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宮崎駿監督作品『風立ちぬ』のラストを観て「生きねば。」と思った話

風立ちぬ [DVD]

[注意]『風立ちぬ』のラストに触れてます

今回は宮崎駿監督作品『風立ちぬ』のラストを観て「生きねば。」と思った話。

 

美しい飛行機を作ろうとした主人公

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本作の主人公である堀越二郎は子供の頃に飛行機乗りに憧れていたが、近視のパイロットへの道は閉ざされていた。そんな中に夢の中で尊敬するカプローニに出会い、美しい飛行機を設計する道を志す。ただ二郎が飛行機の設計の職につき本格的に活躍し始める頃には日本は戦争の真っ只中。二郎は本当は戦闘機なんか乗せない美しい飛行機をデザインしたかったけど、戦争中だから御国のための戦闘機を作らなければいけなくなる。二郎は自分が理想とする本当に作りたい美しい飛行機が戦争中の為に作れなかったのだ。

 

仕事人間で女泣かしの主人公

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二郎は飛行機作りに熱心過ぎて女泣かせの部分がある。公開当時に結核の妻である菜穂子の前で平気でタバコを吸う描写(コレは菜穂子が少しでも長い時間二郎と一緒にいたいために彼女が望んだ事だし、大前提隔離病棟から抜け出してきた彼女側にも問題はある)は賛否を呼んだが、それ以前に二郎は隔離病棟にて療養している菜穂子に対しての手紙の内容が4行目から自分の仕事の話という女の気持ちが全く分からない奴なのだ。ただ自分も女の気持ちは分からないので、なんで手紙を読んで悲しそうな顔をした後二郎の元に向かったかはよく分からなかった。ただそれでも彼女が二郎に会いたい、そばに居たいという気持ちだけは伝わってきて彼女が隔離病棟を抜け出して二郎に会いに行く時の描写は思い出すだけで涙が出そうになる。西野カナ風に表現すれば「会いたくて会いたくて震える」なのだろう。だから個人的にタバコのシーンは彼女の少しでも長い間一緒に居たいという気持ちの方にフォーカスが当たったので禁煙協会があんな風に抗議するとは全く思ってなかったので驚いたのを覚えている。「映画に限らず作品は人間の正しさだけを描く物ではないのにな〜」と小言を漏らしたくなるくらいには不満だった。もちろん結核を患ってる患者の横でタバコを吸ってはダメだということは大前提だ。また二郎は菜穂子が吐血した時に東京に向かうが、そのシーンでもずっと仕事をしている。態々仕事の資料を鞄に掻き集めてまで仕事を手放そうとしなかった。だから彼は汽車の中で愛する人が一大事の時に自分の仕事が手放せない、そしてこんなにも悲しみがこみ上げているにのに仕事が出来てしまっている情けなさに涙してる。本作の主人公は決して正しい人間ではない。彼は飛行機作りの才能は秀でているけど他の部分は欠陥ばかりという人間を描いている訳だから、結核患者の横でタバコを吸うのはおかしいという意見は全くの的外れな訳だ。

 

 

菜穂子の二郎に対する願い

また二郎がタバコを吸う姿を見たかったのは菜穂子の願いであったとも言える。何故なら彼女は二郎の家を去る日の前に彼の眼鏡を外して彼の顔を見る。恐らく二郎が彼女の前で眼鏡を外したのは暗い時だけでシッカリと明るい場所で彼の素顔を確認した事がなかったのだろう。だから彼女は二郎のタバコを吸う姿(コレ二郎は菜穂子の体を気にかけて今まで彼女の前でタバコは吸ってこなかったと考えられる)を含めて彼の見た事ない姿を記憶に収めたかったのではないかと考えられる。そして菜穂子は二郎に自分の美しい記憶だけを持っていて欲しいと願った。だから菜穂子は彼の元を自分から去った。本当は最後まで愛する人と居たかったのかもしれない。それでも彼女は自分から彼の元を去ると決める。これは彼女のエゴである。そして同時に彼女の美学でもあり願いでもあったのだ。

