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「『FF』の象徴・クリスタルを破壊する物語」、崩壊したブランドの復権を託された『ファイナルファンタジーXVI』ネタバレ感想

FINAL FANTASY XVI(ファイナルファンタジー16) - PS5

「今年のゲームは今年の内に、特に今年を代表するようなビッグタイトルならば…」ということで『FF16』をプレイした。

 

  • 崩壊したFFブランド、復権託された16

ファイナルファンタジーXIII - PS3

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『FF』シリーズは『ドラクエ』と並び日本を代表する国民的RPG。ただ『FF12』以降の失速感は否めず、近作『FF13』と『FF15』は2作連続(オンラインの『FF14』は除く)評判がイマイチで、ネットでは「クソゲー」と烙印を押されて、『FF13』は「パルスのファルシのルシがパージでコクーン」「一本道ではなく最早片道」「ライトニングさん」、『FF15』は「悪い、やっぱ辛えわ」とネタ扱いされている。そしてこれはネットという偏った空間での偏った評価という訳ではなく売上の推移を確認しても『FF7』は国内累計400万本、『FF8』は国内累計370万本、『FF9』は国内累計290万本、『FF10』は国内累計320万本と高いアベレージを誇っていたのに対して、近作は『FF12』は国内累計260万本、『FF13』は国内累計200万本、『FF15』は109万本と右肩下がり。勿論『FF15』はそれまでのシリーズと異なりダウンロード版での購入者も多い一方で、累計本数はパッケージ版の売上本数のみの数字であることから単純比較は出来ないが、発売を予定していた「DLC」が中止になるなど売上が振るっていなかったのは間違いなさそうだ。そのため「FFブランド」が大きく低下していることは多くの人にとっての共通認識となっている。

この15年ほどはナンバリング作品の発売間隔が長期化しており、“一番多感な10代前半~後半という時期に、思い出として『FF』シリーズが刺さっていない”方々が多いのが実情です。/今後の新作は『FF』ファン以外も含めた全世代のゲームファンに、「すごそうなゲームが出るからチェックしないと!」と思ってもらわないと……という危機感です。

(「オープンワールド」や「コマンド」などの採用の有無の)ポイントは「どっちつかずになり、誰が作りたいシステムなのか、誰に届けたいゲームなのか、わからなくなるくらいなら、いっそなしでいい」ということです。

『FF16』召喚獣合戦は毎回ゲームデザインが違う!! 物語や戦闘に迫る吉田直樹プロデューサーインタビュー - 電撃オンライン

こうした危機感は当然制作側も共有しているらしく、低下した「FFブランド」を復権させるべく『FF16』では『FF14』を立て直した吉田直樹氏をプロデューサーに起用。吉田Pは『FF』シリーズの発売間隔を問題視する発言や「オープンワールド」を採用しない理由を「どっちつかずになるくらいならいっそなしでいい」などと説明するなど、近年の『FF』ブランドの低迷の原因や『FF15』の問題点を正確に分析して認識したい様子が窺えた。その一方でこれまでナンバリングタイトルを制作してきた「第一開発事業本部」ではなく「第三開発事業本部」が制作することや「オープンワールド」不採用の理由から見える「出来ることと出来ないことをハッキリさせてやれることをキッチリやる」というスタンスは合理的に見える反面、何処か「置きに行く」保守的なスタンスにも思えた。

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小説 FINAL FANTASY XV -The Dawn Of The Future- (GAME NOVELS)

ただ近年の『FF』の状況、特に『FF15』の「前日譚は映画、各キャラの掘り下げはDLC、バグは後からアップデートファイルをダウンロード、発売中止になったDLCの分は小説で補完」という「消化不良」ぶりは酷かった。そもそも別タイトルを制作期間が長引いたことを理由にナンバリングタイトルにするという経緯自体が本来あり得ない話だった。こうした状況を踏まえればここで「ちゃんと一本で完結している満足度の高いゲーム」を手堅く出しておくのは正しい選択なのではないか、と思えた。

 

 

  • 『FF15』から改善も…、「描写不足」否めず

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そしてその意味では『FF16』は『FF15』の問題点をかなり改善してきたように思う。『FF16』と『FF15』は「主人公が王家の息子」「物語序盤で王都が陥落」「幼馴染のヒロインがいる」など被っている設定も多いが、『FF15』では「主人公がいきなり冒険に出発するからプレイヤーが故郷に思い入れが出来ない」「主人公とヒロインが殆ど絡まない内に死亡して感情移入し難い」との指摘があったが、『FF16』では「冒頭で幼少期のパートを挿入」「主人公がヒロインと共に冒険に出る」などそれらの指摘を改善。その結果『FF15』ではあまり感じられなかった大人になってから故郷に帰ってきた際の「時を経てあの場所に戻ってきた」感が『FF16』では担保されていた。ただ主人公・クライヴの復讐心が弟・ジョシュアばかりで、良好な関係そうだった父親に対してはあまり持ち合わせてなさそうだったのは「お前結構薄情だな」感はあった。またヒロイン・ジルも絡みが多い割に印象が薄い。一昔前、二昔前のオタクウケする王道ヒロインという感じ。ただ愛着は湧いた。

