山崎貴監督『ゴジラ−1.0』のラストの敬礼についての話。
- 山崎貴監督、敬礼の意味は「神を鎮めたから」
本作は公開当時からラストの敬礼シーンについて「あれは誰に対して何のつもりでやってたの?」と話題になっていた。これは山崎貴監督が撮影後に書き下ろしたという小説版を読むと「ゴジラに向かって敬礼を始めた」と主語がハッキリしており、その理由についても「それは三年前まで戦争に身を投じていた男達の、最大の鎮魂の表出」「思えば、この獣は人間の愚かさによって焼かれ、その姿形を醜く変容させられた被害者(これがアメリカの原爆実験のことを指しているのか、海神作戦のことを指しているのか、その両方を指しているのかは不明)ともいえる」と記されている。また音声ガイドのコメンタリーでも山崎貴監督はラストの沈みゆくゴジラのカットはVFXスタッフに対して「宗教画がやりたい」と何度もやり直しをさせたといい、敬礼の意味についても「神々を鎮めたんだからね、殺したっていうより… 神を鎮めたから…」「あと、まー、日本軍は健闘した相手に対しては敬意を持って…」みたいな説明をしていた。
- 「神殺し」でもあったゴジラ討伐
モンスターであり神様であることが、日本のゴジラの特徴だと思うんですよ。ゴジラは「もののけ姫」に登場する「タタリ神」なんです。そもそもアメリカの核実験で目覚めたものが日本をめちゃくちゃにするって、冷静に考えるとおかしな話じゃないですか。でも、タタリ神だと捉えれば納得できる。タタリ神の襲撃を、みんなで鎮める話。
実際、山崎貴監督はパンフレットでゴジラについて「神様と生物(野獣)の両方を兼ね備えた存在」、インタビューでも「ゴジラは 『もののけ姫』に登場する『タタリ神』」と語っており、「ゴジラ=神」との認識を示している。また上述した小説にも沈みゆくゴジラに対して「もしかすると人間がやってはいけないことを、彼らは成し遂げてしまったのかも知れなかった」と記されている。つまり本作のゴジラ討伐は「害獣駆除」であると同時に「神殺し」であり、愚かな人間の都合で焼かれた「荒ぶる神」を鎮めた戦争経験者の彼らにすれば、その対象を討伐したことに対して「喜ぶ」のではなく「敬意」を示すのが「日本軍人としてのあるべき姿」、という戦中・戦後ロマンが描かれていたということなのだろう。
- 結構酷い目にあってるマイゴジ
この敬礼シーンについてはSNSでは賛否が大きく割れているシーンの一つという印象を受けるし、個人的にも山崎貴監督の意図を知った上で色々と思うところがあったりもする。ただ本作のゴジラは同じ日本なのかもしれないが、大戸島という住処をおそらく勝手に飛行場にしていたであろう日本兵にいきなり銃撃されたり、海を泳いでいたらアメリカの核実験で被爆したりと結構酷い目にあってるにも関わらず、劇中では自らを鼓舞するためとはいえ自分たちも他者の土地を踏み荒らしたのに、自分たちの土地がゴジラに踏み荒らされると「戦争に比べれば大したことない!」「この国守れるのはオレたちしかいない!」「さあって、いっちょやってやりますか!」のノリ(あそこには敷島以外、大切な人を失った人とかはいないのだろうか…)で戦闘行為が正当化されながら倒される「主人公・敷島らの戦争のトラウマやコンプレックスを克服するためのモンスター」みたいな扱いで「なんだかな…」と思っていた(しかも「神を怒らせたキッカケとして日本の加害面も強調した方が良かったのでは…」という意見には「政治性はいらない」との反論が目立ち戦争描写の視点とは別に純粋に「ゴジラ可哀想みたいな気持ちは全然ないんだな…」「一方的に倒される存在としてゴジラが求められてるんだな…」「というか、山崎貴監督自身がインタビューや小説版で海神作戦含めてゴジラは人間の愚かさによる被害者だと主張しているのに全然伝わってなくないか…」と残念に思っていた)自分にとっては、最後に彼らがゴジラに対して敬礼をするのは山崎貴監督の意図とは若干異なるのかもしれないし、そのロマンに浸りきれない部分もあるが、どちらかというと肯定的な印象を持っている。これは自分が「ゴジラ=絶対的かつ神秘的、それでいて人間の愚かさを炙り出す存在」という認識が強いタイプなのも影響しているかもしれない。
※「今回のゴジラに神秘性は感じなかった」「あのゴジラから神秘性を感じたのなら、それはこれまでのゴジラシリーズの積み重ねからメタ的に見ているだけ」という意見にも「確かにな…」とは思う。個人的にもゴジラが敷島の乗る震電をパクッと咥えようとしたシーンとか「結構動物っぽい動きするんだな…」と思ったし、今回のゴジラ討伐にあたった戦争の生き残りの大半は大戸島で日本兵が発砲して刺激した(劇中の描写の印象と異なり山崎貴監督は「他の日本兵が撃ったのが悪い」と明言)ことも、アメリカの原爆実験で巨大化したことも知らないから、彼ら視点では一方的かつ理不尽に日本を襲ってくる生物に対して「そんな敬意を示したい相手か?」感もあった
※ラストの「もしかすると人間がやってはいけないことを、彼らは成し遂げてしまったのかも知れなかった」と冒頭の大戸島で敷島が感じた「そもそもこの生き物は、人間がどうこうしていいものじゃない」(小説版参照)を上手く物語として繋げて(というか、普通冒頭とラストって繋げない?)「そもそもあの生き物は日本が怒らせてしまったのかもしれない…」みたいな含みを強調出来ていたら、「人間の身勝手さによるゴジラの被害者性」及び敬礼をもっと観客に伝わりやすくなったのではないか…、とも感じた
- 最後に…
ただ敗戦で不能感に陥った男たちが再び船に乗り、善戦したことに対して酔いしれてるようにも見えたし、「やはり敵であっても相手をリスペクトする旧日本軍は素晴らしかった」的な感想を見ると「…」とも思う。勿論、そういう部分が「なかった」と全否定したい訳ではないし、架空戦記のロマンとしては良い演出だったようにも思う。でもナベツネとか戦争経験者の想いを知ると、やっぱり安易に美化して良いものではないな、と改めて感じたりもした。
- 関連記事