人気コミックスが実写映画化されたときに、一番多く出る批判は「原作と違う」というモノだ。多くの人は人気コミックスの実写映画版に「原作らしさ」を求めている。しかし漫画と映画は表現方法が違う。そのため自分は「漫画の魅力や特徴」を「どう解釈して映像に落とし込めるか」ということが大切だと考える。
例えば昨日公開された藤原竜也主演の『カイジ ファイナルゲーム』は福本伸行先生の人気コミックス『カイジ』を実写映画化した大ヒットシリーズの第3弾。本シリーズは「漫画の実写化の中では成功作」と評価されることも多い。ただ本シリーズが「原作の魅力や特徴」をそのまま映像化したのかと問われれば、そうではない。あの独特な絵柄を実写で再現するのは不可能だし、独特の言い回しや例え話で読者を勢いで押し切ろうとする解説ナレーションも再現されていない。また映画の上映時間やレーティングという制約から肝心のギャンブルシーンも大幅にカットされたダイジェスト状態になっている。そのため実写映画版は原作漫画の「読者を説得させるだけの勢い」を別の何かで補わなくてはいけなかった。
『カイジ』の実写映画版は原作漫画の「読者を説得させるだけの勢い」を主演の藤原竜也を筆頭として役者陣の演技合戦で補おうとした。そのため藤原竜也の相手役には香川照之・山本太郎・伊勢谷友介・吉田鋼太郎・福士蒼汰(相棒としては生瀬勝久)など濃い演技のできる役者をキャスティング。役者同士の演技をぶつけ合わせることで、実写映画版『カイジ』ならではの「説得力」と「勢い」を生み出した。その結果「原作漫画からの省略が多い」「原作漫画より劣っている部分が多い」にも関わらず、実写映画版『カイジ』は原作漫画の「魅力や特徴」を実写映画独自の解釈で表現することで観客に「この作品はカイジだ」と思わせることに成功した。
そして最新作『カイジ ファイナルゲーム』では本来原作から劣っていた部分を補うためだった役者たちの演技合戦が、作品最大の魅力として前面に打ち出した映画になっている。特に原作者・福本伸行先生が考案したオリジナルギャンブル「最後の審判」は藤原竜也と吉田鋼太郎の演技合戦を盛り立てるための舞台装置の意味合いが強い。つまり『ファイナルゲーム』はギャンブルではなく、役者の演技合戦の方に重きを置いた作りになっているのだ。そしてこれはある意味実写映画版『カイジ』もとい藤原竜也が原作漫画の『カイジ』を喰ってしまったことを意味する。
おそらく今回の最新作観に行く人の大半は「ギャンブルの駆け引き」等を観たいのではなく、藤原竜也と他の役者陣の演技合戦が観たいのだろう。それを制作側も理解しているのか、予告編は前2作のアプローチとは異なり、役者の大仰な演技を切り取って編集したものになっている。最早『ファイナルゲーム』は人気コミックス『カイジ』の実写映画化最新作ではなく、藤原竜也主演最新作の意味合いのが強いのだ。そして完全オリジナルストーリーでも『カイジ』が表現できるほどに独自の世界観を固めることに成し遂げたのだ。
だからといって原作漫画の『カイジ』が実写映画版に対して劣ったわけではない。原作漫画は原作漫画で実写映画とは違う独特の魅力を放ち続けている。
原作漫画と実写映画は表現方法は違えど、同じ方向で独特の魅力を放っている。つまり人気コミックスの実写映画化は原作をそのまま表現すれば良いというわけではない。「原作の魅力や特徴」をどう解釈して映像に落とし込めるかが大切なのだ。
(C)福本伸行 講談社/2020映画「カイジ ファイナルゲーム」製作委員会