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『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のラストで、『エヴァ』が庵野秀明監督の「プライベート・フィルム」だと再認識した話

【チラシ3種付】シン・エヴァンゲリオン B2ポスター ティザービジュアル【海辺】劇場版 EVANGERION エヴァ カヲル シンジ アスカ レイ マリ

ネタバレ注意

庵野秀明総監督作品『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が大ヒット公開中だ。今回は本作のラストシーンについての自分の感想と解釈を書いていきたい。

 

  • 「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」

監督不行届 (FEEL COMICS)

本作に関して、ネットでは庵野秀明監督の奥さんである安野モヨコさんの漫画『監督不行届』の後書きに「嫁さんのマンガは、マンガを読んで現実に還る時に、読者の中にエネルギーが残るようなマンガなんですね。読んでくれた人が内側にこもるんじゃなくて、外側に出て行動したくなる、そういう力が湧いて来るマンガなんですよ。現実に対処して他人の中で生きていくためのマンガなんです。嫁さん本人がそういう生き方をしてるから描けるんでしょうね。『エヴァ』で自分が最後までできなかったことが嫁さんのマンガでは実現されていたんです。」とあったことから、「『シン・エヴァ』ではそれを実現させたんだな〜」みたいな解釈が拡散されている。個人的にもこの解釈に対して異論はない。

本作の後半はエヴァに乗ると決意したシンジが、父親であるゲンドウと決着を付け、アスカ・カヲル・レイを次々と解放、ミサトが命をかけて生成した槍を使い「エヴァのない世界」を望む。レイとのスタジオ内での対話シーンではスライドショーにテレビアニメシリーズと旧劇場版、そして新劇場版シリーズのタイトルが次々と映し出され、25年間の集大成としてシンジは「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」とお別れをする。リアルタイム世代ではない自分としても、テレビアニメシリーズと新劇場版シリーズを包括するラストは感慨深い。

最後の実写映像も旧劇場版の映画を鑑賞するオタクたちやキャラクターのコスプレ(?)を映した実写オンリーの映像と異なり、実在の駅(庵野監督の地元)をシンジとマリが走っている実写とアニメの融合映像となっており、「現実に帰れ」と突き放されている感じもしなかった。寧ろ本作のラストを持って現実世界を強く生きたいと思ったし、劇場を出るときはとても清々しい気分だった。

監督不行届 (FEEL COMICS)

監督不行届 (FEEL COMICS)

 

 

 

  • 「第3村」の人々やミドリ、サクラを想うと…

ただ公開から数日経った時、よくよく考えてみると「あのラストってどうなんだろう?」みたいなことを感じ始めた。というのも、本作ではサードインパクトという大災害が起きてしまった世界で、懸命に生きる人々の姿が描かれていたからだ。例えば「第3村」に住むトウジやケンスケたちは、いつこの日常が再び壊れるかも分からない、文字通り「死との隣り合わせ」の環境で、田を植え、魚を釣り、懸命に生きている。きっとあのレベルの生活が出来るまでも、沢山の苦労があったのだろう。

ヴィレの乗組員であるミドリとサクラはサードインパクトによって大切なものを失ったことで傷付き、トリガーとなったシンジを恨んでいた。それでも、彼女らは到底割り切ることのできないであろうグチャグチャの感情に踏ん切りをつけて「前に進まなきゃいけない」と決意した。通常の作品であるのなら、こうしたキャラクターたちの感情の推移や決意を見ることで、観客はこのどうしようもなく生き難い現実世界を、どうにか頑張っていこうと生きる力に還元させる。

当たり前だが、現実世界では起きてしまったことは変えられない。だからどんなに辛いことが起きても、自分たちはこの世界で生きていくしかない。ただ本作のラストでシンジは、彼にとっての現実世界である「エヴァのある世界」を「エヴァのない世界」に書き換える。つまり本作のラストはその世界で生きることを決意した人々の想いを踏み躙るような、非常に都合の良い「子供っぽいラスト」とも捉えるができる。

 

 

  • 庵野秀明監督の「プライベート・フィルム」

「映画鑑賞直後の清々しい気持ち」と「鑑賞後、しばらく経ってから生じたモヤモヤ」、この二つの乖離した気持ちの正体は何だろうと考える。それは本作を庵野秀明監督の「プライベート・フィルム」であり、それを持って「シンジ=庵野監督」とみるか、それとも純粋なエンタメ作品として「シンジ=あの世界の住人」とみるか、の違いだったのではないかと思う。シンジを後者として観ると、アスカをケンスケのいる「第3村」に飛ばした上で、「落とし前」として「エヴァのない世界」に書き換えたとなると、「じゃあ、あのアスカはどうなったんだよ!」とか「そもそも本作における『落とし前』ってそういうことなのか?」とか色々と感じてしまう。

でもシンジを前者として観ると「落とし前」は「『エヴァ』を終わらせる義務」(『プロフェショナル』の「庵野秀明スペシャル」参照)のことで、ラストのシンジがアスカ・カヲル・レイを解放するシーンは、庵野監督が自ら生み出したキャラクターへの「落とし前」を付けたと捉えることができるし、「エヴァのない世界」に書き換えるのも「もう自分はエヴァは作らない」で、最後にシンジが現実世界で目が覚めたのも、純粋に『エヴァ』と決着をつけた庵野監督が戻ってきたという感じなのだろう。だからラストシーンも多くの人が指摘するように奥さんである安野モヨコさんをモデルにしたと思われるマリ(どこに居ても必ず迎えにきてくれる存在、『プロフェショナル』の「庵野秀明スペシャル」参照)によって「DSSチョーカー」を外して貰い、『エヴァ』から解放された庵野監督が次の作品に向かった、ということなのだろう。

まー、実際問題庵野監督がどういうつもりで演出したかなんていくら考えても分かるはずがないんだけど、自分が初回鑑賞時に清々しい気分で劇場を後に出来たのは、無意識のうちに本作を「庵野監督のプライベート・フィルム」として捉え、本作を通して庵野監督を見て(見た気になって)いたからなのだと思う。逆に言えば、そういう背景を知らないで観ると、特に「マリエンド」に関しては飲み込みづらいのではないかと思う。

 

 

  • 最後に…

大人になったシンジは緒方恵美さんではなく、神木隆之介さんが演じている。『エヴァ』は本職の声優さんが中心の作品だから、最後の最後で主人公の声を本職が役者の人にやらせたというのも、実写とアニメの融合が意図だったのだろうか。最後に庵野監督は他の人がやる形での「エヴァのガンダム化」によってアニメ業界を盛り上げたいみたいな想い(『全記録全集:序』のインタビュー参照)もあったみたいだけど、今回のラスト的に「正直、庵野監督以外の作る『エヴァ』を観たい人がどれくらいいるんだろう…」と感じた。

 

  • 追記

マリは鶴巻監督の手によるところが多く、妻のモデルという解釈は事実と異なるらしい。

 

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