世界的な人気を誇るフジテレビの大ヒット恋愛リアリティショー番組『テラスハウス』は「『テラスハウス』は見ず知らずの男女6人が共同生活する様子をただただ記録したものです。用意したのは、素敵なお家と素敵な車だけです。台本は一切ございません」というナレーションで始まる。TBSテレビ『サンデー・ジャポン』の調査によると若者の半数以上が恋愛リアリティショーを「現実の恋愛」と認識しているという。一方で一般的に「リアリティ溢れる映像」というのは、「リアルな映像」ではない。『テラスハウス』に関しても「台本がないという台本」「台本はないが、流れはあった」「ディレクターが演者に指示を出すことがあった」「指示はなかったが、編集によってリアルとはいえない内容になっていた」「キスをすると特別ボーナスが出る」「そもそも一緒に住んでない」など様々な報道を目にしてきた。本番組の「リアル」と「フィクション」の配合がどの割合で行われていたかは知る由もないが、SNSやワイドショーでは「恋愛リアリティショーを『リアル』だと思って観てる人がいることに驚く」と、「普通は『フィクション』だって分かって観るよね?」と言わんばかりのコメントが相次いだ。
ただ個人的には恋愛リアリティショーを「リアル」だと思って観てる人がいることに不思議はない。人は「これは本当の話だ」と言われれば、何となくそれを信じてしまう生き物だ。だから「台本がない」と冒頭でナレーションが流れ、本名の男女が共同で生活している映像が流れ、放送終了後にカップルが成立していれば「あー、リアルなんだな」と思うのは自然な流れだと感じる。そして「フィクション」を「リアル」だと思ってしまう現象が起こるのは恋愛リアリティショーだけではない。
例えば1996年に公開されたコーエン兄弟のサスペンスブラックコメディ『ファーゴ』は、冒頭で「この物語は実話である。この映画で描かれた出来事は1987年にミネソタ州で起こった。生存者の要望により氏名は変えられている。亡くなった方へ敬意を表すため、それ以外は全て起こった通りに語られている」というテロップが表示される。一方で1987年のミネソタ州で映画で描かれているような事件が起きたという事実はない。しかし冒頭で「この物語は実話である。」というテロップが出たという理由だけで、本作を実話ベースの物語だと信じる人は少なくない。
友達と会えない。飲み会もできない。
— 安倍晋三 (@AbeShinzo) 2020年4月12日
ただ、皆さんのこうした行動によって、多くの命が確実に救われています。そして、今この瞬間も、過酷を極める現場で奮闘して下さっている、医療従事者の皆さんの負担の軽減につながります。お一人お一人のご協力に、心より感謝申し上げます。 pic.twitter.com/VEq1P7EvnL
また今年4月に安倍総理が一方的に星野源とコラボした動画を投稿した際には、批判派・擁護派共に「こんなときに休んでるな!」「安倍総理だって人間だから休憩は必要」と、あの動画内で安倍総理が犬と戯れたり、本を読んだりしている様子を「リアルな安倍総理の行動」だという前提でのコメントがそれなりの数見受けられた。もちろん「安倍総理が優雅に自宅でくつろいでいるリアルな様子を動画に収めた可能性」も絶対にないとは言えないが、個人的には「安倍総理または動画製作関係者が想像した理想的な自粛生活を安倍総理が演じた可能性」のが高いのではないかと感じる。
そんなこんなで世の中、「フィクション」を「リアル」だと思い込んでしまう現象は多々ある。おそらく『テラスハウス』を「リアル」だと思って観ている人をバカにした人の中にも、気づいていないだけでそういう思い込みはあるのだろうし、こんな記事を書いている自分にもそういう思い込みが山ほどあるのだと思う。