今年(2025年)は「大阪・関西万博」が開催されるので、『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』『20世紀少年』『ALWAYS 三丁目の夕日』辺りが再注目される年になるだろう。今回は上記3作品+1作品の万博を軸にしたレビューを記す。各作品共にうっすらネタバレ注意。
- 今の日本に溢れているのは…
『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』は2001年に公開された原恵一監督作品。世紀末の日本に幻滅したケンとチャコ率いる「イエスタディ・ワンスモア」が「まだ人々が心を持って生きていた20世紀」を取り戻すために、春日部に高度経済成長期のテレビ番組やドラマ、暮らしを体験出来るテーマパーク「20世紀博」を作り、「懐かしいニオイ」を放つことで、大人たちがノスタルジーに取り込まれて幼児化してしまう物語。ケンとチャコは未来を信じられた20世紀に対して21世紀を「今の日本に溢れているのは汚い金と燃えないゴミくらいだ」「外の人たちは心が空っぽだからモノで埋め合わせしているのよ。だからいらないモノばっかり作って、世界はどんどん醜くなっていく」と評する。このセリフは制作当時の原恵一監督が抱いた90年代の「オウム事件や阪神大震災などの大変な時に大人たちが談合やノーパンしゃぶしゃぶに浮かれている姿」への反感から生まれたモノ(※1)だというが、公開から四半世紀近く経った「能登震災や物価高で大変な時に裏金事件や問題山積みの万博を開催しようとしている今の日本」にも十分通用してしまう。
映画のクライマックスは子供サイドのしんちゃんが未来を守るために「20世紀タワー」の階段をとにかく登り続ける。その姿を見た大人たちも「21世紀を生きたい」と思うことで「イエスタディ・ワンスモア」の作戦は失敗に終わるが、チャコは「現実の未来なんて醜いだけなのに!」と反発し、過去ではなく未来に向かって生きる選択をした大人たちにも高揚感はない。大人たちが過去ではなく未来を選択したのは、この先の未来しかない子供たちのために、自分たちも未来に向かわなくてはならないと気づいてしまったからなのだろう。映画のラストでケンとチャコは野原一家が帰る春日部とは逆方向に車を走らせているが、時間が未来に進んでいることは共通している。ひろしはケンとチャコについて「どっかで生きてくだろ」との見解を示したが、チャコは自殺失敗直後に「生きたい」ではなく「死にたくない」と嘆いていた。この乖離に切なさを感じると同時に癒されもする。2001年当時に35歳のひろしは今年59歳、5歳のしんちゃんは29歳。そして今年35歳のひろしの5歳は1995年。テレビアニメ『クレヨンしんちゃん』が放送開始された1994年の5歳のしんちゃんよりも歳下だ。「昭和ノスタルジー」を否定した『オトナ帝国』は令和の時代に「平成ノスタルジー」と化している。
※1「現在のオトナ帝国、ひどくなっている 映画監督・原恵一さん」 朝日新聞/2018年7月25日
- 最高で最低の時代
『20世紀少年』は1999年から2007年にかけて連載されていた浦沢直樹の人気漫画で、2008年から2009年にかけて堤幸彦監督によって3部作構成の実写映画化がされた作品。少年時代に「ロックで何かが変わる」と信じていたケンジが平凡な大人になるも、自身が子供の頃に友達と書いた「よげんの書」通りに世界各地に異変を起こす新興宗教の教祖「ともだち」の存在に気づき、「人類滅亡」を止めるためにかつての友達と共に奮闘する物語。『20世紀少年』において1970年開催の大阪万博はケンジたちが子供の頃の憧れであり、独裁政権となった「ともだち」率いる友民党は2015年に東京で大阪万博を再現した万博を開催する。劇中の東京万博では暗殺された「ともだち」が生き返ることで「神」になる「国葬イベント」の役割を果たし、ラストでは「人類滅亡を防いだ救世主・ケンジ」を讃える会場と化す。
少年時代に「ロックで何かが変わる」と信じていたケンジにとって自身の歌が人々の救いになるのは「子供の頃の夢の実現」ではあるが、人類滅亡を企んだ「ともだち」を生み出した原因は子供時代のケンジの罪にあるので、人々から感謝されても素直に喜ぶことは出来ない。『トリック』シリーズの演出もしていた堤幸彦監督は自身が若い頃に特定の思想にハマった経験とオウム事件を念頭に人類滅亡計画を作った「ともだち」に理解を示す(※2)。大阪万博は「日本が良かった時代の最後の象徴」との印象が強いが、自らを「20世紀少年」と称する「ともだち」は人類滅亡計画を「僕がやらなくてもきっと誰かがやった」「僕は彼らの代表選手なんだ」と述べて「20世紀」を「最高で最低の時代」と評する。「日本が良かったとされる時代」は社会不安から人類滅亡を予言する「オカルトブーム」も同時に起こっており、その「社会の歪み」は後の時代にハレーションを起こした。『20世紀少年』は「万博ノスタルジー」から「20世紀の光」だけでなく「20世紀の陰」も映し出す。
『20世紀少年』は子供の頃に万博に行けなかった後悔がある浦沢直樹が大人になってから執筆した漫画(※3)だが、万博に2回行った堤幸彦監督の実写映画版のラストは原作と異なりケンジが人々の希望となった『ボブレノン』を群衆の前で披露する。ここからは堤幸彦監督が大学時代に成し遂げられなかった革命への後悔も見える。人は若い頃にやり残したことをいつまでも引きずるのかもしれない。
