山崎貴監督『ゴジラ−1.0』は「民間」が一つのキーワードとなっている。
本作は戦後直後の日本、つまりは「政府が最も機能していない時代にゴジラが上陸したら…」がコンセプトになっている。これだけでも十分面白そうではあるが、パンフレットなどを読むと制作期間中にコロナ禍が始まり、その際に政府が機能せずに民間任せになっていく状況を目の当たりにしたことで脚本はブラッシュアップされ、より時代性が反映される「今の時代のゴジラ」になっていったという。このコロナ禍前に設定したコンセプトが制作期間中に現実の状況とシンクロしていった、というのも本作の魅力の一つかもしれない。
また多少強引な見方ではあるが、山崎貴監督は世間的には忘れられているが東京五輪開閉会式演出チームの中心的メンバーだった人物。『週刊文春』によると「風船で作った実物大ゴジラが新国立競技場を覗く」などの案を出していた(※1)というが、コロナ禍などの紆余曲折もあり最終的にはチームは解散となった。こうした経緯を踏まえると山崎貴監督は「国に使われるだけ使われて…」みたいな見方もできる。今回の「戦中日本の人命軽視へのアンチテーゼ」的メッセージは「今の日本にも通じる」との見られ方もするが、東京五輪開催時にそれこそ「貧乏クジ」を引いた小林賢太郎氏の顛末についてSNSで触れていた(※2)ことも踏まえて実体験的な部分もあったのではないか。そして東京五輪開閉会式で叶わなかったゴジラを民間の映画で実現するという流れは、映画のストーリーとも重なって熱い。
※1 山崎貴監督が東京五輪会閉会式でゴジラ案を出していたことは『週刊文春』2021年3月17日「『渡辺直美をブタに』五輪『開会式』責任者“女性蔑視”を告発する」内で触れらている。週刊誌報道は玉石混合ではあるが、東京五輪開閉会式の報道については東京五輪・パラリンピック組織委員会が『週刊文春』に対して内部資料を用いた報道について正式に抗議していたことから、信憑性は高いと考えられる。
また本作は特攻兵だった主人公の最後の選択から『永遠の0』の批判へのアンサーとの見方もされているが、その文脈では本作の「ナショナリズム」を積極的に回避しようとする語り口からは『海賊とよばれた男』への批判(※3)のアンサーとの見方もできるのではないか。更にここからは流石に自分の深読みのしすぎだということは承知した上で、本作を持って「個々の日本人に勇気を与えたい」という気持ちはあっても、本作を「政治家に利用されたくない」みたいな気持ち(※4)もあったのかもしれない。
※3 『海賊とよばれた男』は百田尚樹氏が東日本大震災後の自信を失った日本人に対して、敗戦から立ち直った日本の物語を届けることで日本に勇気を与えようとするコンセプトで執筆された小説の実写映画化作品。「愛国ポルノ」との批判がある一方で「映画版は原作にあるナショナリズム色を極力排している」との指摘もある。
※4 山崎貴監督の『ALWAYS 三丁目の夕日』『永遠の0』『海賊とよばれた男』は安倍元首相が公の場で絶賛している。また『シン・ゴジラ』も政治家によって都合よく利用されている、との指摘があった。
自分で書いてて「流石に見方が偏りすぎてるか…」感が半端ない。
【追記】国会議事堂前で戦車がゴジラを攻撃しているのは「国民にゴジラ上陸を伏せていた政府が自分たちだけは助かろうとしているからでは」みたいな解釈を読んで「ガチで政府に対してキレてるんだな」という認識が深まった
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