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山崎貴監督作品『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』が提示した「ゲームを映画化する意味」

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<注意> 映画『ドラクエ』のネタバレ

山崎貴が総監督・脚本を担当した国民的RPGの3DCGアニメ映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』が提示した「ゲームの映画化」の意味とは…

 

ドラゴンクエスト ? 天空の花嫁

『ユア・ストーリー』は「『ドラクエV』のストーリーの映画化」ではなく、スーファミで少年時代『ドラクエV』を遊んだ青年が、VRでリメイクされた『ドラクエV』でプレーする姿を映画化」した作品。ただこの映画最大の特徴は「主人公がラスボスを倒して全クリした後、つまり映画でいうエンドクレジット直前で『主人公がゴーグルを外して現実世界に戻る』ことでVRだったことが明らかになる」とかではなく、ラスボス戦がウイルスによって乗っ取られることでVRだということが明らかになり、そのウイルスが「大人になれ」と説教してくることで炎上物件となってしまった。

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ただ山崎貴監督としては当然『ドラクエ』ファンを怒らせたかった訳ではなくて、毎日新聞のインタビューを読むと「ゲームと映画は相性が良くない」と当初オファーを断っていたことが分かる。更に「ゲームは体感時間が長くてインタラクティブだけど、映画は一方通行だし尺が限られている。ゲームの映画化でうまくいった試しがないでしょう、と言いました」とも説明しており、ゲームの映画化の難しさを十分理解していたことが伺える。また時事ドットコムのインタビューでは「映画として戦えることが見つからなければ、作る意味がない。単に物語をなぞったり、ゲームの副読本になったりするだけなら、映画にする必要はないと思っていた」と語っていることから、山崎貴監督が「ゲームの映画化は『ゲーム本編のストーリーを映像化する』ことや『ゲームの世界観や設定を借りてオリジナルストーリーを作る』ような受け身でしか楽しめない映画では意味がない」と考えていたことが分かる。ここからはインタビューで具体的に語られていないことだが、おそらく山崎貴監督は「ゲームの映画化とは『ゲームで遊んだという体験』を観客に味わってもらうことだ」という結論に辿り着いて「それぞれの『ドラクエV』との思い出とリンクさせる」脚本になったと考えられる。

 

 

本作公開後ネット上では「山崎貴監督『ドラクエV』未プレイ疑惑」が浮上した。自分は複数のインタビューをチェックしたけど、山崎貴監督が『ドラクエV』について思い出等などを語るような発言は確認できたかった。山崎貴監督は思い入れのある作品はインタビュー等で語る傾向にあるので、「未プレイ」の可能性は十分あり得るのだろう。一方で山崎貴監督は毎日新聞のインタビュー内でドラクエV』のファンの友人など複数に「ドラクエってどこが一番面白かった?どこがショックだった?」と取材をしたという。その取材をもとに「いろんな人たちが共通して挙げることは、大事にしないといけない」という結論に辿り着きシナリオを固めていったという。

だから本作で最大の争点になると公開前に思われていた「ビアンカ・フローラ論争」はフローラ派の気持ちも十分に考慮して「フローラに花を持たせる」オリジナル設定を追加したのだと考えられる。また「じこあんじ」システムも山崎貴監督が取材の結果「ビアンカ派は再プレイする前は毎回『次はフローラを花嫁に選ぼう』と思うけど、結局ビアンカを選んじゃう」という「『ドラクエVあるあるネタ」を「『ドラクエV』ファンのビアンカ派のゲーム体験」の象徴として映画としてパッケージすることで、監督本人としては「リサーチの結果得た『ドラクエV』ファンのツボを最大限抑えた『ゲーム映画』の決定版」を本気で作ったつもりで、ネットで書き込まれているような「片手間」で作ったつもりなどは一切ないというのが本音なのだろう。だから山崎貴監督としては「安易なVRオチ」という気は全くなくて、「ゲームは子供が遊ぶモノで、大人がやるのはおかしい」というステレオタイプな偏見とも向き合い、ゲームという文化そのものを肯定する映画を冗談抜きで作ったつもりでもあるのだろう。

 

 

  • 中途半端な「ユア・ストーリー」

ただ山崎貴監督の思いと裏腹に完成した作品は非常に中途半端な「ユア・ストーリー」に留まっており、その最大の原因はラストでウイルスにワクチン攻撃する剣が「パパスの剣」ではなく『ドラクエV』とは関係ない「ロトの剣」であったことだろう。恐らく製作側としては『ドラクエ』シリーズにおいて一番有名な剣を出す「ファンサービス」のつもりだったのかもしれないし、現実問題「ドラクエ史」において「パパスの剣」より「ロトの剣」のが価値があるのかもしれないし、一般知名度も「ロトの剣」のが高いのだろう。ただ「一般的な価値観」と「自分の持つ価値観」は時に乖離することがあり、本作の主人公の場合は誕生日に『ドラクエV』をプレゼントして貰い高校時代もPS2でリメイクされた『ドラクエV』で再びプレイしたという経験がある『ドラクエV』に思い入れがある主人公なのだから、やはりウイルスを倒す剣はゲームのシナリオに沿う形でパパスの息子である事を胸に「パパスの剣」で倒してこそ「ユア・ストーリー」というタイトルに相応しかったのではないか?もっと怒る人も増えるかもしれないが、どうせならスライムが用意した「ロトの剣」ではウイルスを倒すことが出来ず、追い詰められた主人公が「ゲーム内での冒険の日々」を思い出して今まで冒険を共にした「パパスの剣」を手にしてウイルスを倒すくらいの展開にしても良かったはずだ。結局のところ本作は「ロトの剣」を出して『ドラクエ』シリーズのファンに目配せをしたことで、「ユア・ストーリー」が持つ意味やメッセージがボヤけてしまい、「製作陣は本当に『ドラクエV』とゲームに愛があるのだろうか?」と感じざるを得ない作品に陥ってしまった訳だ。

 

 

  • 最後に…

本作は「ゲームとは何か?」というテーマに真剣に向き合って製作された映画であるとはいえるが、その割にはファンを逆なでするような無神経な演出が多く、「ゲームの映画化」の難しを改めて実感させられる作品となった。ただ堀井雄二さんが本作を気に入ってるかどうかも議論になるようだが、ドラクエⅪ』のラストなどを踏まえると、割と本気で気に入ってる可能性は高いのではないか感じている。