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プロデューサーの愚痴をクドカンが脚本化したドラマ『不適切にもほどがある!』、最終回は「アップデート」と「寛容」だったが…

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SNSで色々と物議を醸していた宮藤官九郎脚本『不適切にもほどがある!』の最終回が放送された。

 

  • SNSで賛否割れた『ふてほど』

本作は昭和の体育教師・小川が令和にタイムスリップしてくる物語。物語の流れは基本的に戯画化されたコンプラ重視の令和に対して昭和からタイムスリップしてきた小川が「それっておかしいんじゃないの?」と昭和視点でツッコミを入れることで、コンプラに縛られて混乱している令和を生きる人々に気づきを与える展開が描かれる。この展開に対してSNSでは「流石クドカン、みんなの言いたいことを言ってくれた!」と称賛する声がある反面、「折角、社会的に立場の弱い人の目線にも立てるような社会になり始めてるのに、なんでこんなバックラッシュを招くような作品を作るの?」と不満の声も目立った。個人的にもミュージカルシーンで描かれるメッセージに対して「イマイチ飲み込めないんだけど…」というモヤモヤは大きかった。一方で本作は「昭和の方が良かった」という作品にはなっていないし、最終回のテーマでもあった「アップデート」を完全に否定した作品でもない。

 

 

  • 昭和と令和の「不適切にもほどがある!」

現に令和の世に適応した小川は昭和に戻ると令和視点では不適切でしかない昭和の当たり前に対して「不適切にもほどがある!」とフラストレーションを溜めていく。更に卒業式では生徒たちに対して「これから先、自分みたいに暴力を振るうような教師はいなくなっていくし、色々と未来は明るい!」みたいなことを言ったりしているので、時代の変化やアップデートにも肯定的だ。ただそれはあくまでも「昭和」と「令和」の対比においてであり、昭和にタイムスリップしていた社会学者でフェミニストのサカエとの「昭和も令和も『不適切にもほどがある!』で生き辛い」というやり取りと「寛容になりましょう」というミュージカルからは「昭和は不適切過ぎてダメだけど、令和も令和で『不適切』が行き過ぎていてダメ」というメッセージが放たれている。何ならクドカンの全盛期である「平成くらいが丁度良かったよね」みたいな穿った見方も出来てしまうレベルだし、ラストの「2024年当時の表現をあえて使用して放送」という未来視点のオチとの折り合いも悪いと感じた。

 

 

  • 「寛容になりましょう」と言うが…

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勿論、ラストでスマホを使って表現されていたように「お互いアップデートしてないと会話が成り立たないばかりではなく、時にはどちらかがアップデートしてなくても会話が成り立つように寛容になりましょう」みたいな気持ちは分からなくもない。どんな人間だって理解が及ばずに悪意なくやらかしてしまう時はあると思うし、そうした悪意なき行動や言動に対して「一発アウト」とされる世の中は怖い。時には大きな正しい変化の流れの中で個人が魔女狩りのように傷を負わされてしまうこともあるだろう。やはりそういうのは避けたい。ただ本作のドラマを全話観ていると描かれている「令和の行き過ぎた不適切指摘」が周回遅れ感のある内容ばかりだから「お互いそれぞれ事情はあるだろうから、みんなで寛容になりながら時代を良い方向にしていこうよ」というより「平成は色々と上手く行ってたのに、みんなが『不適切だ!』と言い始めて生き辛くなっているので、寛容に行こうよ」と不満を訴える社会的に立場の弱い人に対してこれまでそういう生き辛さに目を向けてこなかった社会的に立場の強い人が「まあまあ、そんな怒らずに肩の力でも抜いて…」と宥めている構図みたいに見えて「何だかなぁ…」と思った。

 

 

  • 最後に…

最後に本作はプロデューサーがクドカンに雑談で話した愚痴が元ネタとなっているという。そうなるとインティマシーコーディネーターの描写があの感じだったのも、プロデューサーが「なんか最近は濡れ場シーンで役者と監督に事前にヒアリングする仕事があるみたいなんだよ。何だかよく分からないけど、海外から輸入された職業みたいなんだけど、正直そこまで必要あるのかな、という感じ。これも時代なのかな〜 まー、役者さんたちには評判もいいみたいだし、悪いことではないんだろうけどね」みたいな愚痴を聞かされたクドカンが大してリサーチもせずに脚本に落とし込んだと想像をすれば悪い意味での納得感があった。逆にあの描写で徹底的なリサーチをしていた方が驚く。ドラマの中では渚のインタビューの発言が特定個人への言及だと誤解されるシーンがあったが、クドカンはインティマシーコーディネーターが現状日本に2人しかないこと、つまりあの描写は日本においては事実上特定の2人に対して言及する形になってしまうことを分かって脚本を書いたのだろうか、みたいなことを思ったりもした。

 

 

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