日本を舞台にしたゲーム『アサシン クリード シャドウズ』のダブル主人公の一人が日本人侍ではなく黒人の弥助であることが日本だけでなく海外でも物議を醸している。
これに対して一部からは「アサクリもポリコレ(ポリティカル・コレクトネス=政治的正しさ)に屈した」との批判を浴びせられているが、製作側はファミ通のインタビューに「弥助については、まず"私たちの待"つまり日本人ではない私たちの目になれる人物を探していました」(現在、該当センテンスは削除済み)と明言している。つまり今回の黒人主人公起用の理由は「マイノリティのため未だに社会的に立場が弱く差別される側である黒人のエンパワーメントのため」ではなく、「日本人はゲームの作り手である我々の目にはなれないので、我々の目になれる日本人ではない侍にしました」ということ。つまり全然「ポリコレ」になってないし、寧ろストレートかつ無意識な「アジア人軽視」に基づいた理由となっている。
そもそも日本人は同じ日本人が集まっている島国で過ごしているからか外国からの差別に鈍感な面があり、何故か自らを白人と同じ「マジョリティ」側だと錯覚している人も少なくないようだが、黒人が「マイノリティ」なのは「白人対比」の話であり、「黄色人種であるアジア人対比」での「黒人」は寧ろ「マジョリティ」側の存在。「アジア人」は今回のようにゲームの制作側が日本のメディアに対して事実上「日本人は我々の目にはなれない」という趣旨の発言が平気で出るくらいに配慮されてない「マイノリティ」側の存在という訳だ。仮に今の時代に白人の作り手が「黒人は我々の目になれない」なんて言ったら大炎上確実だろう。それにも関わらず「黒人」が「日本人」になった途端に特に問題視されないのはそれだけ「日本人」及び「アジア人」が軽んじられている証といえる。勿論、今回の弥助の主人公起用にゲーム製作側が「黒人主人公で多様性もアピールできる」という思惑が「全くなかった」とまでいうつもりないが、今回の弥助が「マイノリティ」側の起用ではなく「マジョリティ」側での起用なのは明らかだろう。
しかも本作には「間違った日本の歴史が世界に広まってしまう可能性がある」との指摘もあり、こうした面からも本作はやはり「ポリコレ」ではない。寧ろ「面白ければ何でも良いんだよ!」という無意識の「アジア人軽視」をベースとした「反ポリコレ」とまでいえる。そのため、本作は凄く意地悪な見方をすればゲームの製作側曰く「日本人ではない我々の目になれる主人公」を使って、ゲームの製作側曰く「我々の目になれない日本人」を殺していくゲームになっていることになる。一体日本人である自分はどんな気持ちでこのゲームをプレイすればいいのか非常に悩ましいものであるが、やはり本作発売日前日に発売の『ドラクエ3リメイク』をプレイするのが良いのかもしれない。
そんなこんなで本作は「ポリコレ」ではなく、逆に「日本が舞台なら日本人を主人公にしろ」「間違った歴史認識が世界に広まった困る」という反発こそ「政治的な正しさ」を求める「ポリコレ」なのである。
- オマケ
昨年公開の北野武監督の映画『首』にも弥助が登場するが「まー、黒人はイエローモンキーである日本人のことをこう思ってるんだろうな」みたいのが出てくるのでオススメ。
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