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主人公は犯人→車掌、『日本沈没』に続いて「希望」路線で社会派目線は後退、樋口真嗣監督Netflix映画『新幹線大爆破』感想

『新幹線大爆破』(2025)映画 完全版 HDBD

ネタバレ注意

草彅剛主演、樋口真嗣監督Netflix映画『新幹線大爆破』の「なんで犯人側が主人公じゃなくて、爆発を阻止する側の物語にアレンジしてるんだよ!」的な批判に対する私的見解。

 

  • 新幹線を爆破する側ではなく阻止する側の物語

新幹線大爆破

本作は配信開始前から主演の草彅剛が犯人役ではなく新幹線の車掌役であることから一部では批判的な意見が生じていた。実際、1975年公開の高倉健主演の前作の特徴はこの手のパニック映画にセオリーである「爆発を阻止する側の話」ではなく「犯人側の話」であることが指摘されている。そのため前作が好きな人の中には「主人公側が犯人であるが故の苦味が良いのであって、止める側の話にしてしまったら、それはもう別物だろ」と今回のアレンジに対してネガティヴに捉える人も少なくないようだ。また樋口真嗣監督は『日本沈没』をリメイクした際も、元の作品が持つ「日本人が国を失ったらどうなるのか」というテーマが薄れる「日本の沈没を食い止める話」に変えていたことから、「いや、そういうことじゃないんだよ」と反発する層が一定数存在する。

 

 

  • 『日本沈没』に続きアレンジされた「希望」路線

僕は2006年に映画「日本沈没」を監督しました。小松先生の許しを得て「日本の沈没を食い止める物語」にしました。地震や火山の噴火が頻発する時代にあって、その怖さよりも災害に立ち向かう人間の力、希望を伝えたかったからです。

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樋口:まず、解決する話にしたかったんです。(原作になった)1972年の作品は、犯人も計画通りに上手くいかない。それだけでなく、鉄道会社の人たちも事件への対応が上手くいかない。最後どうなったのか明確には描かれていませんが、国の命令で新幹線を止めろと言われた、というなんともほろ苦い終わり方をしています。結局、誰もがやりきれない。もちろん、それが映画としての深みだったとも思うんですけどね。でも、僕らが作った映画は、関わった人たちが成功する話。全員救われるという話です。それは脚本作る段階からの狙いでした。

後編:Netflix映画『新幹線大爆破』樋口真嗣監督✕佐藤善宏エグゼクティブプロデューサー インタビュー|Esquire日本版独占 

そんな批判もある樋口真嗣監督の『日本沈没』と『新幹線大爆破』だが、インタビューなどの発言を確認する限り、樋口真嗣監督は2作品で「希望」を描くことに強いこだわりがあったことがうかがえる。樋口真嗣監督を擁護するならば、元の『日本沈没』と『新幹線大爆破』が公開された1970年代は高度経済成長が終わりを迎えて「社会不安」や「格差社会」がジワジワと広がるも、まだまだ日本は元気だったのに対して、樋口真嗣監督が両作品を公開した2000〜2020年代は震災やパンデミックなどを経た「明るい未来」より「暗い未来」が共通認識の時代だからこそ「希望」をメインに置きたかった、的な想いがあったのだろう。そのため樋口真嗣監督が将来『日本沈没』『新幹線大爆破』と並び人生のベスト3にあげる『太陽を盗んだ男』をリブートする際には、おそらく草彅剛が刑事役で原爆を止める話になるのではないかと思う。ここら辺は樋口真嗣監督の作家性といえる部分なので、批判派とは平行線を辿ることとなる。

 

 

  • 犯人は死ななければならないのか

前回は爆弾を仕掛けた3人は全員死ななきゃいけなかったけど、今回はどうやって罪を償うべきか?

