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「女の子だから短大でいいよね」が「可愛い制服問題」へ、『セクシー田中さん』原作者の背筋を曲げさせた「日テレの原作破壊案」

セクシー田中さん コミック 1-7巻セット

日本テレビ及び小学館の『セクシー田中さん』問題の調査報告書が公表された。

 

  • 原作者の「ドラマ化アレンジ」へのスタンス

芦原氏は、監修者として漫画とドラマは媒体が違うので、ドラマ用に上手にアレンジするのがベストであることは理解している。全てお任せして「ああなるほどそうくるのか!面白い!」と思える脚本が読めるなら、一番良いが、「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」がされるなら、しっかり、原作通りの物を作ってほしい。

https://doc.shogakukan.co.jp/20240603a.pdf

小学館の調査報告書によると原作者の芦原さんは「原作に忠実であること」を「ドラマ化の条件」としていたなどと主張していたが、これまでも複数の作品のメディアミックスを経験してきた作家であることから「漫画とドラマの媒体の違い」や「スポンサーの意向」などには理解を示しており、必ずしも「ドラマ用のアレンジ」に否定的な作家ではなかったという。寧ろドラマ用のアレンジで「面白い!」と思わせてくれるのが「一番良い」とも主張していた。一方ドラマ制作過程で「『ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変』がされるなら、しっかり、原作通りの物を作ってほしい」とも主張しており、日テレサイドが提示した原作改変案に大きな不満があったことがうかがえる。

 

 

  • 日テレサイド、ジェンダー要素理解せず

原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の10代、20代としてはりアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、「うん、そうだね」と笑って受け入れたという設定に変更する旨のプロット案を送した。

2023年6月12日、上記プロット案に対する本件原作者の返事として、かわいい制服の私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである、原作のジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨の記載がなされた文章が送された。

https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf

実際、日テレの調査報告書を読むと「朱里は父親のリストラを理由に短大に進学した」という設定を「本当は友達と一緒に制服が可愛い私立高校に進学したかったけど、父親の会社の不景気で母親から『公立でいいよね』と言われて笑って受け入れた」という設定に改変する案が提示されたという。この日テレの調査報告書だけだとイマイチ伝わって来ないかもしれないが、原作の朱里は「不幸にならないためのリスクヘッジ」のために若さと可愛さを武器に合コンを繰り返して「普通で堅実な男」と結婚しようとする23歳の派遣OLという設定だが、その背景には父親のリストラによる収入低下で母親から「弟を4年制大学に進学させたいから女の子の朱里は短大でいいよね」と聞かれて笑って受け入れるしかなく、その後の就活でも上手く行かずに正社員になれなかったことから「一生独りでは生き抜けない」と思える初任給しか貰えなかったことにあった。つまり「朱里が『女の子だから短大でいいよね』と母親から言われて笑って受け入れるしかなかった」という過去は今の朱里のキャラクターを形作る上で根幹となっている重要な設定だったし、そこには「女の子だから〜」「男の子だから〜」というジェンダーの問題が提示されていた。そして本作においてこれらのジェンダー要素は各キャラクターを縛りつける「生き辛さ」の原因として提示される作品全体のテーマの一つでもあった。しかし日テレが提示したのは所謂「世間がイメージするステレオタイプな女の子らしい悩み」への改変だった。だから芦原さんは日テレから提示された改変案に「可愛い制服の私立高校に行けなくなったなど『心底どうでもいい』」と強い言葉で切り捨て、「原作のジェンダー要素も逃げずに描いて欲しい」と訴えたのだろう。

その当否は別として、本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論と積極的な理由があった。しかしながら、本件原作者の上記返内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる

https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf

こうした芦原さんの主張もあり、実際に放送されたドラマ版は原作通りの設定で放送されたが、先日公表された日テレの調査報告書ではこの改変案を「それ相応の議論と積極的な理由があった」として「本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況」と「原作者に改変の意図が伝わりきらなかった」という反省を示している。正直「この期に及んで原作者の伝えたかったことを理解できていないのか…」と絶望的な気持ちにさせられるし、この制作陣と正に「暖簾に腕押し」状態のラリーをしていた芦原さんの心労を思うと、言葉では表現出来ないようなやり切れない気持ちにさせられる。

 

※この改変案に対してはSNSやネットニュースの識者のコメントでも原作もドラマも見ていないからなのか、ピントがズレた意見が多いように思う

 

 

  • その後も続いた「原作破壊案」

ラスト構成案に関しても、ドラマの最終回にむけての朱里の進路について、脚本家が、田中さんの後を追ってダンサーになる案を提案していることに対し、原作では田中さんから自立してメイクの道に進むことになっていることから、これに沿うように求めた。その中で改めて朱里はダンスではなく田中さんに夢中であり、最後は別の道を目指す人物で、田中さんへの依存に見えることは避けたいと注文を付けた。

https://doc.shogakukan.co.jp/20240603a.pdf

朱里が田中さんにメイクをしたが老けメイクとなり失敗するシーンをカットするか(制作サイドでは、該当女優の肌がきれいすぎるため映像ではうまく表現できない等の理由でカットしたい)等で制作サイドと本件原作者でせめぎ合いがあった。/メイク失敗(老けメイク)シーンは、「物理として超えられない年齢の壁」があるにもかかわらず、いくつになっても変われる、自分らしく生きられるという本件原作のテーマであること、朱里が将来メイク関係の仕事に夢を持つ大切なエピソードなので、出来れば端折らないで欲しいということであった。https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf

他にも調査報告書を読むと昨年5月の段階で原作未完故に「ドラマオリジナルのラスト」として今後の原作の展開をネタバレにならない範囲で先出する形で「朱里はメイクの道を進む」と提示されていたにも関わらず、昨年7月に「朱里がメイクの道に進むキッカケとなる大切なエピソードを役者の肌の都合でカットしたい」という改変案を提示されているなど「ちょっと勘弁してくれよ…」という内容が続いている。そのため今回の日テレが提案した改変案の多くは「原作を大切にした上での漫画とドラマの媒体の違いから生じるアレンジ」の域を超えた「原作破壊案」と批判されても致し方ない内容だったように思える。

 

 

  • 最後に…

ただ芦原さんの抵抗もあり、実際に放送されたドラマの内容は「原作に忠実」な作品となっており、本人も世評を合わせて一定の満足度を示していたという。ここから自殺に至るまでの流れはまた複雑なので、気力があったら項を改めて記すこととする。

 

 

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