また『FF15』では「王都陥落」「父親の死」という物語の軸の起点となる緊迫感漂う設定と「プレイヤーが幼馴染4人と本当に旅をしているような体験を味わえるオープンワールド型アドベンチャーゲーム」というコンセプトの相性が悪く、その上「Chapter9」以降は強制一本道ストーリーで物語が急速に雑に閉じていく感じが不評を買ったが、『FF16』は『FF』シリーズらしく終盤は物語がどんどん大きくなっていき消化不良を起こしている感も否めなかったが、物語の最初から最後までちゃんとストーリーが展開されているという満足感はあった。少なくとも『FF15』のような「駆け足」感や「ちゃんと最後まで作り込んでから出せよ」感はなかった。

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ただ『FF15』に続いて「描写不足」の面は目立った。例えば「おじさんとの再会シーン」でクライヴが幼少期の頃の思い出の寸劇を始めるが、プレイヤーはそのことを知らないから再会の感動にイマイチに乗り切れない。同じような物語構成で比較対象となりがちな『ドラクエ5』のキラーパンサーとのビアンカのリボンを使ったゲーム的な再会シーンと比べるとかなり勿体なく感じる。再会のシーンでいうと早々に生きていることが明かされたジョシュアがクライヴを目と鼻の先で確認してるにも関わらず中々再開しないで引っ張った割に特にその理由がなかったのも「…」だった。ジルとの再会シーンも「いや、気づけよ」感は半端なかった。またクライヴは他者の召喚獣を吸収して自分の能力として取り込むことが出来るが、能力を取られた側の扱いが分かりづらい。そのためクライマックスでディオンがクライヴとジョシュアを乗せて空中に浮かぶオリジンに乗り込み、戦闘をしているシーンでは「あっ、召喚獣を取られた後も普通にその姿になって活動できるんだね」という若干の戸惑いがあった。ディオンに同性の恋人がいる設定も立場的に「世継ぎを作れない自分は王家の後継者に相応しくないのでは…」的な葛藤があってもよさそうだったのに、そういうのがなかったのも残念。

物語の後半の軸となる「マザークリスタルを破壊する」というミッションも「シドが死んでからの5年間は何をしてたんだ?」問題は「隠れ屋の復興で忙しかったのだろう」と汲み取るにしても、マザークリスタルの破壊は「黒の一帯」を止める目的があるにしても、世間的に「大罪人シド」扱いされていて実際多くの人の生活を壊しているにも関わらず「人が人として生きられる世界を…」を目標にしているクライヴはそこには特に葛藤を抱えている様子がなく次々とマザークリスタルを破壊しに行くので、なんかイマイチ乗り切れない感もあった。マザークリスタルを破壊した結果「黒の一帯」にどのような変化があったのかを気にかける様子がないのも違和感があった。マザークリスタルが破壊されてクリスタルによる魔法が使えなくなれば魔法が使えるベアラーがより酷使されるのは火を見るより明らかだが、後半はベアラー問題がサブクエを除けば殆ど触れられなくなったり、そもそもクライヴはフェニックスゲート事件以降長年ベアラーだったはずなのに、当事者意識が薄かったりするのも何だか色々とキャラクターに深みを感じさせないモノになってしまっていたようにも思う。この点においては『FF15』の主人公・ノクティスの方が魅力的だった。「自我」がテーマの作品の主人公に対して「コイツ、シドの遺言通り動いてるだけで言う程自我あるか?」と多くのプレイヤーに思わせてしまったのも厳しかった。ラスボス戦手前で明かされる「マザークリスタル破壊はアルテマが仕組んだモノだった」という展開もアッサリ流して「後は倒すだけ!」みたいのも「なんだかなぁ」感はあった。キャッチコピーになってる「その正義は、何を救うのか」をもっと掘り下げて欲しかった。アルテマ戦で「みんなの想いを背負って」的な感じでジルらから託されたのと一緒に相手から奪い取った召喚獣のアビリティも打ち込んでるのも微妙にノイズだった。

 

 

