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【『鎌倉殿の13人』第33回『修善寺』】父・頼朝と比較され、叔父・全成に呪詛され、妻・子を殺された「頼家の生涯」と「善児の最期」

(29)「ままならぬ玉」

『鎌倉殿の13人』第33回『修善寺』で二代目鎌倉殿・源頼家と暗殺者・善児が死亡した。

 

  • 父と比べられた二代目鎌倉殿・頼家

頼家は鎌倉幕府を作った初代鎌倉殿・源頼朝と北条政子の実の子供。頼朝死亡に伴い鎌倉殿に即位したが、まだ若く経験も浅かったことや父・頼朝との比較に苦しんだ存在だ。頼家の政治に不安を覚えた御家人たちは13人で幕府に寄せられた訴えに対応することを決めるが、頼家は反発して自身と同じ世代のものを集めて「御家人は信用ならん」と言い放つ。これは頼家自身は父・頼朝のやり方にならなったつもりだった。実際、頼朝も義時以外の御家人は誰一人として信じていなかった。しかし頼朝は御家人一人一人に対しては「お前だけが頼りだ」と好感度を得る人たらしだった。この描写は三谷コメディとして受け取っていたが、ここにきて父と子の圧倒的な差を見せるための伏線に化けた。とはいっても、頼家も時間と共に態度は軟化。父同様に義時に胸の内を明かし、妻・せつと共に鎌倉殿として歩んでいく決意を示し、その直後にお供が古井戸に落ちると叔父である全成に助けて貰えるなどして信頼関係を構築。このまま全部上手くいくのではないか、そんなはずはないのにそんな気持ちにさせる前向きな展開が描かれた。

 

※古井戸に落ちた頼家に対して義時が「鎌倉殿ォォォ!」と叫ぶシーンは完全に銀さんテンションで笑った

 

 

  • 叔父・全成に呪われ、妻と子を母の家に殺され…

しかし全成は義時の父母と比企に唆されて頼家を人形で呪っていたことが発覚して処刑。自身の赤い血を見ながら実衣を思い出す姿は全成の愛を感じた。ただ頼家サイドからすれば信用していた身内が自身を呪っていたというのはショックな話。更に頼家はその直後に病気に倒れ、危篤状態に陥り、最早目を覚ますことはないと判断した義時らは比企を滅ぼすことを実行。遺恨が残らぬように頼家の妻・せつと子供である一幡も殺した。これで北条も安泰かと思いきや、まさかの頼家が奇跡の復活。ただ既に妻も子供も殺してしまった後だから、母・政子含めて頼家を見る目は困惑。鎌倉殿に就任したと思えば父と比べられ、妻と共に鎌倉殿としての道を歩む決意をした矢先に信用していた叔父から呪われ、病に倒れるも奇跡的に目を覚ますが身内からは「何故生き返った…」「そのまま死んでいてくれると思ってたのに…」という扱いを受けて妻と子供は母の家に殺されている。そして最期は「鎌倉殿は二人もいらない」と23歳の若さで暗殺。あまりにも可哀想な人生だった。

 

 

  • 「修善寺」で「終・善児」

そして頼家と共に退場したのが視聴者から「こいつが画面に映ったら人が死ぬ」と恐れられていた暗殺者・善児。常に死んだ目でターゲットを素早く処理してきた善児だったが、先週放送回では純粋に自分を好いて笑顔を見せてくれる一幡を殺すことが出来ず、死亡フラグがビンビンに立ち始めた。そして最新回で頼家を暗殺しようとするもお墓代わりの一幡の文字が目に入り、動揺した隙をつかれて頼家からの一撃を許した。そして弟子であるトウに「父と母の仇」と刺されて絶命。梶原景時が善児に渡すように義時に託していた義時の兄の形見の入った腰巾着のシーンから義時が善児に復讐する展開を予想していた視聴者も多かったようだが、ミスリードだったようだ。

 

 

  • 最後に…

袋の中身を知ったことで義時は善児が兄を殺したことを悟るも「私に善児が責められようか」と復讐の意志を示さなかった。これは散々善児を使って人を殺めてきた自分が今更善児を責めることはできない、という意味だろう。一方で暗殺業を務めながら常に善児への復讐の機会を窺っていたトウ。息子への「あいつはかつての私」発言や運慶からの「まだお前は救いがある」「その迷いが救いなのさ」発言などから、義時の複雑な心境も垣間見えた気がした。

 

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