※2 「ボクには"ともだち"の心情が分かる。カルト社会は特別なことじゃないですよ」 (2010年2月17日) - エキサイトニュース
※3 【再び夢を〜大阪万博(1)】「行った人は夢破れ、行けなかった僕は夢が続いている」昭和の万博への思いが「20世紀少年」に 漫画家・浦沢直樹さん(1/3ページ) - 産経ニュース
- 「幸せ」とは何か
『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズは西岸良平の漫画『三丁目の夕日』を原作に山崎貴監督がVFXを駆使して昭和時代を再現した実写映画。2025年開催の「大阪・関西万博」には『オトナ帝国』『20世紀少年』と並んで『ALWAYS 三丁目の夕日』を使った批判が多い。ただノスタルジー批判が前面に出ている『オトナ帝国』『20世紀少年』と異なり、基本ノスタルジーに肯定的な『ALWAYS 三丁目の夕日』は「大阪・関西万博」と共に批判の対象になりがちだ。実際、山崎貴監督も『ALWAYS 三丁目の夕日』で描かれる昭和は「理想的に塗り替えられた思い出の昭和」と位置付けており、そこから「あのひたすら未来を信じられる感じを学んで欲しい」という趣旨の発言(※4)もしている。ただ『ALWAYS 三丁目の夕日』は「高度経済成長期の日本よ再び!」的なイメージが強い反面、シリーズで1番の名シーンと言われる1作目のプロポーズは「高価な指輪」ではなく「実態のない透明な指輪」で行われる。そこにはどれだけ日本が物質的に豊かになろうとも、お金では買えない「想い」が込められている。そしてその「想い」は昭和と今の夕日を通じて、どんなに時代が変わっても変わらない普遍的な価値として存在し続けることを伝えてくる。
山崎貴監督は高度経済成長期に対して基本的に「敗戦から立ち上がった日本」としてポジティブに捉えている反面、その時代の「みんなで前を向こう、上を目指そう!」の空気によって失ってしまったモノへの懸念(※5)も抱いており、「繁栄とか経済的に豊かになるということには正義がない」とまで発言(※6)している。そうした想いは続編の2作目、3作目にも反映されており、特に東日本大震災の翌年に公開された3作目では「東京五輪で敗戦から復興した日本の高揚感」を描くと同時に老町医者が高度経済成長期にも関わらず「お金持ちになるより、人の安心する顔を見る方が幸せ」と出世を望まない若者について「こんな時代に得難い若者」との見解が示す。ラストの夕日の意味合いも前2作の「いつの時代も変わることのない幸せの確認」から「いつまでもこの幸せが変わらずに続いて欲しいという今への願い」に変わっている。
『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズには「4作目は万博」との話もあったが、様々な事情から実現には至っていない。そして続編が実現する前に、55年ぶり2度目の大阪万博が現実の日本で開幕しようとしている。
※4 時代は昭和だ。もっとひたすらに未来を信じてもいいんじゃないかな。山崎貴 FILT
※5 「僕の映画で、観客の心に何か小さなお土産を届けたい」 - 映画監督・山崎貴 | マイナビニュース
※6 「(楽屋ハナシ) 百田尚樹×山崎貴 幸せって何だろう」 朝日新聞/2013年12月30日
- 最後に…
万博連想映画として個人的に指摘しておきたいのが、庵野秀明総監修の樋口真嗣監督作品『シン・ウルトラマン』。元のテレビシリーズの『ウルトラマン』の放送は1966年から67年と1964年開催の東京五輪の後であり、1970年開催の大阪万博の前であったが、実は2022年公開の『シン・ウルトラマン』も2021年開催の東京五輪と2025年開催の大阪万博の間に挟まれた作品。樋口真嗣監督は明るい未来への期待感のある高度経済成長期に作られた『ウルトラマン』は科学を肯定する立場含めて「あの時代にしか作れなかったすばらしい作品」(※7)だったと評する。そして『シン・ウルトラマン』も青空のカットの多い明るい映画だったように思う。『オトナ帝国』『20世紀少年』『ALWAYS 三丁目の夕日』と昭和ノスタルジーを喚起する作品は「何処か切ない懐かしさ」を呼び起こさせるためか画面が「夕日的なオレンジ」になっているケースが多い印象がある。しかし『シン・ウルトラマン』の画面は「オレンジ」ではなく「青」。これは世代的に自分の想像が及んでいなかった部分だが、そもそも「大阪万博」だって今の視点で見れば「レトロフューチャー」だけど、当時の視点では本当に「これから来る科学的な未来」。もしかしたら他3作品の「オレンジ」よりも『シン・ウルトラマン』の「青」の方が当時の未来に開かれた感覚に近いのではないか、みたいなことも思ったりした。その反面であの「青」が何処か「空元気」で虚しく感じたのは、当時とは異なる今の日本の閉塞感故なのだろうか…
※7 『シン・ウルトラマン』イヤー開幕!樋口真嗣が語る、庵野秀明とのタッグと「ウルトラマン」と歩んだ道のり|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
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