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「かぐや姫の物語」の「姫の犯した罪と罰。」の意味を解説![高畑勲監督作品]

かぐや姫の物語 [DVD]

[注意]このエントリーは「かぐや姫の物語」の重大なネタバレに触れています。

今回は高畑勲監督の遺作となった「かぐや姫の物語」の「姫の犯した罪と罰。」を「憧れ→絶望→受け入れ→死」の順で解説します。

 

  • コピーと本編の関係

ジブリの仲間たち (新潮新書)

ジブリの仲間たち」という本によるとこのキャッチコピーはスタジオジブリのプロデューサーである鈴木敏夫が本作の企画書を読みながら「罪と罰」という言葉が浮かび「姫の犯した」というフレーズと合わせればインパクトのある言葉になると考えついたキャッチコピーです。しかし高畑勲監督はこのコピーに反対します。理由は当初の企画では「罪と罰」をテーマにする予定だったが、製作を続けるうちにこのテーマは上手くいかなかったからという理由でした。しかし鈴木さんはこのコピーでポスターや予告編を作り出します。すると高畑勲監督は宣伝と内容が一致しない事に不安を覚え本編の内容を変え始めたと書かれています。つまり最初に企画してたテーマを諦めたが、その最初のテーマをベースにしたコピーに合わせるために最初のテーマに戻したのです。鈴木さんのやり方はいつもメチャクチャだけど結果論作品にプラスになっているので心底感心します。

ジブリの仲間たち (新潮新書)

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  • 憧れ

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かぐや姫は月の住人ですが、地球に憧れます。月で地球に憧れる行為は汚らわしいことなのでかぐや姫は罰として地球に月の記憶を無くした状態で墜とされます。そこで自然に触れて楽しく生きます。時には他人の作物を盗んだり、動物の命を奪いながら…

 

  • 絶望

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翁は竹の中からお金が出てきたことでかぐや姫は都の姫になるべきと山から出ます。かぐや姫は大きなお屋敷で大はしゃぎすると、とても怒られたのでヘコみます。さらに祝いの席で悪口を言われ、逃げ出します。月がとても美しく象徴的に描かれているのも地球の汚れとの対比に捉えられて残酷だ。このシーンは特報段階では叩かれまくってたけど、かぐや姫の気持ちの暴走を描いた名シーンの1つだ。

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かぐや姫は桜を見て大喜びで、桜と共に踊ります。しかし桜に夢中で踊っているかぐや姫とぶつかった子供の親に土下座されます。彼女の心は壊れ始めます。

彼女は自分の庭に昔住んでいた山を再現します。この庭を見ると彼女の心は落ち着きます。しかしこの庭は完全に彼女の闇を表しています。彼女に言い寄る求婚相手は綺麗事を言うだけの口先野郎で相手の見た目で判断する女泣かせの男でした。かぐや姫は人間の汚れに触れ続けます。その上自分の為に一番真剣に頑張ってくれた人は自分の無理難題のせいで命を落としてしまいます。

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かぐや姫はショックを受けて自分の山を再現した庭を「偽物!偽物!全部偽物!」と泣き叫びながら壊していきます。彼女の心は完全に壊れます。その後かぐや姫は好きでもない帝に強引に抱きつかれ、自分と結婚することが一番な幸せと説かれます。彼女の心は限界を迎え、月に助けを求めてしまいます。つまり彼女は憧れていた世界の汚れの部分に触れ過ぎたことで絶望をしてしまい地球で生きることを辞めたくなったのです。これは人間にとして生きることを辞めることを望んでしまったことを意味します。そして憧れの地で過ごさせ、その汚れに触れさせることでその地へ絶望させることが月からの罰だったのです。

 

 

  • 受け入れ

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人間に絶望したかぐや姫は月に助けを求めてしまいますが、記憶が戻ることで何故地球に憧れたのかを思い出します。彼女が地球に憧れた理由は月には無い鳥や獣、草・木・花と触れ合い切磋琢磨することこそ「生きる喜び」だと感じ憧れたのです。

そして彼女は人間の汚れである辛い部分も含めて「生きる喜び」として受け入れて地球で生きることを再び望みます。

 

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そんなかぐや姫の気持ちは関係なく月からのお迎えはやってきます。

1000ピース ジグソーパズル 阿弥陀二十五菩薩来迎図 (50x75cm)

