スポンサーリンク

広島・長崎の被害の直接描写なしが日本で物議のクリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』と『風立ちぬ』とNHK

【大判】映画ポスター 海外版 オッペンハイマー (68.5 cm x 101.5 cm) APMPS-GB19465 [U.S. Made Poster]

ネタバレ感想

クリストファー・ノーラン監督が「原爆の父」を描いた映画『オッペンハイマー』を観た。本記事では公開前から日本で物議を醸していた「広島・長崎の被害の描写がない」という点について3視点から私的見解を書いていこうと思う。

 

  • 広島・長崎の直接描写なし、劇中では自然な流れ

米IndieWireによると、2023年7月22日、ノーランはニューヨークで開催された上映後の座談会に参加。広島・長崎を直接描かないという判断は、この歴史的災禍を作品から除去する狙いではなく、あくまで主人公の一人称目線にこだわるためのものだと強調した。

「私たちは当時の彼(オッペンハイマー)よりもはるかに多くを知っています。しかし彼は、当時の世界の人々と同じく、広島と長崎への爆撃をラジオで知ったのです」。

『オッペンハイマー』広島・長崎への原爆投下は描かれない ─ 「この映画はドキュメンタリーではない」とノーラン監督 | THE RIVER

ノーラン監督は本作で広島・長崎の被害を直接的に描かなかった理由について「この歴史的災禍を作品から除去する狙いではなく、あくまで主人公の一人称目線にこだわるためのもの」と説明している。自分は鑑賞直前までこの説明に対して「広島・長崎をオッペンハイマーが観てないから映さないというのは分からなくもないけど、既に観た人の話によると被害の報告を映し出すスクリーンの内容も映してないらしいし、この説明だと説明し切れてない感があるのではないか」と思ったし、鑑賞中も広島への投下が判明するシーンが来るまでは「一人称視点で『観てないものは映さない』という割には元カノの死亡シーンとかを幻視したりとかして、実際に観てない瞬間も結構映しているな…」「それとも元カノの部屋は構造が分かっているから、想像しやすい反面、広島・長崎は見たことないから具体的に幻視することも出来ないということなのだろうか…」みたいなことも頭に浮かんだりもした。ただ実際の広島への投下が判明するシーンはオッペンハイマーがいつ日本に原爆が投下されるのか不明な状況でその報告をヤキモキしながら待っている中でラジオを通してその事実を知った、というシーンになっていたので、「広島への原爆投下の描写を敢えて避けた」みたいな不自然さは感じなかったし、仮に自分が本作を前情報なしの真っ新な状態で観たとしても「あっ、こういう演出で広島にはカメラは向かないのね…」みたいなことは少なからず感じただろうが、その演出を持って「やっぱりアメリカ映画で広島の被害は描けないか…」みたいなことはそこまで思わなかっただろうし、特に違和感なく自然な流れとして受け止めたのではないか、と想像する。「オッペンハイマーが被害報告のスクリーンから目を背けるシーン」も鑑賞前は「別に『映せ』と思っている訳ではないけど、そこは映せたんじゃないの?」みたいなことを思っていたが、実際のシーンはオッペンハイマーの顔のアップかつ後述する幻視シーンの後だったので、こちらも「映さないこと」が自然な流れに見えた。

