スポンサーリンク

『美女と野獣』と「川」と「インターネット」の二面性、細田守監督最新作『竜とそばかすの姫』

「竜とそばかすの姫」オリジナル・サウンドトラック

2021年7月16日(金)、細田守監督最新作『竜とそばかすの姫』が公開された。

 

  • 約10年スパンで描かれるインターネット世界

デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム

サマーウォーズ

細田守監督は2000年に『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』、2009年に『サマーウォーズ』、そして今年2021年に『竜とそばかすの姫』と約10年スパンでその時代にあったインターネット空間を描いてきた。本作のオープニングは意図的に『サマーウォーズ』のオープニングと似せることで、アニメとしての技術的進化を見せつけてくる演出となっているが、そういうことを知らなくても開幕早々「映画館の大スクリーンで観てよかった」と思わせてくれる圧倒的な密度の世界観が映し出され満足感が高い。また21年前の『デジモン』の頃はまだ新しいツールで「ある種の特権的な存在」でもあったとされるインターネットが、本作では現実世界と密接に関わっており、自分の殻に閉じこもってしまっていた主人公のすずがネットの世界で歌い、自己肯定感を高めていき人気者になっていく姿は「HIKAKIN」や「Ado」などのネット有名人を彷彿とさせ、YouTuber以降の「スマホ一つで誰にでもチャンスがある世界」が表現されていて、現代に相応しいアプローチだな、と感じて大変盛り上がった。一方で朝井リョウの『何者』以降の作品としてインターネットの表現にひと昔感があるのも事実だとは思う。

 

 

以下ネタバレ

 

  • 「母親への疑問」と「川とインターネット」

本作はインターネット空間<U>と「Bell」の歌う音楽は評判がいいも、クライマックスの展開は賛否が割れている。それは「『すずが自らアンベールしてインターネット空間で素顔を晒して歌うこと』と『大人の付き添いなく子供を虐待する父親の元に向かわせてしまう』のが夏休みのファミリー映画の展開としては危険だし、物語的にも違和感がある」という指摘だ。

細田守監督「今回の映画の中で「川」というのは大きな意味があって、単に主人公が暮らしている町に川が流れているというだけではなく、生と死の象徴でもある。主人公のすずは幼い頃にお母さんを川で亡くしているから、ただ美しいだけではなく、その裏にある表情も含めて川の二面性みたいなものも表現しなければならない。」

『竜とそばかすの姫』細田守 本誌未収録インタビュー Vol.4 デジタルで描く背景美術SWITCH 2021年8月号 特集:SOUNDTRACK 2021 – SWITCH ONLINE

まず前者に関してはすずが「子供時代に母親が見ず知らずの子供を助けるためにすずを置いて荒れる川の中に入って助けにいくも亡くなってしまった→そのことをすずは疑問に思ってこれまで生きている」という設定がある。本作は細田守監督が認めるように『美女と野獣』をモチーフにしているが、その理由は「野獣の二面性」と「インターネットでの人格の二面性」が構造的に重なるから、としている。そして「二面性」という面では「インターネットでの人格」だけでなく「インターネット空間」そのものにも「良い面」「悪い面」があり、それは劇中で何度も綺麗な水面を見せるもすずの母親の命を奪うほど荒れ狂った「川」にもある。つまり見ず知らずの「竜」のために「二面性」を持つ「インターネット空間」でリスクがありながらも素顔を晒して歌うすずの行動は、見ず知らずの子供を救うために「川」に入っていた母親の行動との対比になっていて、すずは母親と同じ行動を取ることで、これまでは分からなかった母親を理解して成長していくという物語になっている。

 

※危険であることは変わりない

 

 

  • 大人の付き添いがない問題

それなら後者も「母親と同じ行動を〜」のロジックで押し通せそうな気もするが、インターネット空間で見ず知らずの人のためにリスクを冒して、更に現実でも冒すというのは鈍重な気もするし、「あとは行政に任せる」が一番大人な対応な気もする。ただ「48時間ルール」は現実世界でも「守られていない」という社会的な課題があり、映画的にも子供の元へ向かうのが盛り上がるのも事実。ただ流石にすずの周りの大人が子供を虐待をする父親の元へ1人で行かせることを見送りまでして肯定しているのは違和感だ。そのため「母親の周りの人は傍観者でしかなかったけど、すずの周りの人はすずを助けてくれる存在だった→だからすずは命を落とすことなく問題に対処できた」と母親との対比として描くか、もしくは大人は止めるがすずはそれを振り切り(ここで反対する大人を制止する役が同級生でしのぶが「すず、自分の思うように行動しろ」とか言ってたら熱い)、子供の元へ1人で向かい、その道中でこれまで微妙な距離感でいた父親に報告すると、大人の中で父親だけがすずの行動を理解してくれた、とかだったら物語的にも違和感がないし、より盛り上がったのにな、と残念に思う。

 

※劇中の描きた方だと「48時間ルール」が「行政は48時間動いてくれない」みたいな表現だけど、正しくは「48時間以内に動く」。一応劇中オリジナル・ルールの可能性も踏まえて小説版もチェックしたが、地の文で同様の説明がなされていた。ただそうなると、「もう少しセリフに工夫を…」と思わざるを得ない。

 

 

  • 最後に…

細田守監督「しのぶくんは、ヒロインに対してこの男の子はこんな風に振る舞うんだというセッティングの違いでしかないですよ。そう解釈するんだとしたら、それは解釈した人が父性と母性をそうとらえているんだな、ということでしょう。」

細田守監督「母性や父性にとらわれているのでは?」(小原篤のアニマゲ丼):朝日新聞デジタル

最後は不満も書いたが、個人的には『時をかける少女』『サマーウォーズ』と同等かそれ以上に好き。ただ「しのぶはいらない」という意見に対して「しのぶはすずの母親的役割で、すずが母親の行動を理解したことでその役割を解かれたことを示す役割だから必要」と擁護していた自分にとって、細田守監督の「その解釈は母性にとらわれすぎ」という趣旨の発言には「えぇ…」となった。劇中でもすずの前で友達に「しのぶくんは母親みたい」的なこと言わせてなかったっけ…

 

mjwr9620.hatenablog.jp