『FF16』のメタ的ネタバレ考察。
- 「FFらしさ」にクリスタルは必要なのか
『FF』シリーズは『ドラクエ』に並ぶ国民的RPGに関わらず、近年そのブランドは失墜している。特にオフライン版の直近2作品『FF13』『FF15』のネットでの評価はボロクソだったし、売上にも反映されている。こうした状況の中で定期的に話題になるのは「じゃあ、お前らはどんな『FF』をやりたいの?」という問い。そこで必ず出るのが「クリスタルを軸にしたファンタジーに原点回帰すべきだ」という意見だ。一方で現在『FF』シリーズでトップの人気を誇る『FF7』と『FF10』はクリスタルが軸の物語ではない。寧ろ酷評された『FF13』と『FF15』はクリスタルが重要な意味を持っていた。こうなるとクリスタルは『FF』の象徴でありながら、必ずしもみんなが求める「『FF』らしさ」ではないという状況が浮かび上がってくる。そのためファンの間では「理想の『FF』にクリスタルは必要か否か」が定期的に議論となる。
- クリスタスの加護を断ち切る物語
そんな中、昨年発売されたシリーズ最新作『FF16』ではキャッチコピーの「これはクリスタルの加護を断ち切る物語」にあるように、主人公・クライヴが「人が人らしく生きれる世界を作る」ために「マザー・クリスタル」を破壊する物語が描かれる。また主人公の弟・ジョシュアはクリスタルについてメインテーマをバックに以下のように語る。
ジョシュア「クリスタルの加護のもとで生きるのは… かりそめであれ幸福だ だが それは自らを檻に 閉じ込めるのと変わらない 一方で加護を離れて生きるのは苦難の道… でもそれは同時に僕たちが 自由を手にするということ」
メタ的に見ればジョシュアのセリフは「『FF』を続けるにあたってクリスタルに頼りたくなるけど、それは過去の縛られているのと変わらない、だからといってクリスタルを捨てるのは苦難の道、でもそれは新たな可能性を開くことにもなる」と『FF』シリーズの今後の方向性を模索しているセリフにも聞こえるし、「主人公が『FF』の象徴であるクリスタルを破壊する物語」がメインプロットであることを踏まえるとかなり意味深にも思える。
- 「最後の幻想」と「究極の幻想」
更に本作ではラスボス戦でアルテマが「この世界を"最後の幻想"にしてくれる!」と言い放つの対して、クライヴは「なら 俺は創世という"究極の幻想"を打ち破る!」と対抗する。「最後の幻想」も「究極の幻想」も共に「ファイナルファンタジー」と英訳することができる言葉。これではアルテマもクライヴも『FF』シリーズの歴史を『FF16』で終わらせようとしているみたいではないか。アルテマを倒したクライヴがクリスタルのオリジンを破壊するのも「創世」という言葉と合わせて示唆的だ。
- 最後に…
本作はラスト「こうしてー クリスタルをめぐる探求の旅は終わった」と結び、遠い将来で今回の冒険が『ファイナルファンタジー』という本として伝わっていることが示される。タイトル回収でここにも「最終作」感も出しているが、最後の最後に「そして、新たな物語が紡がれていくー」と締める。これには2通りの解釈ができる。一つ目は「『FF16』こそ『FF』の始まりであり、その後にこれまでのシリーズが続いている」。ただこれは邪道な見方だろう。本命なのは二つ目の「これからも『FF』は続いていく」。「クリスタル破壊」のメインストーリーも踏まえるなら「後に続く人も『FF』の新作は変に伝統に縛られずに好きに使っていいんだよ」というメッセージだろう。
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