スポンサーリンク

「女子高生が戦時中にタイムスリップして特攻隊員に恋をする」映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』の原作を読んだ感想

【映画パンフレット】あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。監督 成田洋一 キャスト 福原遥 水上恒司 伊藤健太郎

「女子高生が戦時中にタイムスリップして特攻兵と恋に落ちる」という設定からかSNSで良くも悪くも話題の映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』の原作を読んだ。原作では映画と異なり、主人公は女子高生ではなく女子中学生だった。

 

  • 原作者「戦争や特攻を知らない若い世代へ」

youtu.be

本作は物語設定だけでなく福山雅治の主題歌をバックに若い女性たちが「ずっと泣いてました」「ハンカチだけでは足りない」「1億%ずっと泣いた」「時を超えた愛に、全世代が涙するー」と「泣ける映画」であることを全面的に押し出すCMや同時期公開の『ゴジラ−1.0』と「特攻」というテーマが重なっていることなどからSNSで悪い意味で注目を集めてネタにされている。また本作の公開の話題から派生して政治アカウントでも「特攻」の話題が盛り上がっている様子。

 汐見さんは鹿児島県の出身で、小中学生の時に社会科見学で訪れた知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)で特攻隊員のことを知って衝撃を受けた。高校の教員になって今の高校生が戦争や特攻隊のことを知らないという現実に直面し、若い世代に自ら受けた衝撃を伝えるため、ケータイ小説を書いたという。

福原遥・水上恒司主演「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」が描く特攻隊、歴史通の読売新聞ベテラン記者が考察 : 読売新聞

そんな本作には「そもそもなんで女子高生が戦時中にタイムスリップする必要があるんだよ」という元も子もないような疑問を投げかける投稿も複数見かけたが、どうやら原作者の汐見夏衛氏は元高校の教師で「今の高校生が戦争や特攻のことを知らない」ということにショックを受けて、若い世代に戦争や特攻のことを知ってもらおうと小説を書いたのだという。実際「多くの戦争体験者が寿命を迎えることで、今の若者は実際に戦争を体験した人から直接話を聞く機会がなくなっていっている」との指摘はよく目にする。10年前に山崎貴監督による映画が大ヒットした百田尚樹氏による『永遠の0』は(当時視点で)現代の若者が「今が間に合う最後の時」として戦争を体験した祖父・祖母世代の人たちに特攻を選択した自身の祖父の話を聞きにいくという物語だったが、本作が「現代の若者が戦争体験者に話を聞きにいく」ではなく「戦争を知らない若者が実際に戦時中にタイムスリップした」という物語なのは(この手の話はありふれているということは前提に)時の流れを感じさせる。兎にも角にもSNSでは本作の設定をバカにする風潮も感じたりするが、「戦争に興味がない若者に戦争を知るキッカケにして欲しい」というコンセプトの作品であることを考えると、現代の価値観を持つ若者代表の主人公と自身を重ね合わせやすいことも踏まえてそんなに悪くない、寧ろ良いアプローチなのではないか、とは思う。

永遠の0

永遠の0

Amazon
永遠の0

永遠の0

  • 岡田准一
Amazon

 

以下ネタバレ注意

 

 

  • 特攻に対して否定的なスタンスの主人公・百合

彰は「僕は戦争の時代に生まれてしまったが、これから生まれてくる子供たちには同じ思いをしてほしくない」と言う。この一言に私ははっとした。彰は決して絶望を見ているのではなく、戦争が終わる未来も平和な日本が訪れることも夢見て、その夢のために自らの命を懸けるというのだ!

20歳が見た「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」今の私と同年代の等身大の人々が存在していた - ひとシネマ

一方で20歳の大学生によって書かれた本作のPR文を読むとメチャクチャ特攻を美化するような感想が記されていて「この作品大丈夫なのか!?」と不安にもなった。そのため映画の原作である小説を読んでみると、「映画版では小説をどの程度忠実に再現しているのかは分からないけど、大筋のプロットが同じならこういう感想にもなるな」という内容だった。まず大前提として本作では「軍による若者の命を粗末にする特攻作戦」に対しては一応否定的なスタンスっぽくはなっている。というのもタイムスリップした主人公・百合はそうした価値観を持ち合わせていることから「同調圧力で志願してしまったけど、本当は死にたくないんだ…」的な特攻隊員には「やっぱりこの時代の人も死ぬのは怖いんだ」と安心し、逆に「仲間と共に死ねなかったことが悔しかったけど、命令が出たことでようやく出撃できることが嬉しい!」的な特攻隊員には困惑したりする様子が描かれる。また「靖国神社」については「特攻で死んだら、その神社の桜の花になって、そこで再会しようってこと?ほんと、馬鹿みたい。」「死んじゃったら、もう会えないんだよ………。」と口には出さないが脳内で訴えたりもしている。そのため百合は自身が恋する特攻兵・彰による「日本のために特攻する」という主張に対しても「それは違う」と途中飲み込まれそうになりながらもラストギリギリまで否定的なスタンスを取り続ける。

