ネタバレ注意
山崎貴監督『ゴジラ−1.0』はラストで死んだと思っていた典子が実は生きていたが、その首筋には黒い痣が浮かび上がってきた…、という意味深な終わり方をする。
- 山崎貴監督「なぜ典子は死ななかったのか」
「明言は避けたいと思いますが、なぜ典子はあんな目に遭っても死ななかったのかということですね。最後に月島を典子と会わせてあげたかったんですが、いかにも的なハッピーエンドにはしたくないので、ああいう形で典子を生かしたと。やっぱりゴジラが戦争や核の象徴である以上、死にはしませんでしたがこの先幸せだけが待っているわけじゃない。ハッピーエンドは嫌だけど、バッドエンドにもしたくないという着地点です」
『ゴジラ-1.0』山崎貴監督に読者の疑問をぶつけてきた!背びれギミックの創作秘話から、ラストの首模様の意図まで次々回答!|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
この痣の意味について山崎貴監督は明言を避けるも「なぜ典子はあんな目に遭っても死ななかったのかということですね」と述べている。
- ゴジラに再生能力、典子に組み込まれた可能性
実際、典子は物語中盤のゴジラの熱戦による爆風で吹き飛ばされており、普通はあの状況で生き残っているとは考えにくい。しかし典子は物語終盤で眼帯や包帯などはあれど割と綺麗な状態で生きていたこと(痣の件は撮影日の段階でも正式決定ではなかったようなので、ただ単に手抜きな可能性もあるが…)が判明する。そのため山崎貴監督の「なぜ典子はあんな目に遭っても死ななかったのかということですね」発言と合わせると、今回のゴジラは再生能力があったので、典子の身体にゴジラの細胞等が混ざり、死んだはず、もしくは死にかけていた彼女の細胞も再生して生き残った、という見方が出来る。実際、銀座襲撃直後のラジオニュースの音声で「銀座各所には巨大生物から剥がれ落ちた肉片と見られるものが発見されており〜」という趣旨の報道がされていたので、吹き飛ばれたタイミングで典子に混入したと見るのが妥当だろう。
【追記】音声ガイドで山崎貴監督はラストの病室で典子を見て明子は敷島に対して「この人違うよ…」と怖がっている表情のテイクを使った、「明子は何かが混じっていることが分かっている」という趣旨の解説をしていた
- 終わらない戦争と核の恐怖の暗示か
『ゴジラ−1.0』候補入り「衝撃的」 米アカデミー賞、山崎貴監督 | 共同通信
— ゴミ雑草 (@mjwr9620) 2024年2月17日
→ ゴジラが核兵器のメタファーであることが忘れられつつあったと指摘し「そのことを思い出してもらうのが大きなミッションだった」と強調#ゴジラ #ゴジラマイナスワン https://t.co/E6tYIbryaw
また山崎貴監督は「ゴジラが戦争や核の象徴である以上、死にはしませんでしたがこの先幸せだけが待っているわけじゃない」とも述べている。戦争は勝っても負けても、常に新たな戦争の始まりと隣り合わせなので、敷島が「自分の戦争は終わらせた」と思っていても、典子の痣をもって「実はまだまだ終わってない」という形を示したかったのかもしれない。また核については「ハリウッド映画は核を大きな爆弾くらいにしか捉えてないのではないか」という批判をされがちだが、本作はラストで痣を浮かび上がらせることで「核の被害は被曝直後だけでなく、その後年月を経てから症状が現れるケースもあり、生き残ってもその恐怖と隣り合わせで生きていくことが強いられる」ことを暗示することで、世界で唯一の被爆国の作る映画として矜持を見せたのかもしれない。
- 最後に…
最後に本作で敷島と典子が再開した際に劇場内からは啜り泣く声が多かったが、朝ドラ『らんまん』効果で「2人が同じ空間にいるだけで泣ける」レベルで出来上がっていた人も少なくなかったのではないか、とか思った。
- 追記
笠井アナがネット上でも話題となっていた「浜辺美波さんの首にある黒いアザは、ゴジラ細胞?」とのラストシーンについて山崎監督に質問。山崎監督が「そうです」と認めると、会場に詰めかけたゴジラファン数千人からどよめきと拍手が巻き起こった。
浜辺美波の「あの秘密」が明かされた 映画「ゴジラ×コング 新たなる帝国」のイベントで笠井アナが直質問― スポニチ Sponichi Annex 芸能
山崎貴監督は「黒い痣」を「ゴジラ細胞」だと認めた。
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