【草なぎ剛×樋口真嗣】名作『新幹線大爆破』がリブート! スリルの先にある“人間の本質”とは|さんたつ by 散歩の達人

この物語世界における神として、どういうふうに裁くのが一番いいんだろうか、と。

つまりそれが、この映画の社会に対するスタンスになるんじゃないかな……と思ったんですよね。

 (中略)

あの時代に爆弾を仕掛ける人たちの理由があったとします。

それを50年後の、今の世界に置き換えた時に、「同じ人たち」じゃない。なぜなら、もう彼らは、今の社会カーストの中にいないわけですから。

 (中略)

今回、犯人の細部の話は、全くもってもやもやしたまま終わります。

実は、なに一つ解決してないわけですよ、彼女の気持ちとかは。今の自分たちも、彼女が置かれた苦しい立場などに対して、明確な答えは出せないわけです。説教じみた言い回しで答えを出しちゃうことが、むしろ罪なんじゃないかと

【西田宗千佳のRandomTracking】『新幹線大爆破』はこうして生まれた。発想の風船を「割られなかった」理由とは - AV Watch

また樋口真嗣監督は本作を撮る際に「前作のように犯人は死ななければならないのか」との問いを持っていたという。実際、前作の社会の敗者になってしまったことで新幹線に爆弾を仕掛けた犯人が最後に死の運命を迎える後味の苦みこそが、映画の魅力だった反面、現実の問題に置き換えると「どんな理由があっても爆弾テロはダメだけど、社会の敗者になってしまった人たちが社会に復讐を仕掛けた結果、無惨に散っていくというのは『結局、敗者は敗者のまま』で自己責任的で希望がない」とも言える。その意味では本作も約1名全く反省のチャンスもなく爆殺される人間もいるにはいるのだが、「自分の命を殺せば爆弾は解除されて他の乗客は救われる」と投げかけた犯人が、死をもって責任を取らされるのではなく、生きて償いチャンスを与えたのが、樋口真嗣監督なりの社会へのスタンス表明ということになるのだろう。それでいて犯人がそもそも集める気のなかった身代金がクラウドファンディングで達成されたことから、車の外にいる主人公の顔を見ながら何か気持ちに変化がありそうも、それを言語化することなく車の扉がバタンと閉められるラストもウェットに行き過ぎずに、それでいて僅かな希望を感じさせながら前作の余韻の苦味も感じさせる塩梅で良かったのではないか、と思えた。

 

 

  • 最後に…

時は高度成長期が終わった数年後。「経済が急成長して形ばかり繁栄した陰に、取り残される人もいた。その格差が大きくなり始めたころだったと思う」(坂上さん)

愛国の超特急(中) 新幹線網の「精神」 映画「大爆破」で顕在化 | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞

ただ製作陣はインタビューなどで当時と今の新幹線の社会的な立ち位置の違いや前作の犯人が現在の社会的カーストに存在しないことを繰り返し述べているが、前作のプロデューサー曰く前作の時代は「経済が急成長して形ばかり繁栄した陰に、取り残される人もいた。その格差が大きくなり始めたころだったと思う」で、現在ある問題は当時大きなり始めた問題の延長線上にある。そして本作は前作とは違う世界線の完全リブートではなく、前作の続編という立ち位置を取ってるのだから、50年前と異なり社会のインフラとして定着した新幹線を現在の視点を入れながら前作当時から続く社会のメタファーとして再定義しながら「あの頃から変わっていないどころか、もっと悪くなってる!」という趣旨のメッセージを込めて社会派を気取ることも出来たはずだが、本作での新幹線の「象徴」は社会的メタファーではなく私怨レベルに留まっている。エンタメに振り切るならそれはそれで良かったと思うが、前作の続編で尚且つ製作陣が「時代が違う」ことを強調していると、どうしても引っかかってしまう部分でもあった。これが製作陣の社会派目線の限界なのか、JR東日本の特別協力によって、新幹線を負の象徴扱い出来なかった弊害だったのかも気になるところだった。

 

 

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