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庵野秀明総監督作品『シン・エヴァンゲリオン劇場版』、旧劇場版『Air/まごころを、君に』と比較したネタバレ感想

【チラシ3種付】シン・エヴァンゲリオン B2ポスター ティザービジュアル【海辺】劇場版 EVANGERION エヴァ カヲル シンジ アスカ レイ マリ

ネタバレ注意

庵野秀明総監督作品『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観た。今回は旧劇場版と比較をしながらの感想を書いていきたい。

 

  • シンジ

前作『新劇場版:Q』の展開によって鬱状態となったシンジ。本作の前半はトウジやケンスケ達が住む「第3村」でシンジが再びエヴァに乗れる心理状態になるまでの過程を丁寧に描く。前作が終始シンジ視点で物語が急速に進んでいたため、様々な人の視点を交えながらゆっくりと進む展開は心地よい。綾波のそっくりさんが目の前で消えることでヴィレに戻ることを決意する。旧劇場版の「最低だ… 俺って」に該当するシーンもない。

後半、ゲンドウに「父さん」と話しかけてからはもうシンジ無双。旧劇場版ではミサトから「大人のキス」をして貰い、命懸けで守って貰ったにも関わらず、それでもエヴァに乗らずにウジウジした挙句、ようやく乗ったかと思えばアスカの乗る弍号機の大破と世界を見て発狂、そのままサードインパクトのトリガーにされるという散々な展開だったが、本作では「乗る」と決めてからはミドリに批判されようが、サクラに拳銃で撃たれようが、「もう乗るって決めたから」と思わず「シンジさん!?」と呼びたくなってしまうようなカッコ良さ。

前述したように旧劇場版ではミサトの命懸けの行動はシンジの行動を変えなかったけど、本作ではミサトの命をかけて生成した槍を受け取れるだけの度量を見せ、父親であるゲンドウと決着をつけた後はアスカ、カヲル、レイを次々と解放。ここら辺は「終わらせに来てる感」が半端ない。父親のケジメをつけようとエヴァのない世界を作ろうとするも、初号機に眠っていた母親と父親に救われるという王道展開。何だかよく分からないけど現実と虚構の狭間の世界みたいな場所で原画になって消えそうになると、マリが助けに来てくれて、エヴァのない世界に移り、大人になったシンジが進研ゼミやZ会のCMみたいな「サクセス・テンション」で実写映像の駅をマリと一緒に走る。ラストは『君の名は。』っぽさもあるな、と思ったらエンディングで神木隆之介の名前があってビックリ。実写版『20世紀少年 最終章』のラストを思い出す。(このラストについての個人的な解釈と感想は別記事に書く。)旧劇場版の「傷つくとしても、もう一度人に会いたいと思った」みたいな結論を出したかと思えば、次のシーンでは結局怖くなって、アスカの首を絞め、アスカが頬に手を当ててれば首を絞めるのをやめて泣き始め、最後は心底冷たい目で「気持ち悪い」と言われてしまうシンジとは正反対の爽やかな着地だった。

個人的にシンジの周りの人々が14年の時を経たことで成長して、シンジに対して優しさを見せれる余裕ができたことが大きかったように思う。旧劇場版だとトウジもケンスケも家を失って引っ越しちゃってたし、アスカもメンタルがボロボロで、シンジは「僕に優しくしてよ!」と訴えてたけど、本作では「どうしてみんなそんなに優しいんだ!」と逆のことを言ってるのも良い。

 

  • ミサト

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シンジの所に書いたことと重なるが、旧劇場版では自らの命をかけて初号機までシンジを送ったミサトだったが、シンジはその想いを受け取ることなくウジウジし続けた。でも本作ではミサトが命懸けで生成した槍をシンジはシッカリと受け取る。ちなみに旧劇場版にはいない加持との息子の名前が父親と同じ「リョウジ」だったことに驚いたが、『プロフェショナル』の「庵野秀明スペシャル」を見ると、当初は「加持シンジ」だった事実が判明して震えた。まー、ミサト視点だと『新劇場版:破』のラストでシンジの背中を押した結果、サードインパクトが起きてシンジと加持という大切な人を2人も失った訳だからな… シンジのプラグスーツは艦長室に保管されてたけど、きっとテレビアニメ版と同じく初号機から排出されたシンジのいないプラグスーツの抜け殻を泣きながら抱きしめたんだろうな…、とか思った。