また本作に対して「間接描写だからこそ想像させるモノがある」みたいな意見も事前に認識していたが、「間接描写」という意味ではオッペンハイマーが広島投下の事実を認識した後に幻視した内容は(正直、ノーランの娘が演じているという役者の顔が爛れるシーンは事前の想像を下回ったが、それにも関わらず全体としては)想像以上に過激かつ直接的でもある辛いシーン。中には「加害者の視点の映画を作るならまず被害者の視点を大事にすべきで今回の作品の描写では不十分だ」という意見もあるようだし、そういう見方もあるとは思うが、(もちろん、仮に被害の描写をシッカリと描いたバージョンがあって、それと見比べた際にどっちが良いと思うかは分からないし、もしそうした描写があったとしたら「なかった方が良かった」と感じるとは思わないが…)個人的には今回の描写でも十分だと思った。他にも「トリニティ実験場周辺の米国人被爆者への視点がない」という批判も含めて「別に映画は社会科の教材じゃないからな〜」と思うので、必ずしも描く必要はないのかな、とも感じる。当然人によっては「そこを描くという判断が出来ない作品は評価できない」という見方もありうるのだろう。ただ明確な被害描写があったらあったでその描写の是非や有無を巡って議論の対象になっただろうから、この手の題材はそうした目線から逃れられないのし、それが責務みたいな面もあるのだろう。何はともあれ、実際に自分の目で見てみない限り、自分がどう感じるかなど、他者からの伝言情報だけでは分からない所はあるんだな、と再確認させられた。

 

 

  • アメリカ社会と核兵器

第二次大戦終結70年にあたる2015年の世論調査によると、広島と長崎への核兵器使用について「正当化される」と答えた人は、日本で14%だったが、米国では56%。逆に「正当化されない」と答えた人は、日本で79%だったが、米国では34%だった。

米国では95年、スミソニアン博物館が被爆資料の展示を含めた原爆展を企画したものの、退役軍人団体などによる反対で事実上の中止に追い込まれた。

バーベンハイマーの必然 米国が描く原爆の限界 | 風考記 | 西田進一郎 | 毎日新聞「政治プレミア」

今回のG7首脳の資料館訪問の様子は、一切非公開だった。首脳らは被爆した人たちの写真や遺品がある本館には足を運ばなかった。複数の日本政府関係者は「大統領に悲惨なものは見せられないという『忖度(そんたく)』が日米両政府にあった」と明かした。

広島訪問時に米軍の最高司令官でもあるバイデン氏が悲惨な被爆の現実を目にし、仮に「核廃絶」などに踏み込んだ発言をすれば、米国のアイデンティティーにもかかわる「物語」が揺らぎかねないし、核の脅しをするロシアや中国を利することになる――。

米国の原爆観はいま 踏み込んだバイデン氏 正当化の世論も根強く:朝日新聞デジタル

映画に限らずコンテンツで「あの描写はあった方が良かった、ない方が良かった」みたいなのはメチャクチャよくあることだし、本作に関しても「中盤の不倫を幻視するシーンいる?」みたいな意見も出てくるのではないかと推測している。ただ本作の「広島・長崎の被害の描写がない」ということが個々の感想の域を超えて、報道レベルにまで達した背景には「(ノーラン監督自身はイギリス出身だが、)アメリカのメジャー映画では原爆の被害を真っ向から描くことは出来ないんでしょ」という多くの日本人が共有しているであろう懸念と「広島・長崎の被害の描写がない」という表面的な事実が一致してしまっていたことにあったように思う。それに加えてその情報が日本に伝わってきたタイミングが「バーベンハイマー」騒動でアメリカの原爆認識への不信感が高まっている状況だったことがその情報のニュース価値を高め、更に日本での公開が未定故に実際の作品を鑑賞する機会が海外に行く以外になかったことが、より騒動を大きくし、尚且つ長引かせたように思う。また1995年にスミソニアン博物館が被爆資料の展示を含めた原爆展を企画した際に退役軍人団体の反対にあって中止に追い込まれたことや、2015年の世論調査で広島・長崎への原爆投下を「正当化できる」が半分を超えていたこと、昨年のG7の資料館訪問の際に「大統領に悲惨なものは見せられない」という忖度があったことや米国大統領が「核廃絶」に言及しにくい世論などが報じられていることを踏まえるとアメリカ国内で「広島・長崎への原爆投下は間違っていた」という主張はセンシティブであることは間違いないようなので、その意味では自分は本作の描写を「逃げた」とまでは思っていないし、一人称視点に絞っていることに劇中としての意味があるとも思っているが、ノーラン監督含めて制作側が無意識レベルを含めてこうしたアメリカ世論にどの程度引っ張られている部分があったのかは分からない部分もある。仮に今回の作品はどういう世論であれこういう形になったものだとしても、「それでは今の状況でアメリカのメジャースタジオが広島・長崎の被害を真っ向から描く作品を作ろうと思ったら作れるものなのだろうか」ということが気になったりはする。

