細田守監督『果てしなきスカーレット』を観た。
- 夏→冬、手描き→3DCG、細田守監督の挑戦
『果てしなきスカーレット』細田守「今まで爽やかな映画と言っていましたが、毛色が違うと感じられるかも/非常に強いまなざしを持って、混沌の世界から希望を見て、果てしない遠くを見ている絵/(セルアニメでもCGでもない)全く別の新しいルックでアニメーションの可能性を〜」 https://t.co/dBvODvWnFF
— ゴミ雑草 (@mjwr9620) 2024年12月23日
細田守監督はフリーになって以降、2006年夏に『時をかける少女』、2009年夏に『サマーウォーズ』、2012年夏に『おおかみこどもの雨と雪』、2015年夏に『バケモノの子』、2018年夏に『未来のミライ』、2021年夏に『竜とそばかすの姫』と3年に1本ペースで夏公開の映画を作り続けていた。しかし前作から3年後の2024年夏には新作映画は公開されず、最新作『果てしなきスカーレット』は前作から4年の時を空けて2025年冬公開となった。そして本作は公開時期がズレただけでなく、これまでの「現実の延長線上のSF、ファンタジー」的な作風から「完全なファンタジー世界」を描く作品にシフトチェンジ。更に絵柄もこれまでの手描きアニメから3DCGアニメ中心へと路線を大きく変えてきた。思えば10年前に宮﨑駿監督の引退表明(後に撤回)を受けて、東宝と日テレからの「ポストジブリ」への期待を背負うかのように作られた『千と千尋の神隠し』を連想させるファンタジー路線の『バケモノの子』、新海誠監督『君の名は。』のメガヒットの後に作られた興行的期待が分散してやや肩の力を抜いたようにも見えた『未来のミライ』、そして自身の代表作『サマーウォーズ』と同じインターネット空間を舞台にヒット映画の法則であるミュージカル要素を盛り込んで興行的にストレートに当てに行ったように見えた『竜とそばかすの姫』、この10年間を振り返っていくと、芸術に安易に壁を設けるべきではないとはいえ、『竜とそばかすの姫』で今の路線の一つの到達点に達した感はあった。その意味で、このタイミングでの新しい路線への挑戦は好意的に受け取りたい気持ちが作品発表段階から強かった。
細田守監督・芦田愛・菜岡田将生がヴェネチアに到着!
— ゴミ雑草 (@mjwr9620) 2025年9月5日
→ 「これまでのプリンセス像のような、王子様に守られるプリンセスではなく、もっと新しい、自分自身で道を切り開いていくようなプリンセス像をこの映画では表現」
「これまでのプリンセス像」が少し古いような… https://t.co/qKV7gggeKS
ただ不安要素も大きかった。まず作品発表段階では細田守監督は絵柄について「(セルアニメでもCGでもない)全く別の新しいルック」と説明していたが、特報映像を観ると「新しいルック」とは『竜とそばかすの姫』のインターネット空間〈U〉を表現していたセルアニメ風の3DCG表現だったので、「新しいルック」を文字通り受け取り過ぎただけなのかもしれないが、「これだと海外なら『スパイダーマン:スパイダーバース』、日本だと『THE FIRST SLAM DUNK』でも使われていた手法だから、これがメインで使われてもな〜」みたいなガッカリ感はあったし、これまでの細田守監督の手描きアニメと比べて純粋に魅力に欠けるように思えた。また絵柄の問題は置いといても、ストーリー面に関しても細田守監督はヴェネツィア国際映画祭でヒロイン像に関して「これまでのプリンセス像のような、王子様に守られるプリンセスではなく、もっと新しい、自分自身で道を切り開いていくようなプリンセス像をこの映画では表現」と自信満々に述べてて、「いや、流石に細田守監督の『これまでのヒロイン像』が古いのでは…」と懸念要素になった。
細田守監督「果てしなきスカーレット」
— ゴミ雑草 (@mjwr9620) 2025年11月16日
→「新しいルックは、ただの技術ではなくて、キャラクターの感情を伝えるための表現/日本でも、以前はジブリの高畑勲監督らが新しい表現に挑戦/今回は最初から世界を意識/経済産業省に技術開発のところで補助金をいただきました」 https://t.co/LmgLeicPRw
ただ個人的には「ハリウッドが手描きアニメを捨てて3DCGばかりの中で、宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』が世界で評価されたように、日本アニメには手書きアニメを突き詰めていって欲しい!」との想いがある反面、細田守監督のような国民的な作家が敢えてこれまでの路線とは異なる3DCGに挑戦をすることは日本アニメの表現の可能性を広げる意味(現に本作の技術開発には経済産業省から補助金も出ている様子)でもやはり価値のあることなのだとも思う。
