ネタバレ注意
『セッション』『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル監督最新作『バビロン』を観た。
- 全米では興行・批評共に大コケ、本編は後半で失速
前作『ファースト・マン』はキャリア初の他人の脚本作品故か監督の独自色は薄まっていた印象を受けたが、本作では再び自ら脚本を担当。『ラ・ラ・ランド』の姉妹編のような作品で公開前の期待度は高かったが、全米では興行・批評共にビックリするくらいの大コケ。
実際鑑賞してみると3時間超えの作品故に異様に長いアバンタイトルで繰り広げられるパーティーシーンは歌に踊りにドラッグにセックスとカオス状態でゴージャス。また前半で描かれる映画業界に憧れるまだ何者でもない若者のメキシコ人・マニーとヒロイン・ラロイが、初めての現場で活躍して成果をあげて周りから褒められるという一連のシーンも見ていて楽しい。更にサイレント映画からトーキー映画に移行したことで、それまでの周囲の音声など気にせず外で多くの作品が密集して隣同士で撮影していた現場からマイクの位置や音声を気にするスタジオ撮影となったことで、天丼ギャグのようにNGを繰り返す撮影シーンも愉快だった。
そんなこんなで前半はかなり楽しい本作だが、後半は失速。サイレント映画では大活躍だったブラッド・ピット演じるジャックやラロイがトーキー映画に移行したことで、時代の求める間に対応できずに落ちぶれていく様子やトビー・マグワイア演じるマッケイによってマニーらが地下に連れていかれるシーンなど退屈はしないが、前半ほどの盛り上がり感じられなかった。
- 時代に淘汰された彼ら彼女らと新時代の映画
本作のメッセージはゴシップ記者がジャックに伝えたように「映画に携わったなら、その後自分が死んでも、その作品が上映されるなら自分が死んだ後に生まれた未来の人たちにも影響を与える」的なことなのだろう。そのためマッケイから逃げるためにロスを離れたマニーは、ほとぼりが冷めた頃に家族と共にロスを訪れ、その後一人映画館で『雨に唄えば』を鑑賞して涙する。『雨に唄えば』はサイレントからトーキーへの移行期を描いた作品で、悪役である女優・リナはサイレント時代は映画スターだったにも関わらず、トーキーでは悪声でその地位を失わざるを得なくなった人物だ。
チャゼル監督:『バビロン』で『雨に唄えば』の影の部分、滅んでいったサイレント映画の悲惨さを語ろうとしました。でも同時に映画のロマンと楽しさと美しさを讃えたかった。なぜならその矛盾こそがハリウッドそのものだから。ハリウッド自体が光と闇がせめぎ合う矛盾した存在 https://t.co/AKSQf6zWsW
— ゴミ雑草 (@mjwr9620) 2023年2月10日
おそらくマニーはリナの姿を自らが愛した女・ラロイと自分が映画業界で働くキッカケをくれたジャックと重ね合わせながら自分が映画に携わっていた時代を思い出したのだろう。ラロイとジャックは一つの時代を作ったスター俳優だが、その後の時代の流れにはついていけずに淘汰された。しかしそんな彼ら彼女らが作った映画も、彼ら彼女らがついていけなくなった新時代の映画に影響を与えている。マニーが『雨に唄えば』を観て涙しながら笑った理由は「自分が映画に携わっていた頃を思い出し、それが今の映画にも繋がっていること」に気づいたからではないか、と感じた。
- 「映画史」を描くラスト
ここまでも本作は十分感動的ではあるが、本作はここから昨年『NOPE/ノープ』で注目集めた歴史上初めての映画とも言われる馬の連続写真、リュミエール兄弟の機関車映像、『月世界旅行』『オズの魔法使い』『2001年宇宙の旅』『トロン』『ターミネーター2』『ジュラシック・パーク』『マトリックス』『アバター』など映画史を大きく更新した、つまりはそれまでの映画の常識を過去にしたとされる作品の数々がダイジェスト的に流れる。要は本作のラストでマニーが死んだ後の未来も映画史は更新を続ける一方で、それらの作品は全てマニーらが作っていたサイレント時代の影響下にもあることを伝える壮大な「映画史」映画になっているのだが、ここら辺の描写はやや「あざとさ」を感じるのも事実。SNSの感想を見ても賛否が割れているようで、『ラ・ラ・ランド』のラストが凄く好きな自分としても、今回はややノリきれない、寧ろノリたくないという気持ちもあった。
- 最後に…
ただラストシーンは配信が始まればおそらく定期的に見返すと思うので、何だかんだでこの手のトリッキーな演出は好き。
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