スポンサーリンク

山崎貴監督『ゴジラ−1.0』、「『永遠の0』批判へのアンサー」と「『政府が信用できない』の先」と「国に対する距離感」

【映画パンフレット】 ゴジラ-1.0 GODZILLA -1.0 監督:山崎貴 出演:神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介 マイナス ONE

ネタバレ注意

山崎貴監督『ゴジラ−1.0』が『永遠の0』批判へのアンサーと指摘される理由と「政府が信用できない」の行き着く先と監督の過去作から見る日本との距離感の話。

 

  • 『永遠の0』批判へのアンサーと指摘される理由

永遠の0

『ゴジラ−1.0』は「『永遠の0』批判へのアンサーなのではないか」との指摘がある。『永遠の0』は公開当時「泣ける」と話題になり、山崎貴監督史上最高のヒットとなった作品。一方で「戦争賛美」「特攻美化」などの批判も相次いだ。山崎貴監督はこうした批判に対して「『永遠の0』は反戦映画」と反論しているし、実際劇中では「今の平和な日本」と対比して「家族と共に過ごす幸せすら叶わなくする戦争は愚かなこと」というメッセージを発していることから「反戦映画」であることは間違いない。ただ本作は物語の構成上「軍による国民の命を粗末にする作戦の愚かさ」は「特攻を選択した主人公の生き様」によって覆い隠されてしまっている面は否めない。そのため作り手の意図とは別に結果的に「特攻を美化している」との批判は的を得ているとはいえる。その点今回の『ゴジラ−1.0』は『永遠の0』と同じ特攻兵を主人公にしながら、「軍による国民の命を粗末にする作戦」を明確に否定した上で「生きることを前提にした戦い」をすることで「特攻」を否定する。そのため「『ゴジラ−1.0』は『永遠の0』批判へのアンサーなのではないか」と指摘されている。

永遠の0

永遠の0

  • 岡田准一
Amazon

 

 

  • 「政府が信用できない」の行き着く先

こうなると気になるのは『永遠の0』の原作者・百田尚樹氏の感想だ。そこで百田氏のYouTubeライブのアーカイブを確認してみると、百田氏は本作について「まるで『永遠の0』の続編みたいでした」と大絶賛している。実際、原作の『永遠の0』も「軍による特攻の作戦」自体には批判的であったことや周囲から「臆病者」と罵られようが「家族の元に生きて還る」ことを誓っていた主人公像などから、本作を「まるで続編」と捉えたことにはある種の納得感はある。ただそれよりも百田氏の動画を見て気になったのは本作が描いた「政府が信用できない」の先には何が待っているのかだ。本作では「政府が信用できない」が故に「民間の力でゴジラを倒そう」と奮闘する物語が描かれた。ここから本作は「反政府的映画」と捉えることができるが、今年百田氏が立ち上げた政党「日本保守党」のコンセプトは「与党が信用できないから、日本を守るために我々が日本人の誇りをかけて立ち上がるしかない」(※)というもの。作り手の意図とは別に親和性は感じる。その意味では図らずも本作はそうした時代の空気感も映し出したように思えるし、今後そうした文脈で本作が利用されないか不安でもある。

 

https://x.com/tbsradio_news/status/1714188107829101012?s=46&t=udUH1SvaWmPtCdiaLsKY1g

 

 

  • 山崎貴監督作品の国との距離感

【チラシ2種付き、映画パンフレット】 海賊とよばれた男 監督 山崎貴

映画チラシ アルキメデスの大戦 菅田将輝

一方で山崎貴監督の過去作品を見る限り、監督自身は国に対して一定の距離感を保っているようにも感じる。それこそ本作の敷島がゴジラを倒しに行く動機は「国を守るため」というよりは「周囲の大切な人を守るため」という感じ。『永遠の0』の主人公が特攻した理由も「国のため」ではなかったし、『永遠の0』と同じ百田氏の『海賊とよばれた男』を実写映画化した際には原作の主人公の動機の一つであった「日本のため」という部分はかなり後退していた。また『アルキメデスの大戦』でも主人公が戦艦大和建造計画を阻止するためにアメリカへの留学をやめて日本に残る選択をした最大の決め手となったのは「戦争で荒廃する日本の中にいるヒロイン」を見たからだった。つまり山崎貴監督の過去作品の主人公は一貫して「日本のため」ではなく「周囲の大切な人」のために戦うことを決意する。こうした過去作の傾向から山崎貴監督は国に対して一定の距離感を保ち、一体化することは避けられているように感じる。

 

 

  • 最後に…

そのため本作に対して一部から良くも悪くも「百田尚樹作品みたいだ」という指摘があることについては、個人的には「そうした面があることも否めないが、戦う動機が『日本のため』か『周囲の大切な人たちのため』か(※)、というスケール感は明確に異なり、その差は今回の指摘の視点において大きいのではないか」との見解を現段階では持っている。勿論監督の真意など知る由もないが…

 

※「戦う動機が日本のため」というのは百田尚樹氏の小説全体の傾向というよりは政党の結党理由など近年の言説の傾向

 

 

  • 関連記事

mjwr9620.hatenablog.jp

mjwr9620.hatenablog.jp