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海洋生物故に日本だけを襲う訳ではないはずなのに… 『ゴジラ−1.0』の「アメリカはソ連の刺激を恐れて軍事行動出来ない」問題

【映画パンフレット】 ゴジラ-1.0 GODZILLA -1.0 監督:山崎貴 出演:神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介 マイナス ONE

山崎貴監督『ゴジラ−1.0』は公開直後から「アメリカがゴジラ討伐に動かない理由がソ連を刺激するからっておかしくない?」「日本の民間を活躍させるためのご都合主義な設定に見えて萎える」的な批判がある。

 

それに対して「アメリカはゴジラの情報を事前に得ていて、既に避難していたのではないか」みたいな擁護もあった。ただゴジラは海洋生物であり、日本だけを襲う生物ではない。当然日本を襲った後はアメリカやソ連、中国などに上陸して暴れる恐れがある。つまりこれは日本だけの問題ではなく全世界的な問題であり、海外視点では自国に上陸して被害を出す前に何とかケリをつけたい問題である。そのためアメリカからしても「占領下の日本とかいらないので、自分たちの手で何とかしてください」という訳にはいかないはずだ。寧ろゴジラが海にいるのなら、その結果は置いといて、アメリカは核兵器を使うのではないだろうか。

 

 

そういう風に考えていくと本作の「ゴジラを倒すために再び日本人が武力を持って戦闘に向かう」という展開は納得しにくいものがある。その意味では『シン・ゴジラ』は「日本で活動停止したゴジラに向かってアメリカが核を落とす決定をした」からこそ、「世界目線ではゴジラが日本に留まっている内に、何とかしたい、日本には世界のために必要な犠牲になって欲しいという気持ちは分かる。ただ日本に住む我々からすればここには多くの人たちの生活があり、それを簡単に手放す訳にはいかない。しかし核が落とされれば、仮にゴジラを倒せても日本は終わる。それを回避するためにはアメリカが核を発射する前に自分たちの手で何とかしなければならない」という「日本が自らゴジラを対処しなければならない」という流れになる説得力があったように思う。

 

 

またここら辺の展開に色々ない意見があることは承知しているが、『シン・ゴジラ』は世界各国からの力を借りてゴジラを討伐していく展開であり、そこには日本だけには留まらない世界に開かれた展開になっていたように思う。ジェンダー的にも男女の活躍が描かれていた。一方で『ゴジラ−1.0』はそこに敗戦国・日本の元軍人たちのロマンが込められていることは理解しているつもりではあるが、やはりそれは日本だけに閉じた展開に感じる。その上、「じゃあ、オレたちがやるしかないっしょ!」に至る流れが弱いので、そこで描かれるロマンに浸りきれないところはあった。

 

 

もちろん裏ではアメリカも対策を練っていたのかもしれないが、それならそれで日本人に武器を渡す流れになるのもイマイチ飲み込みにくいように感じた。

 

 

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