ネタバレ注意
新海誠監督最新作『すずめの戸締まり』の中盤には『天気の子』の終盤の選択を連想させるシーンがある。
新海誠監督の前作『天気の子』では終盤、主人公・帆高が「東京」と「ヒロイン・陽菜」を天秤にかけ、「天気なんて狂ったままでいいんだ!」と後者を選択する。一方で最新作『すずめの戸締まり』の中盤でも主人公・鈴芽は「東京」と「草太」を天秤にかける『天気の子』の終盤を連想させるシーンがあるが、今回は前者を取る。似たようなシチュエーションだが、『天気の子』で帆高の選択を支持した人でも『すずめの戸締まり』では鈴芽に「要石を刺してくれ!」と願った人は少なくないのではないか、と思う。少なくとも自分はそうだった。
では何故自分は『天気の子』では帆高の選択を支持したのに、『すずめの戸締まり』では鈴芽に要石を刺して欲しかったのか?まず演出の違いがある。『天気の子』は物語終盤、『グランドエスケープ』をバックに帆高と陽菜の2人だけの空間で選択のシーンが描かれる。一方で『すずめの戸締まり』での鈴芽の選択シーンでは東京で暮らす人々の姿とカットバックされる形で描かれ、尚且つダイジンも「人が沢山死ぬよ」と煽ってくるので、どうしてもこの先にあるリアルな死を連想せざるを得なくなる。
また起きている災害も『天気の子』の雨が降り止まなくなり、ゆっくりと東京が沈んでいくのとは違い、避難する余裕もなく一瞬で東京の街並みと住人の命が崩壊するという切迫感がある。こうなると、同じ二者択一に見えても結構状況が異なることが分かる。
『天気の子』を観た時に「この世界の東京で雨が降り止まないのは帆高のせいでも陽菜のせいでもないんだから、彼女を救ったことで東京が沈んでも彼らを責める道理はない」と思っていた自分だが、あの時秤に掛けられていたのが「関東大震災」でも同じ心境になったか、と問われれば怪しい自分がいる。
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