  • ストーリーの性質上制約の多いアクション

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ストーリーに対してのモヤモヤはここら辺で一旦引き上げて次はアクションシステムについて言及したい。『FF16』は「アクションRPG」であるが、ネットでは「ボタン連打の単調なアクション」もしくは「深みのあるやり込み甲斐のあるアクション」と評価が二分している。おそらく「ボタン連打で単調なアクション」と感じた人は「ストーリーフォーカスモード」で回避などを自動的にやってくれるアクセサリーを装備したプレイヤーで、「深みのあるやり込み甲斐のあるアクション」と感じた人はアクションゲーム上級者なのではないか、と推察される。『FF16』は吉田Pによる「アクションが苦手な人からすれば難易度イージーモードはバカにされている気分になるのではないか」的な考えから「難易度モード」ではなく「ストーリーフォーカス」か「アクションフォーカス」かの選択制になっているが、個人的に「アクション苦手な人は全自動でやってくれるアクセサリーつけてね」の方がバカにされている感があるのではないか、とは思った。

そんな独特なモード選択をさせる『FF16』を自分は「アクションフォーカスモード」をアクセサリーなしでプレイしたが、当然「ボタン連打の単調なアクション」では全くなかった。敵の攻撃のタイミングを掴んで回避やパリィを決めたり、コンボ技を決めるのは楽しい。また敵が弱った時に一気に召喚獣アビリティを叩き込むのも快感だ。ただ後半は「取り敢えず召喚獣のアビリティを打ち込んでおけばOK」という脳筋ゴリ押しプレイで何とかなっちゃうので「深みがあるやり甲斐のあるアクション」という認識までは届かなかった。トルガルに至っては完全に持て余した。それでもアクションゲームとしての楽しさはあった。一方で『FF16』には「属性」、つまりは「炎系の敵には炎系の攻撃は効かず、逆に氷系の攻撃で大ダメージを与えることが出来る」的な「コマンドバトルあるあるのジャンケン要素」みたいのはなかったのが物足りなさでもあった。これはクライヴがストーリーの進行に合わせて召喚獣のアビリティを獲得していくという『FF16』の性質上仕方ないことではあるが、他にも物語終盤まで使える属性の魔法が限られている、バトル中に使える召喚獣が3体だけ、回復系魔法がない、などガッカリ要素も多かった。

「召喚獣バトル」に関しては音楽・映像も相まって作り手の「どうだ!カッコいいだろ!」という熱い想いがストレートに伝わってきてかなり盛り上がった。バハムート戦で宇宙に行く展開も賛否割れているようだが、個人的には『FF』らしい振り切り要素で好意的にプレイした。ただ長すぎて中盤ダレた感も否めない。また一回のバトルが長い割に回数は少ないのが物足りない。もっと一回のバトルの時間は短くして、バトルの回数が多いと嬉しいのだが、これもストーリーの性質上難しいのだろう。その意味でも『FF16』はやはりアクションシステムではなくストーリーに重きを置いているようだが、上述したようにストーリーの方にも色々と不満点が浮上しているので「もうちょっと何とかならなかったのか…」感は強い。

 

 

  • 最後に…

そんなこんなで他にも「キャラクターの表情が硬い」とか「ムービーが長過ぎる」など不満を上げればキリがないのだが、『FF15』と違ってボリューム的満足度や「ゲームをクリアした」という達成感は高い。またラストの解釈や賛否も割れているようだが、個人的に召喚獣の生死が分かるであろうジルの反応からクライヴは死んだが、彼の犠牲によって絶望の中に光(崩壊した街で1人生き残った女性の赤ちゃんが生まれた、太陽が昇ってきた)が見えた、クライヴがシドの想いを引き継いだように、ジルたち残された人々もクライヴの想いを引き継いで世界は平和に近づいていくのだろう、的なエンドは良かった。ちょっと泣きそうにすらなった。エンドロール後の魔法がなくなった未来の世界でクライヴたちの闘いが本になって「ファンタジー」扱いされている着地点も素晴らしかった。サブクエの羽ペンのことを踏まえるとクライヴは死なずに生きていて、石化してない方の手で弟の名を使って本を執筆した、と見るのが妥当なのかもしれない。

また『FF16』の「多くの人から神聖化されているマザークリスタルを破壊しに行く」物語は「『FF』の象徴であるクリスタルを破壊する」というメタ的な読み解きも出来るが、その意味でも本作の着地点は「新たな物語が紡がれていく」、つまりは「『FF』シリーズは続いていく」という宣言のようで感動した。そのため個人的に『FF16』は「色々言いたいことは山ほどあるけど、最終的に『なんか良かった』」という評価になった。ただ「『FF15』とどっちが好き?」と問われると微妙なところ。『FF16』は良くも悪くも召喚獣バトルのやり過ぎ感が最大の魅力だったと思うので、やっぱり「安定」よりも「尖っている」作品を目指してシリーズを積み重ねて欲しい。

最後にミドがキャラ的に好きだったので、戦闘に参加しないまでもエンタープライズが飛空艇になって、オリジン近くまで飛んでいき、「あとちょっとなのに届かない」的な所でディオンがクライヴとジョシュアを背負って飛んでいく、みたいなクライマックスが見たかった。

 

 

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