- 「過去と未来が溶け合う死者の国」と言うが…
果てしなきスカーレット・細田守:復讐劇を作りたい/赦しという要素を加えることで、これまでにない映画に/僕は一つの映画の中で二つの世界を描く/今回は中世の人と現代の人/『神曲』を読んだら主人公は歴史上の有名人に会う。これってタイムリープ/それをより発展させた映画に https://t.co/nAwQAC3erG
— ゴミ雑草 (@mjwr9620) 2025年9月8日
長い前置きになったが、そんな気持ちで本作を鑑賞した率直な感想は「全体的にちょっと困っちゃうような映画だし、純粋なエンタメとして他者に勧めれるような作品ではないし、これまでの細田守監督作品の絵柄と比べても魅力に欠けるように思えたけど、良い映画だとは思った」的な感じ。ストーリーは父親を殺された王女・スカーレットは敵への復讐に失敗して、「生と死」と「過去と未来」が溶け合う「死者の国」に送られ、そこで出会った現代日本(近未来?)から来た看護師・聖と共に亡き父親が死に際に残した「赦せ」の真意を探りながら復讐を成し遂げようとする物語。細田守監督曰く、本作はダンテの『神曲』で主人公が歴史上の人物に出会うことから「これってタイムリープ」と発想を得て、違う時代を生きる男女が出会う物語を構築した様子。ただその割には人種のバリエーションも時代のバリエーションもほぼないに等しい。
渋谷のスクランブル交差点にクジラが現れる印象的なシーン。実は最初の絵コンテの段階では、クジラは地表に出ていたのですが、新しいコンテでは”影”になっていたそうです。 pic.twitter.com/uEuFr41GwN
— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) 2025年11月14日
多種多様な時代の異なる人々が集まる画面を作れる設定を作っておいて、聖を除けば「過去と未来が溶け合ってる空間」感が皆無なのは結構残念。「インフルエンザの時に見る悪夢みたい」的な感想を見かけたが、「いや、この設定で『スパイダーバース』的な3DCGなら、もっとヤバい画面を作れただろ!」と物足りなく思える。またスカーレットが幻視する渋谷のダンスシーンも愉快ではあるが、『バケモノの子』後半の闇クジラとのバトルが描かれた夜の渋谷の魅惑や密度にはかなり劣る。「全然違うシチュエーションのシーンだから好みの問題だろ」と言われればそれまで(追記:「スカーレットの幻視した祝福だから、実像的に曖昧で映像的にも淡い色彩」との意見を見て「なるほど」とも思った)だが、これは「死者の国」のビジュアル全体にも当てはまることで、映画館の大スクリーンと音響に相応しい見応えはあるが、過去の細田守監督作品で自身が魅了された世界観と比べると、個人的には没個性感(追記:ただ予告編とか静止画とか改めて観て思い返すと、普通に魅力的で上方修正気味)はあった。
- 「復讐」と「赦し」、罪償わぬ悪には…
『ハムレット』を読むと父親の亡霊が息子ハムレットに「赦すな」と言いますよね。その言葉から復讐劇が始まるわけです。でも、もし父親が逆のことを言ったらどうなるのだろうかと考えたんです。
(中略)
復讐のサイクルを続けていては、結局際限がなく終わらない。どちらかが「赦す」という行為を選ばなければ、その連鎖を断ち切ることはできないという問題があるわけです。
本作のテーマは「復讐」であり、細田守監督は「誰かが『赦す』行為をしなければ、復讐の連鎖は止まらない」との問題意識を持っている模様。そのためスカーレットが仇役・クローディアスを「赦す」展開が描かれるのは目に見えていたのだが、スカーレットはクローディアスを赦そうとするも、クローディアスはスカーレットと和解するつもりは全くなく、スカーレットが『新世紀エヴァンゲリオン』のシンジ並の精神モードに入って、自分が一番許せずに怒りを抱いている相手が自分自身だと気づくことで、父の「赦せ」の真意に気づいて、スカーレットの心に癒しの雨が降って救われる、的な描写はベタながらジーンときた。また「スカーレットはクローディアスを赦すも、クローディアスが改心しない状況で、どうやって物語的なケリをつけるのかな」と思っていると、クローディアスは上空を漂う巨大な竜からの雷に打たれて死亡した。
古市 具体的に、煉獄はどういう場所なんでしょうか。
原 煉獄で贖罪をして、罪を清めると天国に行ける。天国に行くための矯正施設といったところです。
古市 じゃあ、どういう人が地獄に落ちるんですか。
原 確信犯的にその犯行を選んで、かつ俺は悪くないと言い張れる人間だけです。
