『ミニオンズ』などのイルミネーションスタジオが世界で最も売れたゲームシリーズとしてギネス認定されている任天堂の人気ゲームを3DCGアニメ映画化した『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を観た。
- マリオ、映画への課題
映画「スーパーマリオ」、“自信作”の理由
— ゴミ雑草 (@mjwr9620) 2023年4月27日
→スクリーンにゲームで使っているマリオが出てきて動いて「本当に満足できるかな」/「マリオがなぜ好まれたか」と言えばゲームが面白かったから/映画で一生懸命ストーリーを追いかけても、マリオがお客さんの分身になるわけでもない https://t.co/t3HnV54uNe
『スーパーマリオ』を海外で映画化、というと「黒歴史」扱いされている実写映画版を連想してしまうが、今回はマリオの生みの親である任天堂代表取締役フェローの宮本茂さんが映画の共同プロデューサーを務めているため、その点は安心。また宮本さんは『毎日新聞』のインタビューに制作前「スクリーンに、ゲームで使っているマリオが出てきて動いて、『本当に満足できるかな』」と恐怖感を覚え、マリオが好まれた理由を「ゲームが面白かったから」と分析し、「映画で一生懸命ストーリーを追いかけても、マリオがお客さんの分身になるわけでもない」ことを課題だと考えていた、と述べていた。ここからは「ゲームを映画にする」ことについて真剣に向き合ってた様子が伝わってくる。本作は海外では既に公開済みでゲームの映画化作品としてだけでなくアニメ映画の興行収入としてトップレベルのヒットを記録。アメリカの批評サイト『ロッテントマト』でも批評家支持率こそ賛否が割れていたが、一般観客のレビューは絶賛一色。『スーパーマリオ』の熱心なファンではないが、人並み程度には遊んできた自分にとっては楽しめる一本になっているのではないか、そんな期待を胸に劇場に向かった。
- アクションシーン、思い出とリンク
しかし鑑賞後の正直な感想は「楽しかったけど、批評家からイマイチ評価されなかったのも分かるな」的な気持ち。『スーパーマリオ』という横スクロールアクションゲームの映像化という意味ではお馴染みのゲーム音楽をバックに色違いのキノコで能力を使い分けながら、体重をかけると直ぐに落ちちゃうブロックなど、かつての自分がゲーム画面越しにマリオを操作することで何度も体験してきたトラップの張られたステージを映画の中のマリオたちが攻略していく姿を観ればそれだけで自身の中に染み付いている「マリオで遊んだ思い出」とリンクしてテンションは上がる。これは『マリオカート』パートでの虹のロードを時には緑甲羅を後ろの車に投げてクラッシュさせるシーンも同様だ。そういう意味ではとても愉快な映画だったように思う。序盤の練習ステージでの何度も失敗しながらゴールを目指していくマリオとクライマックス手前の難解なステージを颯爽とクリアしていくマリオの対比はゲームプレイヤーの成長と重なるような構成でゲーム映画として良かったと思う。
- ストーリー面は…
ただ自称「スーパーマリオブラザーズ」が自他が認める「スーパーマリオブラザーズ」になるまでの物語というストーリー面はかなりアッサリ。クライマックスに至っては「スター」で無敵状態だからゲームファンからすると「待ってました!」だけど、知らない人からすると「チート」に見えるかも。ただ「スター」の音楽がアレンジかかりすぎてたのは残念。またそもそものゲームの『スーパーマリオ』は「ピーチ姫がクッパに拐われたからマリオが助けに行く!」以上のストーリーがなく、特にキャラクターのバックボーンとかは語られない一方で本作は映画用に「ニューヨークで配管工事を仕事にしているマリオは仕事が上手くいかず、同居している父親とも折り合いが悪く…」的な知らない物語が語られるので「あっ、マリオ、お前そんな感じなんだな…」みたいな気持ちにもなる。そのためゲームをやっている時みたいな「これは自分の分身」感は薄れてたように思う。そのため共同プロデューサーが制作前に恐れていた点がその通りになってしまった部分はあったのではないか、と感じる。とは言っても、これ言い出すと最早「映画にするな」と同義になってしまうので、「そういう意味ではない」ということは明記しておきたい。ただ本作を観てゲームをやっている時につい口に出しそうになる「イテッ」みたいのはなかった。
- 最後に…
ぶっちゃけゲームのスピンオフみたいなアニメ映画だと思ったが、世間的には好評みたいなので自分がズレてるのかもしれない。いや、本当にアクションは楽しかったんだけど…
- 関連記事