細田守監督『果てしなきスカーレット』の感想が「?」となりがちな理由を考える。
- メッセージは「復讐の連鎖は悲劇」
ひょっとしたら『世の中には良いやつと悪いやつがいて、悪いやつを倒したら幸せ』という単純な構図ではなく、それぞれに正義があって、ある復讐が果たされた時、それはまた別の復讐劇の始まりに過ぎないとすると、結局、復讐の先に続くのは悲劇でしかないのではないか、という思いに至りました
細田守が『果てしなきスカーレット』に込める思い「若者の不安に寄り添いながらも力になるような映画であってほしい」 - エンタメをもっと楽しむWebマガジン「J:magazine!」
本作のメッセージは「復讐は復讐の連鎖を生み、争いが続いてしまうので良くない」であり、それをこれまでの『時をかける少女』や『未来のミライ』の「個人的なテーマ」から王国の王女を主人公にすることで「世界的なテーマ」まで視座を高めることで、「反戦メッセージ」を伝えている作品となっている。そのため本作では観客サイドに「スカーレットが復讐を成し遂げると、新たな復讐の火種を生んでしまうから、スカーレットは復讐をやめるべきだ」と思わせる物語的展開が必要となる。この手の「復讐の連鎖を止める」系の物語だと「復讐相手に自分よりも幼い子供がいて、その子供に自分のような復讐の道を歩ませないために、復讐をやめる」辺りが定番な気もする。
- 観客的には赦す気になれない復讐相手
他にも細田守監督の「それぞれに正義があって〜」みたいなインタビュー内容を踏まえると、「復讐相手のクローディアスにもクローディアスなりの事情があり、彼が父親を殺した背景には復讐の連鎖があったことに気づき、スカーレットはその連鎖を自分の手で止めるために復讐をやめる」的な展開が想定され、このパターンでも観客は「復讐をやめる選択」に理解を示せただろう。ただ実際の作品では細田守監督のインタビューでの発言に反してクローディアスは最後まで自分の罪を悔い改めない悪者なので、観客的には「コイツを赦す必要はなくね?」みたいな気分になり、スカーレットの復讐をやめる選択が飲み込みにくい。
- メッセージを素直に受け取りにくい展開
しかも最後まで同情の余地が全く湧いてこないクローディアスは上空を漂う巨大な竜の雷による「天の裁き」を受けて虚無送りとなる「勧善懲悪的な結末」が描かれるので、スカーレットの選択とは別に劇中では「赦されない存在」として天罰を受けるので「復讐の連鎖」云々のメッセージとも食い合わせが悪い。その上、現世に戻ればまだまだ腹に一物抱えてそうな母親の存在もあり、「スカーレットの選択によって、復讐の連鎖が止まった」感も薄い。そのため本作は明確なメッセージに対して、物語の展開的に作品の持つメッセージを素直に受け入れにくい心理を生み出しているので、鑑賞後に「うん… なんかよく分からなかったね…」みたいな微妙な感想になりがちなのだろう。
- 最後に…
細田守監督単独脚本作品以降は「やりたい展開に対してのプロセスが雑だから、脚本をもっと練って欲しい」との要望がつきがちだが、本作もそれに当てはまるのだろう。
- 関連記事


