スポンサーリンク

【強制わいせつ容疑】『アクタージュ』原作者、女子中学生の胸を触った疑いで逮捕/島袋光年・和月伸宏との違い

アクタージュ act-age 11 (ジャンプコミックスDIGITAL)

【追記】連載終了報道を受けて一部加筆あり

週刊少年ジャンプ』で連載中の人気漫画『アクタージュ』の原作者・マツキタツヤこと松木達哉容疑者が強制わいせつ容疑で警視庁に逮捕された。

 

ジャンプ連載「アクタージュ」自称原作者を逮捕 警視庁 - 毎日新聞

→ 歩いて帰宅途中の女子中学生に後ろから自転車で近づき、追い抜きざまに胸を触った

https://t.co/HFCBjQ1nNN

報道によると松木容疑者は路上で歩いていた女子中学生に後ろから自転車で近づき、追い抜きざまに胸を触ったという疑いが持たれている。本人は概ね容疑を認めており、警視庁は近くで同様の被害に遭ったという女子中学生の事件との関連についても捜査を進めていく方針だという。

 

この手の事件に関しては基本的に「推定無罪」が原則であるが、本人が容疑を認めていることに加えて、防犯カメラの映像から犯行の様子が確認できたことから、ほぼ「クロ」とみて間違いないだろう。

 

 

世紀末リーダー伝たけし! 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

るろうに剣心―明治剣客浪漫譚・北海道編― 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

Twitterでは松木容疑者の逮捕を受けて「児童買春禁止法違反」で懲役2年・執行猶予4年の有罪判決を受けた『世紀末リーダー伝たけし!』の島袋光年先生の愛称「しまぶー」や「児童買春・ポルノ禁止法違反」で罰金刑を受けた『るろうに剣心』の和月伸宏先生の名前がトレンド入りした。島袋先生の『たけし!』は逮捕を受けて未完で打ち切りかつコミックスは絶版、和月先生の『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚・北海道編-』は7ヶ月の休載という措置が取られていた。そのため『アクタージュ』がどういう対応になるのか注目が集まるが、島袋先生の罪は買春行為であることから犯罪ではあるがお互い合意の上での性行為だったと推測される。また和月先生の児童ポルノ所持も間接的な加害行為にはなるが、直接的な被害者がいた訳ではない。一方で今回のケースでは女子中学生という明確な被害者が存在する上に、後ろから襲っていることから合意があった訳でもない。そうなると、両者の犯罪より悪質と判断される可能性が高い。そうなれば原作者が続投して連載継続というのは中々難しそうだ。

 

一方で本作は「原作」「作画」の分担作業となっている。そのため「作画」担当の宇佐崎しろ先生が「原作」も担当、または新たなストーリーテラーを付けて継続させる、もしくは速攻打ち切り処分とはせずにある程度の猶予を与えて擬似円満で連載終了とする、などの可能性も考えられる。

 

追記

『アクタージュ』の連載終了が発表された。残念ではあるが、本人が概ね認めたという容疑を考えれば仕方ない。妥当な対応だと思う。

 

 

ananweb.jp

animanch.com

ただ過去のインタビューによると松木容疑者と宇佐崎先生の出会いは、松木容疑者がTwitterにアップした漫画を宇佐崎先生が「面白いです!」とリプを送りフォローしたのが始まりだったという。一方で2020年8月現在両者のTwitterアカウントは相互フォローの関係になっていない。この件に関しては昨年12月に「相互リム」しているとネット上では話題になっており、「不仲説」も囁かれていた。お互いのツイートを見たくないのなら「ミュート」すれば済む話だが、読者の目があるにも関わらず態々「フォローを外した」ということは、それだけ両者の関係が悪化してたのかもしれない。勿論これは憶測の域を出ないので、話半分程度で受け取るのが丁度いいのだろうが、作画担当がどの程度本作の連載継続を望むのかという点では不安要素である。

 

本作はホリプロ公演事業部制作で舞台化が決まっており、主演女優を一般公募のオーディションで選考するなど、作品の内容ともマッチングするかなり力の入った企画だった。しかし今回の事件によって、この企画もどうなるか分からない。

 

 

多くの人や企業が関わる作品に成長していたヒット作品故に、今回の事件による各方面へのダメージは計り知れない。最後に今回の事件の容疑者は『アクタージュ』の「作画担当」ではなく、「原作者」であり、報道の写真などに使われるであろうイラストを持って「あの絵を描いた人が捕まったんだ!」という誤解だけは広まらないで欲しいと願う。

 

追記

ネット上では連載打ち切りのデマ画像が広まった。これは「たけし!」打ち切りの際の文書を元ネタにしていることから、作成者に他者を騙す意図はなくジョークのつもりだったのだとは思うが、元ネタから時間が経っていることと、状況が状況だけに信じてしまった人も少なくなかったようだ。