 

 

  • ゲンドウ

旧劇場版のゲンドウは、シンジとまともに対話することなく「すまなかったなシンジ」と謝罪して初号機に上半身を食べられるイメージで補完される。一方で本作ではシンジがゲンドウに話しかける形で、シンジの記憶によって構築された世界でシンジの乗る初号機とゲンドウが乗る13号機のバトルがスタート。力では決着がつかないと判断したゲンドウは、シリーズ定番の電車内でシンジと対話。ユイを失った孤独を打ち明けるも、ミサトが命をかけて生成した槍をシンジが受け取る姿を見て、シンジを大人として認め、シンジの中にユイを見出す。

正直、ゲンドウ絡みのエピソードは「まー、大体そんな感じだとは思ってたよ…」みたいな内容だったけど、だからこそシッカリとこのエピソードが描かれることによって、「本当に終わるんだ」と実感させられた。

『新劇場版』シリーズのミサトはテレビアニメ版より自身の父への想いとシンジの気持ちを重ねてる描写が多かったし、アスカがシンジのことを「七光り」と呼んだりしてた。だから製作陣としては当初から『新劇場版』シリーズでは、テレビアニメ版では中途半端になっていた父と息子の決着をシッカリとつけるつもりだったのかもしれない。最後はユイと共にシンジを救うことができて良かった。

 

  • アスカ

旧劇場版では冒頭エヴァとのシンクロ率が0で自身に価値がないと鬱状態だったが、弍号機の中に母親を感じて覚醒。しかし最終的にはエヴァシリーズに内臓を引きちぎられ活動停止。本作ではアスカも綾波同様に式波シリーズの1人(描写的に訓練で最後まで生き残ったクローン)で、親がいないこと自体に孤独を感じている設定。眼の中に封印していた使徒を使い(このシーンの宮村さんの演技は本当にカッコよかった!)、13号機に停止信号プラグを打ち込もうとするも失敗。逆に取り込まれる。

こんな感じで、冒頭のアスカの精神面に大きな違いはあれど、旧劇場版も本作も中盤でアスカが戦闘不能状態になる点は一致。ただ旧劇場版のラストではサードインパクトが起きて赤くなった海でシンジに首を絞められ、泣かれたことから、「気持ち悪い」と言い放って終劇となったが、本作では同じ赤い海のシチュエーションでアスカの「あの時(『新劇場版:破』でシンジがお弁当を作ってくれたい頃)は好きだったんだと思う」というセリフに応える形でシンジから「好きだったよ」と告白され赤面。その後、ケンスケのいる「第3村」に飛ばされる。

アスカとケンスケの関係性が「恋愛感情」か「親子感情」かについて掘り下げた記事は下リンク。

mjwr9620.hatenablog.jp

 

  • カヲル

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旧劇場版ではシンジの精神世界で人との触れ合いについて対話していたカヲルくん。本作ではこれまでの繰り返されるエヴァの世界で何度もシンジを手助けしていたことを明かし、シンジもそれを理解している様子。シンジの幸せを願っていたが、実は自分が幸せになりたかったのだと気づく。シンジはカヲルくんのことを「父さんを感じていた」と明かしていたが、テレビアニメ版になかった『Q』のピアノ演奏シーンと本作で明かされたゲンドウのピアノが趣味という話、ラストで綾波レイ(ユイのクローン)とカヲルが話していたことから、「ゲンドウ=カヲルなのか!?」などと考えていたら、岡田斗司夫さんが「予告編(1分10秒)にもある13号機に乗ったゲンドウのポーズ(マイナス宇宙でのビル街で座ってるポーズ)とカヲルの初登場シーンのポーズが一緒」「加持とカヲルが話してる様子も加持とゲンドウが話している様子と同じ(加持はゲンドウを「碇司令」、カヲルを「渚司令」と呼んでいる)」みたいな解説をしていて「流石だな…」と思った。

