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『ALWAYS 三丁目の夕日』が始まらずに『永遠の0』批判へのアンサーが描かれる山崎貴監督『ゴジラ−1.0』ネタバレ感想

【映画パンフレット】 ゴジラ-1.0 GODZILLA -1.0 監督:山崎貴 出演:神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介 マイナス ONE

山崎貴監督『ゴジラ−1.0』を観た。

 

  • 終戦直後の日本が舞台のゴジラ

シン・ゴジラ

本作は2016年公開の庵野秀明総監督『シン・ゴジラ』以来7年ぶりの国産ゴジラ。『ゴジラ』シリーズは2000年代初頭辺りに公開された「ミレニアム」シリーズが興行不振に陥り、2004年公開の『ゴジラ FINAL WARS』で一度歴史に幕を閉じたが、2014年にハリウッドで『GODZILLA ゴジラ』として復活。そのヒットを受けて制作された『シン・ゴジラ』は興行的・批評的成功を収め「国産ゴジラ復活!」と盛り上がりを見せる一方で次の国産ゴジラのハードルを大きく上げることとなった。それもそのはず『シン・ゴジラ』は1954年公開初代『ゴジラ』を現代日本に置き換える「現代ゴジラの決定版」のような作品で、今回のような7年程度のスパンで同じアプローチをした場合どうしても『シン・ゴジラ』との直接的な比較は避けられず、後出しである以上後発の作品は限りなく不利になってしまう。一方でこれまでの『ゴジラ』シリーズの流れを汲んで怪獣プロレスを展開した場合、大予算で制作されたハリウッド版『GODZILLA』シリーズのスケールにはどうしても劣る。そのためどっちのアプローチを取るにしても近年の作品と肩を並べる作品を作るのは相当ハードルが高いように思えた。

MC
山崎監督は、戦後すぐの時代設定にされたのはなぜなのでしょう?
山崎監督
一つには、「『ゴジラ』は核の脅威、戦争の影が怪獣の姿をしているもの」だというのがあったので、その時代でやりたいというのがありました。3.11(東日本大震災)もベースになるかなと思うんですが、「シン・ゴジラ」があまりにそこをうまくやってしまったので、対抗するなら昭和のこの時代にするべきじゃないかと思いました。
 「ゴジラ-1.0」完成報告会見 | TOPICS詳細 | 東宝株式会社

しかし山崎貴監督は「舞台を初代ゴジラの前の時代の終戦直後の日本にする」というこれまでの『ゴジラ』シリーズになかった新機軸を提示。「現代ゴジラの決定版」である『シン・ゴジラ』と異なるアプローチで直接的な比較を避け、独自性を出すことで期待感を高めた。そのため本作は『シン・ゴジラ』直後の国産ゴジラ映画として、このアプローチを生み出しただけでも評価に値するのでないか、と思う。

 

※『シン・ゴジラ』と『ゴジラ−1.0』は「現代日本」と「終戦直後の日本」と時代設定は大きく異なるが、「初代ゴジラを現代の視点で描いたら」というアプローチは実は同じ

 

シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

  • 長谷川博己
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  • 『ALWAYS 三丁目の夕日』が始まりそうも…

ALWAYS 三丁目の夕日

そんな『ゴジラ−1.0』。前作『シン・ゴジラ』は「第1形態」という観客が全く想定していなかったビジュアルで登場することで強い衝撃を与えたが、今回も予告編の銀座上陸段階よりも小さいのが逆に不気味さを醸し出しながら、アクロバティックに暴れ回る初登場シーンで結構ギョッとさせられて、一気に作品に引き込まれた。戦争が終わって復興している日本の様子、特に浜辺美波演じるヒロインが「銀座で働くの」とオシャレをしている様子の画面のルックは『ALWAYS 三丁目の夕日』っぽくて、このまま「あの世界が始まってくれるのでは」と錯覚させられる。しかし本作ではここにゴジラが襲撃。ただシリアスな音楽がバックだった予告編の印象とは異なり『ゴジラ』のお馴染みのテーマソングがかかっているのとリポーターの実況のテンションの高さもあって、「ゼロからマイナスへ」という「絶望感」よりは「よっ!待てました!」の「歌舞伎感」の方が強い、かなりライド(アトラクション)的な演出。そのため電車のシーンには「まだ後ろの車両繋がってるみたいだけど、浜辺美波以外の乗客は全員そのまま滑り落ちたのかな…」とツッコミながらも「愉快、愉快」とニコニコ観ていた。ただそれもゴジラが熱線を吐くまで。ゴジラが熱線を吐いた後の「取り返しのつかない感じ」はそれまでの演出とのギャップもあって、かなり絶望的な気持ちにさせられて「あぁっ…、この映画を大きなスクリーンで観れて良かったな…」と心の底から思えた。

 

※ゴジラが熱線を吐く際の尻尾の先っぽから徐々に青い光が頭の方に上がっていく演出はギャレス・エドワーズ監督版の『GODZILLA』っぽさもあった

 

※銀座以降の熱線のシーンはゴジラの口が大きく開いた時の「自らの死を悟らなければならい」感じの間が好き

 

※銀座でゴジラが熱線を吐く際にエキストラの中に橋爪功さんっぽい人がいたが見間違いだろうか…

 

 

 

  • 『永遠の0』批判へのアンサー

永遠の0

本作は山崎貴監督的には『永遠の0』『アルキメデスの大戦』に次ぐ戦争映画の位置付けでもあるという。そして本作の神木隆之介演じる主人公は「天才的なパイロット技術」を持っている「特攻兵」だったが「機体が故障した」と嘘をついて、特攻を免れた元兵士という設定だが、これは山崎貴監督の過去作『永遠の0』の主人公の設定に酷似している。『永遠の0』は山崎貴監督最大のヒット作品である一方で「特攻美化」との批判も相次いだ作品。

「永遠の0」の時に「戦争賛美」とか「好戦的」と評する方もいたが、どうしてそう取られるのか僕には分からなかった。今回も「永遠の0」もベタベタの反戦映画だと思っています。

エンターテインメントで〝反戦〟打ち出す 「アルキメデスの大戦」の山崎貴監督:時事ドットコム

山崎貴監督はそうした批判に対して『アルキメデスの大戦』公開時のインタビューで反論していたが、今回『永遠の0』を連想させる設定の主人公で「命を賭けてゴジラを倒す物語」ではなく「生きるためにゴジラを倒す物語」にしたのは、そうした『永遠の0』への批判に対して明確に自分の答えを提示したい、的な気持ちもあったのではないかと思う。現にパンフレットでは「人命を軽視した戦中日本のアンチテーゼとして"生"に執着する物語にしよう」との記述があった。戦争で命を賭けて戦えなかったことに苦しむ主人公がラストの特攻で命を落とすのではなく「機体からの脱出」、つまりは生きて戻ることが前提となっていたのはその表れだろう。

 

永遠の0

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  • 最後に…

「ヒロインが実は生きてました!」展開は「あの爆発で!?」感はあったし、ビジュアルも「あの吹き飛ばされ方の割には軽傷というか、小綺麗というか…」と若干萎えかけたが、ラストカットでヒロインの首筋の黒い跡が広がっていくのが見えて「なるほどね」とワクワク感に変わった。

 

  • オマケ

 

 

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