ネタバレ注意
ディズニー・ピクサー最新作『インサイド・ヘッド2』を観た。
- ライリーに思春期到来、新たな感情芽生える
本作は2015年に公開された『インサイド・ヘッド』の9年ぶりの続編。前作は「ヨロコビだけでなく時にはカナシミみたいに一緒に泣いて寄り添ってくれる感情も大切だし、それがヨロコビにも繋がってるんだよね」みたいな話でかなり感動した記憶(本作でヨロコビがカナシミノのことを「こういう気持ちも必要」とナチュラルに肯定しているのが続編感あって良かった)があるが、今回は13歳になったライリー(前作が11歳で9年で13歳?)が思春期を迎えて新たな感情が芽生える物語。正直、前作の大人たちの感情がライリーと同じ5種類しかなかったのに、続編では「大人になると新たな感情が登場して、更に歳を重ねると…」みたいな展開になってるのは後付け設定でしかない(自分がそれに気づいたのはエンドクレジットだが…)のだが、そういうのは一旦置いといて、安定のピクサークオリティで物凄く面白かったし、今回も感動的な作品だった。
- ポジティブ思考な「シンパイ」の行く先
\誰にでも役割ってあるよね💡/
— ディズニー・スタジオ(アニメーション)公式 (@DisneyStudioJ_A) 2024年7月31日
アニメーション映画史上歴代No.1特大ヒット🎉
8/1公開『#インサイドヘッド2』本編映像公開✨
ライリーの頭の中に現れた
新しい大人の感情 #シンパイ💦
(日本版声優🗣️#多部未華子 さん)
“未来を考えて計画を立てる”という
シンパイが予測するライリーの将来は…❓ pic.twitter.com/FKf56koPX8
本作では前作のヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリに加えてシンパイ、イイナー、ハズカシイ、ダリィが登場。初めは「シンパイとビビリって若干被ってないか?」とも思ったが、ビビリは目の前のモノにビビって怖がるのに対して、シンパイはまだ起きていない未来のことを心配して、それを避けるために奮闘するという意外にもポジティブな感情で、ビビリよりもヨロコビとポジションが被る存在。シンパイが「ライリーがアイスホッケーチームに入らなかったら、高校生活では孤立して、先生以外から名前を覚えられない人生になってしまう!」と心配して奮闘していくが、後半「最悪の事態を避けるためにここで何としても結果を出さないと終わる!」と暴走状態になることでライリーが精神的に追い詰められてパニックになってしまう描写は、本来人間の成長に必要な「未来の心配を回避するために頑張る!」というポジティブ思考が行き過ぎると人を壊しかねないネガティブ思考になって破滅を招きかねないことを前作のヨロコビよりも踏み込んで描きながら(シンパイが「何とかしなくては!」とコントローラーパネルのボタンを凄い勢いで押しまくって収集がつかなくなり、呆然と立ち尽くすしかない様子は本当に怖い)、「あの感情の裏側ではこういうことが起きていたのか…」という『トイ・ストーリー』シリーズから通じるピクサーらしいカタルシスに落とし込んでいて、「やっぱピクサー凄いな」と改めて実感させられた。不安な夜に「試合会場にトラックが突っ込んできて…」みたいなほぼあり得ないレベルの心配から、「明日の試合の成功を機にオリンピック選手に選ばれて…」という都合が良すぎる妄想までギャップの激しい想像をしてしまったり、まだ馴染めてない集団と共に行動する時の手持ち無沙汰をパーカーのポケットに入れて誤魔化したり、自分の好きなバンドを言うのが恥ずかしくて茶化し気味になってしまうなど数々の「感情あるある」ネタの脳内内幕の描写も面白かった。恥ずかしさで頭がいっぱいの時の脳内がコントロールパネル全面に覆い被さってるハズカシイで、唯一余ったボタンをカナシミが押すことで「つい泣いてしまった」描写になっていたのも「そういうことだったのか!」という腑に落ちた感が凄かった。
※シンパイの「心配回避のためのポジティブ思考」でライリーが精神的に追い詰めれて本来のパフォーマンスが発揮出来ない様子は、近年指摘されてる「指導者は良かれと思ってやってる敢えてプレッシャーをかけて自分の壁を壊して貰おうと期待する指導法」にも通じるものがあるな、と感じた
- 形成される「自分らしさ」とは…
前作の否定?違うよ!「インサイド・ヘッド2」
— ゴミ雑草 (@mjwr9620) 2024年8月5日
→ピート・ドクター「感情がその人を規定するわけじゃない。感情は移り変わるし、意思によって感情を選ぶことも出来る。感情と人格はどういう関係にあるのか?僕なりに考えを巡らせ、この物語をうまくまとめられたと自負」 https://t.co/sDVTIbkeGu
本作では「思い出の玉を泉に入れることで『自分』を形成していく」という設定があり、ヨロコビらは「テストで悪い点を取って叱られた」とか「自分に手を振ってると思って男の子に手を振り返したら別の人に手を振っていて恥をかいた」などの「失敗エピソード」は排除して、「クラスの発表で集めた募金をばら撒いてしまった子を助けて友達になった」などの「成功エピソード」を集めて「ライリーは良い子」という「自分」を形成していた。(ここら辺は「ヨロコビ、それは前作で学んだことの延長線上で考えてくれよ…」感はあったが…)一方でシンパイはそれではライリーのためにならないと判断して「未来の心配を回避したエピソード」を集めて「新しいライリー像」を作ろうとするのだが、本作では最終的にヨロコビは「感情が決めるものではない」と認識を改めて、自分たちが排除した「失敗エピソード」も含めて「良いライリー」も「悪いライリー」も「全部本当のライリー」で「人は色々な側面を持っている」と着地させたのも見事。中にはこの結論に対して「作品のコンセプトの否定では?」との意見もあるみたいだが、個人的には明るい人が常に喜びで満ちている訳ではなく、それだけを続けていると壊れてしまうのと同様に「人間には色々な感情が必要だし、それ故に色々な自分がいる」という着地は「ヨロコビだけでなくカナシミも必要」という前作から通じる作品のコンセプトの本質に迫っている結論のように思えた。
※「本当の自分とは…」のアンチテーゼかつ普遍的な結論という感じ
- 最後に…
そんなこんなで「パブリックイメージとしてネガティヴに思える『シンパイ』をポジティブ思考な感情として描きながら精神的に追い詰められてしまう過程を映像に落とし込んだ」ことにとにかく凄さを感じた作品だったが、他にも「最新の3DCGアニメーション」の中で「手描きアニメーション」と「一昔前のゲームのジャキジャキグラフィック」を同居させる演出など純粋なアニメとしての楽しさも担保されていて良かった。このまま「恋愛編」などライリーの成長と共に感情たちの物語を描く続編を作って欲しいが、9年で2歳しか歳をとってないことを考えるとライリーと自分の年齢差が広がる一方の可能性もあり、それを考えると若干鬱。
【オマケ】
ピクサーだから難しいけど、犯罪者の思考とか描いて欲しい
【オマケ2】
ライリーの唇の下にずっとニキビがあって「等身大の普通の女の子」演出が行き届いてるな、感があった
【オマケ3】
前作は「アメリカの子供と違って日本の子供はブロッコリーではなくピーマンが嫌いな食べ物の上位」ということで、日本版のライリーの嫌いな食べ物がピーマンに差し替えられていたが、今回はライリーが嫌いなものを想像した際に出てきたのがブロッコリーなのは「なんだかな」な部分
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