 

 

  • 彰の想いを知った百合の気持ちの変化

ただラストで現代に戻った百合は「特攻資料館」で彰が自身にあてて書いた「あの空に 俺は散る 君のために 君という花が咲く この世界のために」という手紙を読んで「ここが、彼らの守ろうとした世界だ。彼らが、自らの命を犠牲にしてまで叶えようとした、尊い平和だ。」と思いを馳せる。つまり「特攻は命を無駄にする行為」というスタンスだった百合は最終的に「今の日本の平和のためにありがとう」みたいなスタンスに変わってしまっているのだ。もちろん「軍による若者の命を粗末にする特攻作戦の是非」及び「特攻した若者たちの命は日本の役に立ったのか問題」と「当時の若者が日本のために特攻を選択した想い」は別で、「軍による作戦は愚かで、実際彼らの死は無駄だったとしても、彼らの特攻を選択した想いまで否定するのは違う」的な主張は分からないでもない。ただ本作の着地点は割とそこら辺がゴチャ混ぜになっていて「特攻は今の日本の平和に貢献した」みたいな感じになっている。

作者の主張がそれならば「そうなのか…」という感じでしかないのだが、「百合がタイムスリップした1945年段階の特攻は勝ち目のない戦争を続けるためのモノ(敗戦を先送りするための大日本帝国の作戦)だった」という指摘を踏まえると個々の特攻兵の想いを基に「今の日本の平和のためにありがとう」みたいなのは違うのではないか、という気はする。穿った見方をすれば物語の大部分を占める百合による特攻批判は「命を粗末にするのは良くない」という一面的な側面からなされたモノで、実際の特攻兵と想いを知った彼女はそうした考えを改めることになる…、的な「特攻美化」「特攻賛美」な感じもしなくもない。本作は戦時中の若者が現代の価値観を持つ若者に感化されないのは魅力の部分だと思う(百合の現代の価値観に基づいた説得が彰に全然通用しないのは辛い)が、その逆が起きているのは「…」感があった。

ただ作者のXを確認すると「百合がタイムスリップした時代の特攻は〜」というセンテンスも含まれた『読売新聞』の記事に上記のような引用リツイートをしていたり、中国人読者からの批判に真摯に返信していたりするので、本作の「あとがき」なども踏まえると本人としては特に「特攻美化」とか「特攻賛美」のつもりはなく純粋に「戦争に興味のない若い人たちに、そういう想いの特攻兵がいたことも知って欲しいし、そういう人たちの想いも大切にしたい、そういう想いの人たちの上に今の日本の平和は成り立っているのだからこそ今の日本の平和を守り続けなければならない」的なことを伝えたかったのだろう、とは思う。しかしそれが事実上「特攻美化」や「特攻賛美」になっている感も否めない。少なくとも戦争に興味のない人にはそういう印象が強く残る作品であるとは思う。

 

 

  • 最後に…

明らかに自分がターゲットではない作品に対して「もっとこういう話だったら良かったのにな〜」みたいなことを書くのもアレな気もするが、個人的には最後まで「百合としては彰に特攻になんか行かないで生きて欲しかったのに、彰は百合が生きる平和な日本を想って特攻を選んでしまった」というスタンスのまま、両者の想いは通じ合っていたにも関わらず「戦時中の若者」と「現代の若者」という価値観の相違(彰は百合を想えば想うほど特攻に意味を見出していく)からすれ違いが生じて両者が結ばれることはなかった、つまりは「私のことを想って特攻してくれてありがとう」よりも「私のことを想って死ぬのではなく生きて欲しかった」みたいな着地点の方がメッセージ的にだけでなく「その想いは本物だからこそ…」的な切なさも増して良かったのではないか、とは思った。

 

 

  • 関連記事

mjwr9620.hatenablog.jp

mjwr9620.hatenablog.jp