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「これは僕の悪意の印です」、宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』で眞人が自分の頭を石で殴った動機と大叔父からの継承を断った理由

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宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』が大ヒット公開中だ。

 

  • 鈴木敏夫P、仮に宣伝するなら「悪意」押し

 ――今回の映画がタイトルを引用した吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」でも、主人公は自分の中に潜む悪意に直面します。

 「そこは受け継いでいますよね。今回は宣伝を一切しませんでしたが、仮に宣伝をやるとしたら『悪意』という言葉を使いたかった」

君たちはどう生きるか 鈴木Pの肉声「主人公と時代の悪意を描いた」:朝日新聞デジタル

本作のテーマの一つは「悪意」だ。実際、鈴木敏夫プロデューサーも仮に宣伝をやるとした「悪意」という言葉を使いたかった、と述べている。本作では公開前の本編映像を使った宣伝もキャッチコピーもなかったが、劇中で流れる久石譲氏の音楽をバックに「眞人が自身の頭を石で殴り血が吹き出しているシーン」や「アオサギが魚を丸呑みして、中の目や歯茎を剥き出しにしながら眞人を挑発するシーン」が流れ、その後に「宮﨑駿が描く『悪意』」みたいなキャッチコピーが映し出される15秒程度のテレビスポットとかあったら、かなりインパクトがあったのではないか、と妄想する。2013年公開の高畑勲監督『かぐや姫の物語』のキャッチコピー「姫の犯した罪と罰。」を連想したりもした。

 

 

  • 「僕の悪意の印」、自らの頭を石で殴った動機

その裏切りの原因は、母への深い思いそれ自体の中にある。そして自分も同じ心の動きによって、母を裏切ろうとしている――。そのことへの激しい葛藤と自己嫌悪と罪の意識こそが、眞人が自分自身の頭に激しく石を打ちつけた真の動機ではないか。

なぜ傷が「悪意のしるし」なのか? 映画「君たちはどう生きるか」の謎を解く | 文藝春秋 電子版

本作では眞人が自ら石で頭を殴って傷をつけたことに対して大叔父の前で「この傷は自分でつけました。僕の悪意の印です」と発する。眞人が自らの頭を石で殴った動機について『朝日新聞』の太田啓之記者は「母が亡くなって直ぐにナツコと再婚した父親への嫌悪感と同時に自らも父と同じ心の動きで母を裏切ろうとしていることへの葛藤と自己嫌悪と罪の意識から」という趣旨の解説をする。確かに一視聴者としても「あの時代では割と普通のことだった」という前提を踏まえても父親が母親が亡くなって直ぐにその妹と再婚して子供を作っていることには「えぇっ…」と思わされたのだから、母親を失った喪失感から立ち直っていない実の子の眞人からすれば父親の再婚や自らが妹故に顔が母親とそっくりなナツコを受け入れる行為が亡き母親への裏切りという認識になってモヤモヤが溜まっていたとしても無理はない。こうしたモヤモヤが眞人のナツコに対する「ご馳走様でした」「分かりました」「はい」「おやすみなさい」といった他人行儀の塩対応へと繋がった面もあるのだろう。

また眞人は宮﨑駿監督自身がモデルとされているが、監督は「戦時中に苦しい思いをしていた周囲に対して比較的裕福な生活を送っていたことにコンプレックスを抱えている」等の指摘がよくされる人物。また宮﨑駿監督は『風立ちぬ』公開の際のインタビュー(『CUT』2013年9月号)で「僕は思春期の頃、親父と戦争協力者じゃないかってもめた経験がある」と述べていた。宮﨑駿監督の父親は戦闘機の部品などを製造する工場の経営者。今回の眞人の父親の設定と重なる。こうした背景を踏まえると父親の仕事も「車で学校に乗り込もう」みたいな態度もモヤモヤの原因になってたのではないか、と推測できる。また劇中の描写的に眞人は学校で「余所者」という理由からか喧嘩を売られた可能性も高い。

おそらく一番の動機は太田記者の指摘する通り「母親への裏切り」で、その行為への複雑な感情が「自分を傷つけてやろう」という自傷行為に繋がったのだろうが、他にも「ナツコや父親たちを困らせてやろう」とか「生徒の中に犯人がいると思い込んでる父親を乗り込ませることで学校という組織を困らせてやろう」とか「学校で喧嘩を売ってきた奴らに冤罪を被せてやろう」みたいな「悪意」も存在したのではないか、と感じた。

 

 

  • 吉野源三郎の小説で自己嫌悪に陥ったコペル君は…

君たちはどう生きるか

ただそんな眞人の心境に変化が訪れるのが亡き母親が自らに残していた吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』だった。本作では主人公のコペル君が友達を裏切ったことで自己嫌悪に陥り学校に行けなくなる展開がある。しかしおじさんから「いま自分がしなければならないことにまっすぐむかっていける 同じ間違いを二度繰り返しちゃいけないよ」と助言を貰い、母親から「思ったことを行動に移せなかった情けない過去の後悔」と「その経験があるからこそ『今度こそそれを生かさなきゃ』と背中を押してくれる」という生き方の話を聞き、更に再びおじさんから「いま君が大きな苦しみを感じてるのは『君が正しい道に向かおうとしているからなんだ』」という趣旨のことが書かれたノートを読むことで学校に行き裏切った友達に謝罪をする決意をする。眞人は小説を読んで泣いていたが、おそらく友達を裏切り自己嫌悪に陥ったコペル君と自身を重ねて、コペル君のように自らも間違いと向き合い正しい道に向かわなければならない、と感じたのだろう。だから眞人は小説を読んだ後に塔に迷い込んだナツコを救いに行く決心を固めたのだ。

 

 

  • 最後に…

眞人は塔の下の世界で様々な経験をする。既に多くの人が指摘しているが、彼は塔の下の世界で「釣った魚を捌いて食べる経験」をし、ワラワラを食べるペリカンに怒りを向けるもペリカンもまた「魚を食べて生きていたが、魚がいなくなったことで食料を求めて飛んできた、でも何処にも魚はいないから若いペリカンは飛ぶのを忘れてしまった」ことを知り、死んだペリカンを埋葬する。ここで眞人は「生きること」は綺麗事ばかりでないことを学んだのだろう。だから彼は大叔父からの穢れなき世界の継承を拒み自らの「悪意」を表明し、それでも「友達」を作って元の世界に戻って生きていくと宣言した。人間は誰しも「悪意」を持っている、しかしそれを自分の傷として残しながらも生きていかなければならない、ということか。それでも本作のラストのように美しい瞬間が自らの人生にあるのなら、やはりこの世は生きるに値するのだろう。多分。

 

 

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