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スタジオジブリ『君たちはどう生きるか』の「アオサギ」のモデルは鈴木敏夫プロデューサー?宮﨑駿監督は否定見解、高畑勲監督説も

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宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』が大ヒット公開中だ。

 

  • 鈴木敏夫プロデューサー、モデルは自身と認識

「(『君たちはどう生きるか』の)絵コンテでは、二人で旅に出ます。アオサギが変化したサギ男という、いいキャラクターなんです」「あのサギ男というのは近代にはいない、いいキャラクター」「僕は主人公の宮さんと二人で冒険に行かなきゃいけない」
(『yom yom vol.61』「鈴木敏夫&養老孟司 対談」)

○紫の豚日記○ 宮崎駿監督作品『君たちはどう生きるか』考察【公開前】

本作では宮﨑駿監督が自身をモデルにしたとされる主人公・眞人を塔の下の世界に引き込む「アオサギ」のモデルが鈴木敏夫プロデューサーなのではないか、とSNSで話題だ。孫引きになるが、実際鈴木敏夫プロデューサーも「アオサギのモデルは自分」という趣旨の発言をしていたという。そのため劇中で当初眞人がアオサギに対して敵対心を剥き出しにしているシーンに対して、宮﨑駿監督が初めて鈴木敏夫プロデューサーと出会った際に「うさん臭いやつが来たと思った」「そんな雑誌(『アニメージュ』)で話したら自分が汚れる。あなたとはしゃべりたくない」という印象を受けた(出典:鈴木敏夫『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』)というエピソードを思い出した人も少なくない。またアオサギが眞人に「母親は生きている」「死体を見てないでしょ?」「人間のよくやる手だ」と調子の良い嘘をつき、眞人はそれを嘘だと分かった上でその話に乗って何だかんだ良い方向に行って最後は「友達」認識という流れと2人の関係性の重ね合わさる指摘もある。

 

 

  • アオサギ、故・高畑勲監督もモデルか

この映画「君たちはどう生きるか」、ちょっといろいろあるから話しちゃって構わないと思うんだけど、主人公は宮崎駿、それを導いてくれた高畑勲、そういう映画になる予定だったんですよ。亡くなっちゃたでしょ、「死んじゃったからもうやめる」って言い出したんですよ(笑)

Blog. NHK FM 「今日は一日”久石譲”三昧」 番組内容 -トーク編- – 久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋

一方で映画評論家の柳下毅一郎さんは世間の「アオサギのモデルは鈴木敏夫」という見解に対してYouTubeの配信番組で「アオサギは高畑勲監督で最後に『友達』と言って感動したんだけどな〜」という趣旨の発言をしていた。ただ久石譲さんのファンサイトのラジオ書き起こし文書によると鈴木敏夫プロデューサーは「宮﨑駿監督は当初自身をモデルにした主人公を導いてくれたのが高畑勲監督、という映画にするつもりだったが死んだのでやめた」という趣旨の発言もしていたらしい。そうなるとアオサギには高畑勲監督がモデルだった時代の名残が残っていても不思議ではない。宮﨑駿監督が眞人を通して鈴木敏夫プロデューサーだけでなく高畑勲監督にも「友達」と伝えてたなら、そちらの方がより感動的な話である。またこの手の「このキャラは誰がモデルだ」話になると「1キャラ1モデル」という考えになりがちだが、複数の人物を複合してるケースもあるし、今回の場合だとアオサギの劇中ラストの「塔の下の世界のことは忘れた方がいい」みたいなセリフは過去に「子供が(トトロの)ビデオを100回も観ましたとか、セリフ全部覚えてますとかね、そういうことはもっとも僕が嫌だったこと」(『宮崎駿 続・風の帰る場所』)と主張していた宮﨑駿監督自身からのメッセージとみるのが自然。そのためアオサギのモデルは基本鈴木敏夫プロデューサーだけど、高畑勲監督要素や宮﨑駿監督自身の要素も入ってる、と考えられる。

 

【追記】『SWITCH VOL.41 NO.9 ジブリをめぐる冒険』によると高畑勲監督がモデルだったキャラはアオサギではなく大叔父

 

 

 

 

  • 宮﨑駿監督「モデルはいない、鈴木さんじゃない」

それで僕ね、『あの鳥ってモデルがいるんですか?』と聞いたんですよ。宮崎駿のキャラクターには必ず実在のモデルがいますから。そしたら『いない、いない!』『鈴木さんじゃないから』と(笑)。

鈴木Pが語る「君たちはどう生きるか」制約なしの宮崎駿見せたかった:朝日新聞デジタル

ちなみに朝日カルチャーセンター講演(8月1日開催)での鈴木敏夫プロデューサーの発言によると宮﨑駿監督はアオサギのモデルは「いない」と主張しているという。また「鈴木さんじゃないから」と念押しの否定もしているという。

 ――(オンラインの聴衆からの質問)鈴木さんにとって宮崎駿監督とはどんな存在ですか。

 「一言で言えます。友達です。この映画を見た人は『友達』という言葉にどこかで引っかかると思うんですが、それとも関係があるんじゃないでしょうか」

君たちはどう生きるか 鈴木Pの肉声「主人公と時代の悪意を描いた」:朝日新聞デジタル

一方で同じ講演内で鈴木敏夫プロデューサーは宮﨑駿監督について「友達」と本作のラストの展開と被せるような発言をしており、あくまでもアオサギのモデルは自分という認識の模様。作り手がモデルの存在を否定する一方で、モデルとされる人物は自身がモデルと主張するカオス状況。しかも後者も作り手側の人間で、両者の関係性は良好。果たして宮﨑駿監督にとって本当にアオサギのモデルはいなかったのか…

 

 

  • 最後に…

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の時は「マリのモデルは庵野さんの奥さん」という風潮に対して公式が否定して、「公式がそう言ってるんだから違うんだろう」「公式側が本当のことを言ってるとは限らない」「あまり現実の人間とキャラクターを同一視しない方がいい」「でも無意識レベルで投影している可能性は否定できない」など論争になってたが、今回のケースは鈴木敏夫プロデューサーの発信力が強いからか「まー、宮さんが素直に認めてないだけでモデルは鈴木さんだよね」みたいなムードを感じる。

 

 

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