このお迎えは「阿弥陀二十五菩薩来迎図」をモチーフしています。「阿弥陀二十五菩薩来迎図」とは仏教で臨終の際にあの世から迎えに来る25人の菩薩です。つまり月の世界は死後の世界であり、月に帰ることは人間としての「死」を意味します。

人間たちはかぐや姫を守るために戦おうとしますが弓矢は花に変えられてしまい、兵士たちは皆眠らされてしまいます。この描写はとても愉快な音楽が流れながら行われるため「ふざけたシーンだ!」と怒ってる人もいるようですが、月の住人からするとそれだけ人間は取るに足らない存在であることと、絶対的に避けられない死を描いているとても悲しいシーンです。

元が月の住人であるかぐや姫はその力に逆らえないことを知っているため、お迎えに抵抗することなく全てを諦めてしまった哀しい目をしながら月の住人に連れ去られてしまいます。

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「月の羽衣」を纏うと地球での記憶を全て消えてしまいます。つまり彼女は地球に憧れたことも地球での楽しい思い出も辛い思い出も、汚れも受け入れ再び地球で生きたいと思った気持ちも全て忘れてしまいます。

そしてかぐや姫は月に帰る(人間としての人生を終えて)物語は幕を閉じます。これはかぐや姫という特殊な人生でなく誰の人生にも当てはまることです。過去の選択を後悔し、憧れてた世界の汚れを知り、時には死を望んでしまう程絶望する… そんな人間は多いと思いますが、それでもその汚れを受け入れ、やり直せるチャンスがあるならそれは「生きる喜び」なのかなと考えさせられました。

ラストで記憶を失ったかぐや姫が宇宙から地球を見て理由も分からず何故か涙を流す姿はとても悲しい… これからかぐや姫が月から地球をみる度に意味も分からず涙を流し続けるのかと思うと不憫でしか無く、これ以上の罰ば無いだろう。これは月側が想定している以上のダメージを与えることになっている。果たして本当に悩みも苦しみも無い世界が幸せなのか?かぐや姫が見つけた「生きる喜び」はそこには無くかぐや姫本人も既に忘れている…

ちなみ本作は「金曜ロードshow!」でテレビ初放送された際のエンドクレジットは劇場版のものと異なり今までのかぐや姫の人生を振り返るダイジェストが付いている。これは彼女に幸せになって欲しかったと強く思わせてくれるし、「人間として生まれ死んでいくまでの物語」だったということが暗示されるので本編の黒バックのエンドクレジットより好き。個人的にはかぐや姫が最後に見た走馬灯だと解釈してる。まぁ、走馬灯なんて見る暇なく月の羽衣被せられてたけどね… 再度繰り返しますが、既に地球で過ごしたエンドクレジットの様な思い出はかぐや姫には既にありません。これがまた悲しい…

 

 

[注意]ここから下は「風立ちぬ」のネタバレに触れてまいます。

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かぐや姫の物語」は宮崎駿監督の「風立ちぬ」と同じ2013年公開作品だ。

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風立ちぬ」のラストは人生を賭けて美しい飛行機を作ろうとした主人公の作った飛行機(零戦)は戦争の道具として使われて1機も帰ってこなかったことが語られる。

さらにその美しい飛行機を一番見せたかった妻は既にこの世を去っていた。そのため主人公はカプローニからの「君の10年はどうだった?」と問いに「散々だった」と答える。彼には最早これから先を生きる理由はなかった。

そんな絶望の中でも彼は生きなくてはならなかった。どんな辛い中でも… これは「かぐや姫の物語」は真逆のラストだ。しかしどちらも観た人には強く「生きたい」と思わせる共通のラストに解釈できる。個人的には「風立ちぬ」のラストのが好きだ。

 

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ちなみに「竹取物語」の再解釈で言えば市川崑監督がメガホンを取り沢口靖子を主演に迎えて、総製作費20億円を注ぎ込み東宝創立55周年記念超大作としたら公開された「竹取物語」だ。これは「かぐや姫は宇宙人だった!」という解釈で月からのお迎えが完全に「未知との遭遇」のUFOをモチーフにした珍作だった。

竹取物語

竹取物語

 

 

色々と舐められがちな本作ですが、誰の人生でも起こりうることが描かれた傑作だと思います。それにしても「竹取物語」の主人公の感情を描くという発想は知ってしまえばもっと昔に誰かがやってても不思議ではない発想だと感じます。しかし実際形にするのはとても難しいことなのだなと感じたのと同時に思いがけないところにまだ見ぬアイデアがあるのではとも感じさせてくれた作品でした。オススメです!