<注意> 『トイ・ストーリー4』のネタバレ
興行収入100億円突破に向けた大ヒット上映中のディズニー・ピクサー最新作『トイ・ストーリー4』だが、日本国内での評価は割れている。一方で全米の映画批評サイト・ロッテントマトでは批評家支持率97%、観客支持率94%と大絶賛されている。何故日本では『トイ・ストーリー4』の評価が割れるのか?
最初に自分が考えた仮説は「シリーズファンがアンディ視点で鑑賞した」「おもちゃと人間のボーダーがアヤフヤになった」「ウッディがボニーのおもちゃをやめた理由の説得力が足りない」の3つだった。
1つ目は『トイ・ストーリー3』でボニーにウッディを託したアンディの視点で映画を鑑賞したことで、5歳児と理解しながらも「自分の大切にしてたおもちゃをなくされたことに対する怒り」や「4の結末なら大学に持って行けば良かったという後悔」を自分のことのように感じたことで映画に対してネガティブなイメージを抱いてしまった人が多かったという仮説。
2つ目は「ウッディが自分の意思でボニーのおもちゃをやめた」ということは『チャイルド・プレイ』のチャッキーのように子供を殺すおもちゃもいれば、人間の前で「動かない」ことをバカらしく感じるおもちゃもいるだろうし、色々このシリーズで考えない方が良かった危うさを直視させざるを得ない状況になったことがモヤモヤに繋がったという仮説。ウッディがこの選択をするなら『トイ・ストーリー5』では人間に恨みを持ったおもちゃ軍団が人間に復讐するために反乱を起こす計画を立てたり、テレビの生放送やSNSを使って「おもちゃは生きてる」ことを伝えようとするおもちゃが現れるかもしれない。そういう疑問が多く出てくる結末ではあるのだ。
3つ目はボニーはウッディをキャンピングカーに乗せるおもちゃのメンバーに選んだり、フォーキーと一緒に遊んであげたりする描写があることから「ボニーに捨てられた」という絶望感がイマイチ薄いこと。それ故に何となく「ボニーの1番お気に入りのおもちゃにならないから、女の方に行く」ようなラストに見えてしまうことが「ウッディってそんな奴だったの!?」という観客の不満に繋がってるのではないかという仮説だ。
ただこの3つの仮説はどれも「日本だけで賛否両論になっている」という状況の説明には繋がらない気がする。何故ならこの3つの不満ならアメリカ人でも共通のはずだからだ。しかしアメリカでは前述した通り大絶賛されている。ではアメリカと日本でこれだけ評価が異なる理由は何故なのか?
その理由のヒントは多くの日本人が『帰ってきたドラえもん』で感動するところにあるのではないかと感じた。『帰ってきたドラえもん』とは『ドラえもん』の1エピソードで未来に帰ったドラえもんが再びのび太のもとへ帰ってくるというエピソード。勿論ここだけ切り取れば「ドラえもんとのび太が再会できて良かったね」という感動エピソードだ。しかし『帰ってきたドラえもん』の前には『さよならドラえもん』というエピソードがある。そこでは未来に帰ることが決まったドラえもんが「自分がいなくなった後、のび太は一人でやっていけるのか?」という不安を覚える。それに気づいたのび太はドラえもんが安心して未来に帰れるように努力をする。つまりドラえもんとの突然な別れを乗り越えることでのび太が成長した感動エピソードになっている。
ただ連載の都合でドラえもんは次の回の『帰ってきたドラえもん』でのび太のもとへ帰ってくる。そしてのび太は再びドラえもんに泣きつく人間に逆戻り… ただ多くの日本人は「ドラえもんとのび太の日常が戻ってきた」エピソードに感動した。また山崎貴監督によって「ドラ泣き」というキャッチコピーのもと『STAND BY ME ドラえもん』として一本の3DCGアニメとして映画化。多くの人がこの物語に泣いたのだ。
ここで話は『トイ・ストーリー4』に戻る。本作のラストは「ボニーの子供部屋という日常に戻る映画」ではなく、「子供部屋といういつもの日常を飛び出してボーと一緒に新しい世界へ行く映画」だ。
もしかしたら日本はアメリカより「終わりなき日常」を愛する傾向があり、その価値観の差によって『トイ・ストーリー4』の評価が割れているのかもしれない。