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【Z世代/LGBT/#MeToo】かつて「ゆとり」と揶揄された世代に押し寄せる新時代の波、『ゆとりですがなにか インターナショナル』感想

ゆとりですがなにか 映画フライヤー

映画『ゆとりですかなにか インターナショナル』を観た。

 

  • かつて「ゆとり」と揶揄された世代

本作は2016年に日本テレビ系列で放送されていた宮藤官九郎脚本の同名連続ドラマの劇場版。連ドラ放送当時「ゆとり世代」と揶揄されていた「ゆとり第一世代」のその後を描く物語。「ゆとり世代」とは1987年4月2日から2004年4月1日までの期間に生まれて人たちのことを指す。「えっ!?2000年代前半生まれでもゆとり世代なの!?1990年代後半ですら怪しいのに...」感もあるがどうやら学校教育を受けた期間の内の1年でもゆとり教育導入期間に触れているとその括りに入れられるらしい。本作の主人公で1987年生まれで放送当時29歳だった岡田将生演じる坂間は連ドラ1話目の冒頭で自身がゆとり世代であることに驚いていたが、ゆとり世代末期の層も自身がゆとり世代の定義に当てはまることに驚くのではないか。とはいってもその後「失敗」扱いされるが故に社会に出てから「これだからゆとりは」と揶揄された「ゆとり第一世代」と異なり2000年代前半生まれがそうした揶揄を受けることはないので最早驚くタイミングは皆無に等しく、そもそも社会の多くの人が2000年代前半生まれをゆとり世代と認識していない以上定義上の話はほぼ意味をなさないだろう。また世間がイメージする「ザ・ゆとり世代」は1990年代前半生まれで1990年代後半生まれから「脱ゆとり教育」が始まり、1990年代後半辺りの世代は2017年放送の本ドラマのスペシャル版にも登場した「さとり世代」みたいな呼ばれ方をしたりしている。ところでこの「さとり世代」、定義上は1990年代後半生まれだが、実は1990年代後半以降に生まれたデジタルネイティブ世代の「Z世代」と定義が被ったりしている。そして世代が被っているので当たり前だが「学歴や会社名、結婚にこだわらない」みたいな特徴も一致している。ただ日本発症の「さとり世代」はその特徴の背景は「上の世代を見て悟ってしまったが故に学歴や会社名、結婚にこだわらない」みたいなネガティブな語られ方をした一方で、アメリカ発症の「Z世代」は同じ特徴でも「個人主義で旧来の価値観に捉われていない多様な生き方を求める」的なポジティブな語られ方をしたりする。こうなると世代論に限らず物事の捉え方など解釈次第とよくある話に落ち着くわけだが、よくある話はよくある話だからこそ真理なのかもしれない。

 

※世代の定義については諸説アリ

 

 

  • 押し寄せる新時代の波

前置きが長くなったが本作はスペシャル版放送から6年、社会は「Z世代」「働き方改革」「コンプライアンス」「多様性」「グローバル化」と新時代の波が押し寄せる中で36歳になった「ゆとり第一世代」はどう生きているのか、的な話。とは言っても「これだからゆとりは」の対比として登場する「流石Z世代」についてはかつて「モンスターゆとり」として坂間が苦労した1993年生まれの仲野太賀演じる山岸によって「Z世代の新人を早く返すとゆとり世代の我々にしわ寄せがきてしんどい、でも会社にとっては貴重な人材だし個人をみれば中々良いヤツ」と「かつてのオレたちゆとり世代もそうだったよね」的な、世代の対立を煽るのではなく受け入れていく姿勢が開幕早々語られてその後特に掘り下げはない。「Z世代」の前提であるデジタルネイティブの面もコロナ禍により企業はリモートワークに適応したため、「Z世代」のエピソードではなく会社を辞めて自営業をしているのでその点に疎い坂間との対比という意味合いが濃いシーンとなっている。予告編では「Z世代」代表ぽかった上白石萌歌演じる教育実習生の出番もほとんどない。これは「働き方改革」や「グローバル化」も同様で松坂桃李演じる山路の担任する小学校に海外の転校生が来たり、山岸の勤務する会社が韓国資本に則られるなどのエピソードはあっても本格的に掘り下げられることはない。一方で「多様性」のエピソードである「LGBT」に関しては連ドラ版終盤にの山路の小学生に対する「性教育」が「異性愛」を前提にしていた授業内容になっていた反省なのかかなりの時間を割いて「同性愛」も一つの選択肢として描かれる。また木南晴夏演じるチェ・シネの「#MeToo」エピソードは最終的に山路の恋人候補として回収される反面、作品全体としてはやや浮いた印象も受けるシーンだった。ただ連ドラ及びスペシャル版が放送された2016~2017年以降に注目された社会の変化としてクドカン的には多少強引にでも入れたいエピソードだったのかな、とも感じた。パンフレットのクドカンと監督の対談を読むと「LGBT」と「#MeToo」に関しては相当気を使って描写したことがうかがえた。

 

※チェ・シネがホテルに女性を連れこもうとしていた酔っぱらいのオヤジが乗ったタクシーに突っ込んでいくシーンは劇中で一番グッと来た

 

 

  • 基本全編ドタバタのコメディ映画

と真面目ぶったことをダラダラと書いてきたが、本編は基本全編ドタバタしていてコメディ映画として非常に面白かった。作品後半で坂間が飲み屋で「リーマンショックと震災を免れたと思ったらコロナでオレたちの世代本当についてないよな~」と愚痴る内定が出たばかりの大学生グループに対して「Z世代いいね~面接はリモートですか?」と謎に突っかかりにいったことで頭を殴られて血がダラダラと流れるも、ハロウィンの渋谷故にゾンビコスプレと間違われて警察に相手にされないシーンとかハチャメチャ過ぎてメチャクチャ面白かった。撮影がコロナの影響で2年遅れたのもあってか、過激なことを言って「時代的にまずいですよ!」とツッコまれるギャグ含めて色々な意味で懐かしさを感じる作品だった。

 

 

  • 最後に…

そんなこんなで時代の変化描写に関しては色々と詰めこもうとした結果取っ散らかっている印象も否めないが、本作の本質はかつて「ゆとり世代」と揶揄されながらも頑張って生きてきた若者たちが30代後半とそろそろ本当に若者ではなくなり始めた年齢になっても時代の変化の波に押されながらも昔と変わらず頑張って生きている姿を描くことにあったのではないか。そのため今後も数年おきに「時代が変わる中かつて『ゆとり世代』と揶揄された若者たちは今をどう生きている!?」のコンセプトでおじいちゃんになるまでシリーズを続けて欲しいように思う。最後に吉田鋼太郎演じる麻生が劇中で一番時代に適応して楽しく生きているように見えて憧れる、と思ったが息子の大事な受験期に不倫してるんだよな…

 

 

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