢や環境問題の変化)を止めなかったのも僕たちです。今の世界は僕たち自身が選択したものでもあります。

<中略>

(この世界の変化に対して大人に責任がある一方で)若い人たちにとっては、今の世界は選択の余地すらなかったものです。

ここから自分は「東京の降り止まない雨」は「大人たちが自分勝手な選択をし続けた結果」のメタファーだったのだと感じた。つまり彼ら彼女らが世界の形を変えてしまう前に世界はとっくに狂っていたのだ。そしてその「積もり積もった我々の責任」を映画内では「彼女1人」が責任を取らせる形となっている。主人公は最終的に世界より彼女を選び、最後はその行為を開き直った。もしかしたらその態度自体は正しくないのかもしれない。でも自分は今、彼のその開き直りは肯定したい。そんな「愛」の映画だったのではないかと思う。

 

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