 

追記:13号機搭乗時のゲンドウのポーズは、『新劇場版:破』の月にいるカヲルのポーズとも似てる

 

 

  • レイ

個人的に綾波レイはテレビアニメ版及び旧劇場版の「3人目の綾波レイ」以降、人間として見ることは出来なかった。実際、旧劇場版の綾波レイはカヲルと一緒にシンジの精神世界で対話してる訳だから、人間としての演出を受けていなかったように思う。ただ本作では「そっくりさん」と称される、『新劇場版:破』の綾波レイとは異なる綾波レイも「第3村」で田植えや赤ちゃんなどを通して人間らしさが出てくる過程は魅力的だったし、初号機の中に居た綾波レイは初号機の中に居たユイとは異なり『破』のラストから14年分の髪の毛が伸びていて、ちゃんと人間として描かれている(アスカの「髪の毛が伸びるのは人間の証」みたいなセリフを踏まえると、製作陣の意図はハッキリしてると思う)ところがとても良かった。

 

  • リツコ

旧劇場版ではゲンドウに銃を向けながらネルフ本部を爆破しようと母親(ナオコ)が開発した「MAGI」のシステムを変更。ただ「MAGI」は「科学者」としのナオコである「メルキオール」、「母」としてのナオコである「バルタザール」、「女」としてのナオコである「カスパー」の3つの意見が一致しないと変更は許可されず、最終的に「カスパー」が反対して、否決。母親の女としての側面に裏切られたリツコはゲンドウに撃たれて死亡する。

そんな悲劇の女性だったリツコだったが、本作では躊躇なくゲンドウの頭を拳銃で撃ちつける。ゲンドウは「ネブカドネザルの鍵」によって人ではなくなっていたので殺すこと自体には失敗するが、旧劇場版のことを考えると胸熱シーン。脇役であるリツコはテレビアニメ版より尺が短い『新劇場版』シリーズではどうしても描写が少なくなってしまいがちだったから、本作に旧劇場版と対照的な見せ場のシーンがあったのは良かった。テレビアニメ版と設定が同じかは分からないけど、もし同じ愛人設定なら短髪にした背景はゲンドウとの決別の意味も込められていたのかもしれない。

 

  • 庵野秀明監督

旧劇場版の感謝の対象は「スタッフ、キャスト、友人、そして、5人の女性」、本作の感謝の対象は「全てのスタッフ、キャスト、ファンの皆様、そして公私に渡り作品と自分を支え続けてくれた妻」(パフレット参照)と「5人の女性」の代わりに「ファン」と「妻」が追加されている。また劇中の実写映像も旧劇場版はスクリーンを観ているオタクたちやキャラクターのコスプレ(?)など実写オンリーの映像かつ実写とアニメは完全に分離されていたが、本作では実在の駅がアニメ化、更にラストは実在の駅の映像の中をシンジとマリが走っており、実写映像とアニメの融合となっている。旧劇場版ではファンに対して「現実に帰れ」とかなり突き放している印象も受けたが、本作ではアニメも現実世界の一部と捉えているように感じた。

自分が『エヴァ』を庵野秀明監督の「プライベートフィルム」だと再認識するまでの話は下リンク。

mjwr9620.hatenablog.jp

 

 

  • 最後に…

『シン・エヴァ』に登場するキャラクターは全員、旧劇場版と比べると、とにかく「おめでとう!」と言いたくなる成長を遂げており、基本的に対となる展開を見せている。この成長がテレビアニメ版より早い段階でサードインパクトが起きた結果だと考えると、ケンスケの言う通り悪いことばかりではないのかもしれない。とにかく観ていて幸せな気持ちになった。

 

新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に

新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に

  • 発売日: 2019/08/01
  • メディア: Prime Video