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サム・ライミ監督版『スパイダーマン』シリーズのヒロイン・MJは「ビッチ」なのか【後編】

サム・ライミ監督版『スパイダーマン』のヒロイン・MJはビッチと揶揄されることが多い。そのため、その手の揶揄を意識して1作目を見直すと「まー、そういうふうに揶揄されるのも分からないでもない」くらいの感じではあった。今回は2・3作目のMJの恋愛遍歴を振り返る。

 

  • 結婚式場をウェディングドレスで抜け出すMJ

スパイダーマン2 (吹替版)

1作目ではフラッシュ、ハリー、スパイダーマン、ピーターと4人に恋をしたMJ(彼女の中ではスパイダーマンとピーターは別人)だったが、2作目ではピーターとジョン・ジェイムソン大尉とかいう恋の鞘当てとして負けるためだけに出てきたとしか思えないキャラクターの2人の間で揺れるという、一本の映画としてはよくあるレベルに落ち着いている。またMJがピーターとの関係に悩むのは、自身がスパイダーマンであることを隠すピーター側の問題。事実上ピーターから「ダメだ」と明確に振られている以上、MJが違う男の方に向かうのは当然であり、ピーターがスパイダーマンを引退したことで、やっぱり付き合おうと態度を変えてきても、結婚が決まった以上、今更困るという話なのだろう。

 

 

一方でその後、スパイダーマンの正体がピーターであり、だからピーターはMJとの交際を拒否していたと分かったから、ピーターの方に向かうというのは理解できるが、物語的にMJの気持ちはそれ以前にピーターの方に向いていて、結婚の約束を破棄してピーターと付き合おうとしていたのが、やはりMJという感じもする。ただこれも元々恋心を抱くも振られたから諦めたはずのピーターが態度を一変させて猛アプローチを仕掛けてきたからで、MJだけの問題にするのは可哀想だ。ただピーターの方に向かうと決めるのも、映画の演出的問題とはいえ結婚式当日にウェディングドレスで抜け出すという「流石、MJ」と嫌味の一つや二つも言いたくなる行動。ピーターに感情移入している我々からすれば「ピーター良かったね」という話だが、相手側とその関係者は「あの子、昔からそういうところあるらしいわよ」と陰でビッチ扱いされてもやむを得ない。多分、相手側はそこそこ有名かつMJも舞台女優なので、ゴシップとしてネタにされた可能性もある。こう振り返ると2作目はよくある映画のパターンなのに、描写的にちょっとアレな感じがする恋愛模様だった。

 

 

  • 「自己肯定感」の低さを見せたMJ

スパイダーマン™3 (吹替版)

そして問題の3作目。3作目ではこれまでの「冴えない男の子と憧れの女の子」という2人の関係性が、ピーターがヒーロー活動で大活躍して、大学での研究もモデル活動もする美女・グウェンと組んでいることから、立場が逆転。勿論、ピーターはこれまでと変わらずMJファーストのつもりだが、そもそもMJがピーターを好きになった理由は「いつも私の側に居てくれて、私を褒めてくれて、私に自信をくれていた」だったため、舞台女優をクビになり、自信喪失をしていたMJにとって人生イケイケのピーターの言葉は虚しく響くだけだった。その結果、MJは記憶を失ったハリーの元へ行き、楽しい時間を過ごしてキス。その直後、MJはその行為を後悔してハリーの家から出ていくが、3作連続パートナーがいる状態でグレーな行為に出るのは、ヒーロー映画のメインヒロインとしては珍しい気もする。

ただこの機会に3作連続鑑賞することで感じたのは、MJは昔観た時に思っていた「憧れの女の子」「高嶺の花」という華やかな人生を送る人間というイメージとは異なり、割と「自己肯定感」が低い人間だったということ。もしかしたら、幼少期から父親に罵詈雑言を浴びせられていたなどの家庭環境の悪さが影響しているのかもしれない。実際、MJは自身の演技への酷評を「まるで父みたい」と表現するなどトラウマを抱えている描写があった。そのため〜、と書き続けようかとも思ったが、それをすると流石に気持ち悪過ぎるのでここまでにしようと思う。

 

 

  • 最後に…

ちなみにリブート版の『アメイジング・スパイダーマン』のヒロイン・グウェンはピーターより秀才という設定で、悩みも他の男子との恋愛関係によるイザコザではなく、自身の研究人生の話で、それを捨てるつもりはないと決めているキャラクターなのは、10年で時代の価値観が変わった結果なのかもしれない。