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「テレビ的演出」「草薙の葛藤」「湯川の食事」「ヒトツボシ」、『ガリレオ』シリーズ最新映画『沈黙のパレード』ネタバレ感想

沈黙のパレード (文春文庫 ひ 13-13)

『ガリレオ』シリーズ最新作『沈黙のパレード』を観た。

 

  • 9年ぶりの新作、意図的なテレビ的演出も

容疑者Xの献身

真夏の方程式

『ガリレオ』のテレビドラマ版は湯川のフレミングポーズによる「実に面白い」という決め台詞とテーマ曲『vs. 〜知覚と快楽の螺旋〜』をバックに数式を書き殴り思考を整理して事件の真相に辿り着くコミック的演出が人気を博して高視聴率を記録した。しかしシリーズ初の劇場版『容疑者Xの献身』ではそうしたポップなテレビ的演出は排除され、映画らしい落ち着いたトーンの演出が施されたことで、今もなお愛される名作扱いを受けるに至った。更に劇場版シリーズ2作目『真夏の方程式』では「海中シーン」や「ペットボトルロケットの実験シーン」などスクリーン映えのする映画らしい映像美を追求。トリックが地味なこともあって世評的にも興行的にも前作ほどの評価は受けなかったが、映画としてのルックは確実に向上した作品だった。

「前作は(ドラマと比較して)“大人ガリレオ”とも言われましたが、今回は映画の中では一番エンターテイメントの要素が強いかもしれません。湯川が“実におもしろい”と言うかも含めて、TVと映画の両方の世界観を持った作品になっていると思います」

映画『沈黙のパレード』公式サイト

一方で『沈黙のパレード』は前2作品と異なり、湯川は劇中で「実に面白い」と発し、これまでの劇場版ではエンディングにのみ使用されていたテーマ曲も劇中のトリック実証シーンでガッツリ流れる。この演出の違いについて西谷弘監督は『キネマ旬報』最新号で「もう、ドラマだから映画だからっていう時代でもない。ファンの期待に応えたいという思いが強かったですね。」と述べていた。これは本作が9年ぶりの新作故にファンが持つテレビドラマのポップな『ガリレオ』像も入れたかったという意図だろう。今回の「ファンの期待に応えたい」という想いはある種物凄くフジテレビ映画らしいエンドクレジットからも伝わってきた。

 

※流石に「数式書き殴りシーン」はなかったが、湯川は内海に黒板に書いた数式を見せながら「僕ももう一度考えてみた」的なことを言ってたから、映画では描かれていないだけで数式自体は思考整理のために書いていたのかもしれない。ただ数式は結構綺麗だった。

 

※『ガリレオ』の映画シリーズは『容疑者Xの献身』のインパクトを越えれない、という呪縛を抱えているが、『真夏の方程式』は「映像美」、『沈黙のパレード』は「集大成(同窓会要素)」を前面に出すことでそれぞれ差別化を図った感がある

 

以下ネタバレ

 

 

  • アガサ・クリスティの某事件的真相と思わせて…

本作は「女子高生への殺害容疑をかけられるも、警察の捜査に沈黙を貫き証拠不十分で釈放された男が被害者を愛していた者たちが多く住む町のパレードの日に死体で発見された」という内容。予告編的にも作品のあらすじ的にもアガサ・クリスティの某有名事件よろしく殺害された女子高生を愛した街の住人たちが全員で協力して復讐を達成した事件なのかな、と思って観ていたが、実はその男を協力して懲らしめることで真実を白状させようとする計画を自分が真犯人だと思っている人物とそのパートナーが利用して、自らの罪をその男に被せて闇に葬ろうとしていた、ことが明かされる。これには「なるほど、そう来たか」と思わされた反面、夫が愛する妻を守るために殺人を犯して刑務所に入る展開は前2作とも微妙に被っていて良くも悪くも「またかよ」感もあった。

 

 

  • 物語の軸は湯川と草薙の友情

『ガリレオ』シリーズのテレビドラマ版は月9枠での放送でヒロインが必要という理由から、原作の湯川・草薙の男同士コンビから湯川・内海の男女コンビに改編されており、草薙は内海の上司という役割で殆ど物語に関わってくることはなかった。しかし本作では冒頭から草薙が容疑者の写真を見るなり派手に嘔吐。これまでの余裕あるキャラクター造形からは想像できない情けないシーンから始まり、真実に近づくに連れて憔悴していく。本作で殺される男は本件以前にも女子高生を殺害した疑いで起訴されるも沈黙を貫いて無罪になった過去があった。その判決により被害者の母親は自殺。担当刑事だった草薙にとって深い傷となって残っていたが、今回その男が更なる罪を犯した疑いが浮上し、更に同様の手段で司法の裁きから免れたことにより、被害者の手によって殺害された可能性が生じ「自身が被害者たちを殺人犯にしてしまったのかもしれない」と葛藤する。

真実を解き明かすことは時には残酷な結果だけを残すこともある。それをかつての経験から湯川も内海も知っていた。それでも湯川は物理学者として、内海は刑事として真実を追い求め、最終的に「自身を女子高生殺害事件の真犯人だと思っている人物は真犯人ではない」という仮説に辿り着く。「仮説は実証して初めて真実になる」、これは湯川の物理学者として、そして人間としての生き方を体現した言葉だ。本件で湯川の仮説を実証するために必要なことは物理学者としての職務を超えた範囲のため、それを刑事であり親友である草薙に託す。ただその実証は結果次第では真犯人は蓮沼ではなかった、と立証される可能性もある捜査。もしかすると本来被害者であった人たちと自分に更なる追い討ちをかけるような結果になるかもしれない捜査だったが、草薙は捜査を続け、見事蓮沼が真犯人だった可能性が高いことを裏付ける。これは結果論でしかないが、湯川の真実を追い求める姿勢に草薙が沈黙せずに応えたことで、被害者たちと草薙本人が救われたのだった。

 

※草薙にとって「本来の被害者たちが自分の解決できなかった事件によって殺人を犯してしまった」が事実なら精神的に耐えられないが、「蓮沼が死の直前に自供した」「本来の被害者たちは誰一人蓮沼を殺すつもりはなかった」のが事実なら本来の被害者たちにとっても自分にとっても傷が浅く済むので、これ以上動かしたくない、という気持ちがあった。最終的な着地点に違いはあれど「これ以上真実を追い求めたところで、親友含めて誰も幸せにならないかもしれない」という状況は湯川にとって『容疑者Xの献身』の事件を思い起こさせた。ただ最終的に草薙が蝶のバレッタに血液が付着しているかを調べる際に被害者家族の仲間内から真犯人が出てしまうグロテスクな可能性をあまり視野に入れてない様子だったのが、やや違和感があり、本作の『容疑者Xの献身』『真夏の方程式』から連なる「真相を明らかにすることで誰も幸せにならない可能性」というテーマの描き方が中途半端になってしまったように感じた

 

 

  • 最後に…

youtu.be

本作の湯川は序盤から赤いシロップのかき氷を食べようとしたら内海に血のついた服を見せられ食欲を落とし、食堂ではお通しを食べようとする様々な邪魔が入り美味しく食事をすることが出来ない。そして『なみきや』の店主からお酒を勧められてもそれを断る。しかし留美からの紅茶は美味しく頂く。これは湯川が実証性のある仮説に辿り着いた故の状況の変化を表していたのではないかと思う。最後に主題歌『ヒトツボシ』は死者から現世に生きる人への曲だというが、本作の場合は殺害された女子高生の彼氏への想いだったのだろう。

 

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