 

 

生きる意味がなくなっても…

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本作は堀越二郎の半生を描いている。夢の中でカプローニは二郎に「センスは時代を先駆ける。技術は後から付いてくる」「創造的な人生の持ち時間は10年だ。設計家も芸術家も同じだ。君の10年を力を尽くして生きなさい。」とアドバイスする。だから二郎はこの10年間で飛行機作りに打ち込み続けた。

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本作のラストシーンは人生を賭けて美しい飛行機を作ろうとした二郎が作り出した飛行機(零戦)の残骸が埋まった草原を歩いている彼のシーンから始まる。彼はその草原を過ぎるとカプローニから「君の10年はどうだった?」と問われ「最後はズタズタだった」と答える。当然だ。彼の作った零戦は戦争に使われ一機も帰って来なかった。それどころか彼がその飛行機を一番見せたかった菜穂子は飛行機の完成を見る前に「最後まで美しい姿を見せたい」という彼女の美学故に彼の元を去っていた。設計家としての10年を終え、愛する妻を失った二郎は最早これから先を生きる意味がなかった。

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ただ二郎は菜穂子に「あなた、生きて」と伝える。その言葉に彼は深く頷き彼女を見送る。彼はその後彼女への感謝の言葉を述べる。だから二郎は生き続けなければならない。それがどんなに地獄のように辛い人生であったとしてもだ。実はこのシーンは脚本当初では「あなた、来て」というセリフで、菜穂子は二郎にこの世を生きるのではなく自分と一緒にあの世へ行こうと誘うラストだった。この「来て」というセリフは菜穂子が二郎を初夜に誘った時のセリフでもあった。ただ宮崎駿監督は最後の最後でこのシーンのセリフを変更している。個人的には本作製作中に起きた東日本大地震の影響で残された人達を含めて今の時代に生きる意欲を失った全ての人達に対して「生きねば。」というメッセージを送りたかったんじゃないのかなと勝手に思ってる。少なくとも自分はこの映画を観てどんなに辛い状況に立たされたとしても「生きねば。」と強く思った。

 

 

宮崎駿監督の10年

「創造的な人生の待ち時間は10年だ」というカプローニの言葉は宮崎駿監督にも当てはまるのだろうか?例えばもののけ姫』は『風の谷のナウシカ』のセルフアンサー的な立ち位置にある。鈴木敏夫さんは『崖の上のポニョ』は「昔似たようなのをやったから嫌い」だと語っていた。公開当時幼少期を過ごした世代も『ポニョ』より『となりのトトロ』のが好きな子が多いようだ。そういう意味ではやはり宮崎駿監督ですら後年の作品は焼き直しの部分が少なからず見受けられる。その流れの中で70代になり得意分野であるファンタジー映画ではなく、実在の人物をモデルにした映画を作ったのはやはり凄い。一方で人物の動きや涙の溢れ出方など定番の演出方法ばかりで新しい表現は殆ど見受けられない。ラストで零戦の特攻員達が戦死した事を表現するシーンは『紅の豚』と全く同じ演出だし、他にも『魔女の宅急便』など過去作を思い起こされる演出が続く。別にコレは悪いことではない。ただ自身が積み上げてきたモノを全て出した集大成の作品であるからこそ、映像的な意味で新しい表現はなかったように思える。やはり活動期間10年を超えた芸術家が全く新しい表現を生み出すのは難しいのかもしれない。それでもこの歳になって新しいジャンルに挑戦する姿勢は憧れるし、映像表現でもその後フルCG短編アニメを手掛けるなど挑戦を続けている。現在製作中の新作も楽しみだ。

 

最後に…

最後凄い偉そうになったけど、『風立ちぬ』は傑作だと思ってる。ちなみに本作と同年に公開したかぐや姫の物語』は本作と真逆の展開で生きる喜びを伝えてくる。2作品を見比べるとジブリを支えた2人の巨匠への理解が深まるかもしれない。