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「生きることへの執着心」と「本当に自分を救うのは…」、『君の名は。』『天気の子』を経た新海誠監督『すずめの戸締まり』感想

映画チラシ『すずめの戸締まり』別バージョン+おまけ最新映画チラシ1枚

新海誠監督最新作『すずめの戸締まり』を観た。

 

  • 『君の名は。』『天気の子』に次ぐ災害三部作

君の名は。

天気の子

本作は世間的に『君の名は。』『天気の子』に次ぐ震災三部作の完結編という立ち位置で認識されている。2016年公開の『君の名は。』では災害を知っている主人公が入れ替わったヒロインと協力して隕石が落ちる前に町人を避難させる展開が描かれたが、これに対して一部からは「タイムスリップで災害をなかったことにするのは許せない」との批判が出た。その批判に対して新海誠監督が「もっと怒らせてやろう」と思い作ったのが2019年公開の『天気の子』で、主人公は「天気なんて狂ったままでいいんだ!」とヒロインを救う代わりに東京を犠牲にする選択をする。個人の想いによって災害による多くの犠牲を救った『君の名は。』と個人の想いによって結果的にではあるが災害による多くの犠牲を払った『天気の子』、そんな正反対とも取れる2作品の次となる『すずめの戸締まり』で、新海誠監督は人が居なくなった過疎化や災害による廃墟で開いたままになっている『後ろ戸』を閉じる「場所を悼む」物語を描いた。

 

以下ネタバレ

 

 

  • 鈴芽「死ぬのは怖くない」→「死ぬのが怖い」

『すずめの戸締まり』は『君の名は。』『天気の子』同様に「ボーイ・ミーツ・ガール」ではあるが、全体的には日本各地を周る「ロードムービー」の側面が強い。本作の主人公・鈴芽は4歳の時に東日本大地震によって母親を亡くした高校2年生。新海誠監督は東日本大震災を「今描かなければ遅くなるかも」という焦りがあったようだが、実際3年後の次回作で高校生主人公となれば災害当時の年齢は1歳前後、被災して母親を亡くした記憶を持つ高校生を描くのは今がギリギリだ。鈴芽は幼少期に震災で母親を亡くしたことで「人が生きるのも死ぬのも運次第」という価値観を持ち、更に自分を母親の代わりに育っててくれた叔母の環さんの大事な時間を奪ってしまったかもしれないという罪悪感を薄っすら持っていることもあってか「死ぬのは怖くない」と「生きること」への執着心がない。だから自らが「要石」となることで、「閉じ師」の草太の代わりに犠牲になろうともする。でも草太の「死ぬのが怖い」「生きたい」という記憶に触れることで自分も「死ぬのが怖い」「生きたい」という気持ちに変化する。これはお互い微妙な感じが続いていた環さんとの関係が良好になったのも大きかったのかもしれない。人間、誰かを好きになったり、誰かから好かれたりすることで「生きること」への執着心が生まれ、「死ぬこと」が怖くなったりするのだろう。

 

※「死ぬのは怖くない」→「死ぬのは怖くない、草太さんがいない世界が私は怖い」→「死ぬのが怖い」の流れが好き

 

※環さんが鈴芽に「お前がいるせいで婚活も上手くいかなかった、お姉ちゃんのお金があったって割に合わない、私の人生返せ!」と怒鳴るシーン、基本的に鈴芽のことを愛して育てていたんだろうけど、時折辛くなった時に「お姉ちゃんのお金もあるし…」と気持ちにバランスを取ってたのかな、とか思った 

 

 

  • 本当に自分を救うのは…

本作の白眉は震災直後、お母さんを探して常世に迷い込んでしまった幼少期の鈴芽に17歳の鈴芽が「今は真っ暗闇に思えるかもしれないけれど、いつか必ず朝が来る」「あなたはちゃんと大人になる」「私は鈴芽の明日」と語りかけ、現実世界に戻してあげるシーン。ここで重要なのは過去の自分を救うのは死んだ母親の魂でも草太や環さんといった他者でもなく、自分自身という点。新海誠監督は入場特典『新海誠本』で「災害に限らずとも、大切な人を失ったことを乗り越えて、受け入れていくにはある種の段階がある」「(『喪の作業』に当てはめると)僕にとって『君の名は。』は最初のステップで、それを踏まえて『天気の子』で次の段階に入った」「それで言うと『すずめの戸締まり』は、『君の名は。』と『天気の子』を踏まえたうえで、ようやく状況を受け入れて作った作品」、パンフレットで「他者に救ってもらう物語となると、まず救ってくれる他人と出会わなければいけないわけです。でも本当に自分を救ってくれるような他者が存在するのかどうか、わかりませんよね」「でも、誰でも少なくとも自分自身には会えるじゃないですか」と語っている。だから本作では『君の名は。』のように死者を蘇らせるのではなく、その死を傷として受け入れた上で、『天気の子』のように他者からでもなく、あの日から12年経った今も生き続けている自分自身が過去の自分を救う。今の鈴芽が過去の自分を救うまでに草太を好きになり、見知らぬ土地で色々な人と出合い、環さんと和解する、といったプロセスを経たのと同様に本作も新海誠監督にとって『君の名は。』『天気の子』のプロセスを経なければ作れなかった、今だからこそ出来た救い方だったのだろう、と個人的には受け止めた。

 

※現実世界では未来の自分が「大丈夫だよ」と励ましに来てはくれないけど、過去の自分と対話して、未来の自分を信じて生きることはできる

 

 

  • 最後に…

最後に本作はパンフレットによると「現実世界のプレート運動による地震はなく、ミミズによって起きる地震しかない」というが、だとしたら東日本大震災は何とかして止めれなかったのだろうか、この世界ではあの日『天気の子』のような物語があったのだろうか、またダイジンらが「要石」となって犠牲になる展開は『天気の子』の次の作品であることを踏まえると思うところもあるが、考え始めるとキリがないので一旦やめる。

 

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