「なんじゃそりゃ」と思う人もいるかもしれないけど、ダンテの『神曲』は「煉獄で贖罪して罪を清めれば天国に行けるけど、罪を認めずに悪に開き直ると地獄に落ちる」みたいな印象があったので、「贖罪意識が全くなかったクローディアスは天の裁きを受けた」という神話的な解釈が出来たことで、納得感はあった。このテーマなら「クローディアスにはクローディアスなりの事情があって…」みたいな展開の方が観客の納得度は高いだろうし、ストーリーとしても綺麗に収まるのだろうけど、「復讐の連鎖を止めることは未来の争いをなくす希望に繋がるけど、どうしようもない悪はいる」「ただそのレベルの悪には天罰が降る」というのは、良くも悪くも細田守監督作品らしい感じ(細田守監督はインタビューで「良い奴が悪い奴を倒すではなく〜」とか全然違うことを言ってるが…)はする。
- 最後に…
細田「倫理観や肯定感なんて言うと『薄っぺらい』とか『きれいごとを』とか批判も受けるが、それは耐えていかないと。」
正直、「『なんでみんな日本語喋ってるんだよ』とか野暮なツッコミしたくないけど、ファンタジー空間の設定とか物語の展開とか『ここら辺、何となく雰囲気で分かるでしょ?』と観客に忖度させるような感じになっていて、毎度のことながら脚本をもっと練って欲しい」とか「聖はそのキャラで普通に人を殺して、その件を悔やんだりもしないんかい!」とか「通り魔には通り魔のバックボーンがあるのかもしれないけど、スカーレットの『復讐の連鎖を止めて、未来の争いをなくして、聖がおじいちゃんまで長生き出来る未来を作る!』でバタフライエフェクトが起きる感があまりにも乏しくて、同じラストの『時をかける少女』と違って微妙な気持ちになる」とか「意図してないんだろうけど、『オマツリ男爵』で原作のメッセージと正反対のことやった人が、ここに来て今更の「『生きたい』と言え!」「生きたい!」とかモロに『ONE PIECE』を連想させるクライマックスをやっていて苦笑い」とか言いたいことは山ほどある。また細田守監督が「復讐」云々について自説を「普通の人は中々辿り着けない境地の見解」くらいのノリで話しているが、「刑事ドラマで『あの人はあなたに復讐なんて望んでなかったと思う』と諭して犯人が泣き崩れるはお約束だし、『復讐の連鎖を止める』的なのも結構前に『NARUTO』で読んだ記憶が…」みたいなことも思ってしまい、何となく「うーん…」という気持ちになってしまう。ただそれとは別に細田守監督がこれまで「理想の青春」「理想の大家族」「理想の母親」「理想の父親」「理想のインターネット」を描いてきたように、今回は「理想の平和な世の中の作り方」を描いたのだとしたら、「平和への第一歩目はまずみんなで楽しく歌って踊ろう!」というあまりにも理想論過ぎるけど、そうした理想論を堂々と大金かけた超大作映画がメッセージとして放つのも、「それはそれでいいんじゃないのかな」的な気持ちになっている。
- 追記
「理想論的メッセージが『薄っぺらい』のではなく、その劇中のプロセス含めた描き方などが『薄っぺらい』」という意見にも同意ではある。前述したように、細田守監督の復讐に関しての持論が割と普通なのに、本人は「新しい切り口」みたいな認識っぽい。そのため「これが綺麗事だとは分かってる、でも…」的な展開もなく、何の捻りもないお花畑的な発想をそのまま見せられている感があった。それ故に「薄っぺらい」という感想を持つ人が多いのだろうな、とか思った。
- 追記2
細田守監督はコロナで入院した際に看護師によくしてもらったことで、スカーレットの復讐心を溶かす希望の役回りである聖の職業を看護師にしたらしいけど、これまでのコンプレックスの反動故の憧れをベースにした「理想の××」と違って、今回は純粋な感謝故の憧れをベースにした「理想の看護師」なので、職業的な役割と彼自身の人間性がイコールの「綺麗事の権化」みたいな魅力のないキャラになってしまっているように思えた。しかも上述したように、謎に人殺し(虚無送り)描写もあって、よりよく分からないキャラに…
- オマケ
これまでの細田守監督らしからぬ赤ベースのシーンで物語が進むも、ラストは細田守監督らしい青ベースのシーンになって「開かれていく感じ」が演出されている構成は良かった。
- オマケ2
先月発売されたゲーム『Ghost of Yōtei』もHD-2D版『ドラクエ2』も「復讐」をテーマにした作品で、先日配信開始されたギレルモ・デル・トロ監督のNetflix映画『フランケンシュタイン』も「赦し」がテーマだったので、最近そんな作品ばかり触れてる。ちなみに現在フジテレビで放送中の三谷幸喜脚本のドラマ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』もシェクスピアが作品のコアに深く関わっているなど、何故か色々と重なってきた。
- 関連記事