「これまでアメリカは一貫して広島・長崎に原爆を投下したことは良かったことなんだと、より多くの人々を命を救ったんだ、という立場。ですが、今回の映画はかなり踏み込んだ感じがする。言ってみれば原爆批判、これはアメリカの大きな変化だと思う」

日本の2作品が注目された今年のアカデミー賞 戦争にまつわる作品の受賞相次ぐ【風をよむ】サンデーモーニング | TBS NEWS DIG

ただ個人的にそうした背景を踏まえれば今回の作品はそこら辺の描写にかなり踏み込んでいたように思ったし、現代アメリカ政治専門の前嶋和弘・上智大学教授によると本作は専門家視点でもアメリカの大きな変化を感じられるかなり踏み込んだ作品なのだという。前述した世論調査に関しても前の調査より「正当化される」とする人の割合は減少傾向にあり、若者の間では「正当化できない」という考えが広まっているというし、約30年前は中止に追い込まれたというスミソニアン博物館でも2025年に広島・長崎の被害の様子を写した写真の展示を計画しているという話もあるようなので、本作も良くも悪くもこれから長年にわたって「2023年公開段階のアメリカの核兵器への認識を示す要素の一つ」という評価のされ方をされ続けることは避けられないのだろう、とも感じた。

 

【追記】切通理作氏の「この映画の必要性においては文脈に沿っている」とした上で「敢えて見せない演出」という視点においては「ホロコーストのようにある意味でそれが見世物化し、パターン化し、陳腐化するくらいならともかく、まともに描いたこともないのに避けることもないだろう」という指摘には「作品単体の評価とその背景にある『今も続く広島・長崎の被害の実態』のアメリカ社会での合意の有無から生じる不満は切り離せないからな…」という意味で「確かにな…」と思わされた。被爆者の中から反発意見が出てるのも「次の核の脅威の話の前に自分たちの今の苦しみに向き合って欲しい」という想いがあり、そこが無視されているような虚しさがあるからなのだろう。もちろん、一つの映画がそれをどこまで背負う責任があるのかという問題もあるが、そうした部分が向き合われないまま本作が高く評価されていく流れを不満に思うのも分からないでもない。→被爆二世が観た『オッペンハイマー』【切通理作のやはり言うしかない】 - YouTube

 

 

  • 宮﨑駿監督『風立ちぬ』とNHK

風立ちぬ [DVD]

今回の「広島・長崎の被害の描写がない」と日本で物議を醸した状況は「宮﨑駿監督『風立ちぬ』公開時の韓国の反応と似ている」との指摘もあった。実際『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』の中で鈴木敏夫プロデューサーは「二郎のやったことというのは、ある意味では核兵器を作り出した物理学者」と類似性を見出しており、「その戦闘機が戦場で何をしたのかを描かなければならなかった」とまで発言している。一方で『風立ちぬ』では技術的理由で当該シーンを断念。宮﨑駿監督は高畑勲監督からの「この大戦で何があったかを客観的にでも描くべきだったのではないか」という趣旨の指摘に対して「十分に考えた」とした上で「それを描いたとして、零戦の設計者である堀越二郎の人間像が変わるかといったら、全然変わらないんですよ」と釈明した。被害の描写の有無で人間像が変わらないという点はノーラン監督がどの程度検討したのかは置いといて『オッペンハイマー』にも当てはまる部分なのではないか、と思う。

韓国のネット上で「戦争を美化している」などと批判が出ていることに関し、「戦争の時代を一生懸命に生きた人が断罪されてもいいのかと疑問を感じた」

「風立ちぬ」批判に反論 宮崎駿氏、韓国メディアと会見― スポニチ Sponichi Annex 芸能

――(韓国記者)韓国にも宮崎監督のファンがいっぱいいます。ファンに一言お願いします。また、今話題になっているゼロ戦についての問題についてどう思っていますか?

宮崎監督:映画を見ていただければわかると思っているのですが、色々な言葉にだまされないで、今度の映画も見ていただけたらいいなと思います。/映画を観ないで論じてもはじまらないと思いますので、ぜひお金を払って観ていただけるとうれしいです(笑)。

宮崎駿監督引退会見・一問一答、全文書き起こし | マイナビニュース

一方で両作品で異なる点は監督の被害国へのメッセージの有無だ。宮﨑駿監督は日本公開直後に韓国メディアに対して従軍慰安婦問題を「日本は韓国と中国に謝罪するべきだ」としながらも「戦争の時代を一生懸命に生きた人が断罪されてもいいのかと疑問を感じた」などと説明し、その後の引退会見でも零戦問題について質問をした韓国の記者に対して「映画を見ていただければわかると思っているのですが、色々な言葉にだまされないで、今度の映画も見ていただけたらいいなと思います」「映画を観ないで論じてもはじまらないと思いますので、ぜひお金を払って観ていただけるとうれしいです(笑)」などと応答した。

youtu.be

それに対してノーラン監督はNHK記者による「原爆被害がなぜ殆ど描かれなかったのか」という質問と「被爆国日本へのメッセージ」の要求を「映画をどう見てほしいか明言したくない」と回答を拒否。一般論として作り手が演出意図を説明する必要もないと思っているし、明言したくないことがダメという話でもないが、番組の演出もあって「それまで作品の意義などを熱く語っていた反面、この質問に関しては当たり障りのない返答をしてお茶を濁す訳でもなく『明言したくない』と結構ハッキリと明言するんだな…」とは思ってしまった。この部分は映像ではなくナレーションでの説明だったので、ノーラン監督があの取材の中でそう答えたのか、それとも事前にそういう条件を提示されていたのか、そもそもあの見解はノーラン監督個人のモノなのか、それともスタジオ側の見解なのか、などイマイチハッキリしない部分もある。そのため「NHKはそこら辺ちゃんと分かるようにしてよ…」と不満にも思ったが、その後の日本の各メディアのノーラン監督のインタビューを読んでも、自分の見逃しがないのだとしたら、そこに踏み込んだ質問をしたのはNHKだけ、少なくとも回答を拒否された事実を報じたのはNHKだけだったぽいので、その意味では「やっぱりNHKは日本の報道機関としてトップレベルなんだな」と手のひらをクルクルした。

 

【追記】ノーラン監督が日本へのメッセージを回答拒否した事実は劇中の描写の問題だけでなく戦後に来日したオッペンハイマーが広島・長崎へ訪問しなかった姿とも重なる

 

 

  • 最後に…

そんなこんなで「広島・長崎の描写がない」問題について3視点で私的見解を書いてきたが、最後に「批判は大事なことだと思うけど、あまり『被曝ナショナリズム』に陥り過ぎるのは良くないよな…」とは改めて感じた。

 

【追記】「広島・長崎の被害の描写を描くべきだったのでは」との指摘はノーラン監督の核兵器の恐怖の原体験に「1980年代の冷戦がある」ことを踏まえないとフェアではないし、説得力に欠けるとも思う→映画『オッペンハイマー』で描いた“核兵器の脅威” クリストファー・ノーラン監督独占インタビュー - クローズアップ現代 取材ノート - NHK みんなでプラス

 

 

  • 関連記事

mjwr9620.hatenablog.jp