スポンサーリンク

古沢良太が描く信長と濃姫を軸にした明智光秀の新解釈と「夫婦の可能性」、木村拓哉主演・大友啓史監督『レジェンド&バタフライ』感想

『THE LEGEND & BUTTERFLY』を観た。

 

  • 木村拓哉×大友啓史×古沢良太、期待と不安

youtu.be

本作は東映70周年記念作品。総製作費20億円を注ぎ込み、大河ドラマ『龍馬伝』や『るろうに剣心』シリーズなどの大友啓史監督が国民的スター俳優・木村拓哉主演で日本で一番有名な武将・織田信長の人生を描く。これだけでも十分力を入れた超大作映画感やお祭り映画感は伝わってくるが、本作の脚本は現在大河ドラマ『どうする家康』を放送中とはいえ、この座組みからは少し変化球にも思える『リーガルハイ』や『コンフィデンスマンJP』などの古沢良太さんが務めている。

木村さんは信長に思い入れがあるので、ただのスイートなラブコメではなく、しっかりした信長映画にしてもらえるのであれば…というようなニュアンスで意見をくださって、でも決して悪い感触ではなかった

脚本家・古沢良太が語り尽くす!【前編】|WEB MAGAZINE レジェバタ公記 - 新聞・雑誌|映画『レジェンド&バタフライ』公式サイト|大ヒット上映中

インタビューを読むと古沢良太さんは特に信長に思い入れはなく、「いつか戦国時代に政略結婚で結ばれたカップルによるラブコメをやりたい」と東映に相談していたところ、それとは別にキムタク主演の信長映画の脚本の企画を打診され、「信長と濃姫という超有名人でやればいいじゃん!」という結論に至ったという。一方でキムタクは当初、この案に対して「しっかりした信長映画になるのか…」という不安も感じていたようだ。

(本作の上映時間は2時間48分だが、)僕は2時間切るくらいの気持ちで書いていました

(途中の信長と濃姫の激しいアクションは)僕はまったくバイオレンスにするつもりはなくて…。もちろん切り倒していくっていうふうには書きましたけれど、『ローマの休日』みたいに、京都の街にお忍びでデートに出たらチンピラに絡まれて否応なく応戦する、みたいなシチュエーションを想像して書いていた

脚本家・古沢良太が語り尽くす!【後編】|WEB MAGAZINE レジェバタ公記 - 新聞・雑誌|映画『レジェンド&バタフライ』公式サイト|大ヒット上映中

また古沢良太さんは本作の脚本を2時間以内の作品を想定して執筆したようだが、実際の上映時間は2時間48分と3時間近い大作。更に自身の想定よりもバイオレンスな作品に仕上がったという。ここら辺は大友啓史監督の作家性によるものなのだろうが、本来キムタク主演映画というだけで相当濃いのに、本作では古沢良太脚本、大友啓史監督と濃いメンツが集結し、果たしてこれで見事に化学反応が起きるのか、それともそれぞれの力が反発しあい喧嘩してお互いの魅力を殺し合うのか、期待半分、不安半分での鑑賞となった。

 

以下ネタバレ

 

 

  • 古沢良太脚本、信長と濃姫を軸に明智光秀に新解釈

本作は信長と濃姫のラブストーリーが軸となっている。濃姫とは織田信長の正室であるが、2人の間に子供はおらず、史料も少ないことからいつ死んだかすらも不明な人物。それ故にフィクションとしては自由度の高い描き方ができる人物ではあるが、実際は司馬遼太郎の『国盗り物語』で描かれた「快活で気が強く、剣術や乗馬もこなす」という性格に引っ張られているケースが多いという。そのため大河ドラマでは「本能寺の変」で信長と共に濃姫が闘う作品も複数作られている。

本作の濃姫も基本的な性格は俗にいう「司馬史観」がベースになっていると思われる。ただ本作が他の作品と一味違うのは天下統一を目指し、多くの人を殺し、人の心が消えかけていた信長が、離縁して別々の場所で暮らしていた濃姫が病に倒れたことを知って、彼女を安土城で看病をすることで人の心を取り戻していくという点。そして、この展開だけなら陳腐なラブドラマとして終わってしまいかねないところを、今回の古沢良太脚本が素晴らしいのはフィクションで信長を描くにあたってクリエイターの腕の見せ所である「明智光秀が本能寺の変を起こした理由」に繋げて、新解釈を提示した点にある。自分が憧れ理想とした人物が、パートナーとの愛を深めることで人間として丸くなったことが許せず、謀反を起こすというのは、他者を理想化しやすくなったSNS社会において見事なアプローチだったのではないか、と思う。家康接待の場で信長の涙を見たシーンは特に印象深い。正直、もっと明智を掘り下げて欲しかったくらいだ。

 

 

  • 死の直前、2人と観客が見たものは…

本作では「本能寺の変」が描かれるクライマックスで、信長が奥の部屋で隠し扉を見つけて城を脱出して、濃姫の所へ戻り、2人で南蛮へと船で向かい、子供を宿すという「信長生存説」が描かれる。しかしそれは現実ではなく、信長と濃姫は同じタイミングで人生を終える。現代人が史実をベースにした時代劇を見るとき、この先に起こる避けられない運命を知っているからこそ、「どうにかならないものか」と想いを馳せる。そして「信長の死体は本能寺では見つかっていない」などの情報から「もしかしたら」という「あったかもしれない未来」を想像する。本来彼ら彼女らのことなど知りもしない現代人ですら史実から「あったかもしれない」可能性を探るのだ。それならばこの世に想いを残したまま死ぬことが決まった時、やはり人は自らの人生に「あったかもしれない」可能性を見るのだろう。本作のクライマックスの「信長生存描写」は死を目前にした信長と濃姫、そして本作を鑑賞する観客が見たかった彼ら彼女らの可能性だったのだ、と捉えた。「あったかもしれない」可能性を可視化されることは現実とのギャップをより辛くさせる。個人的には『ラ・ラ・ランド』のラストを思い出し、信長の最期に涙した。あくまでも本作の信長と濃姫の話ではあるが、一時的にでも2人と同じ夢を共有させてもらえた時間を幸せに思う。そしてキムタクが自らの首を斬る演技は圧巻。本能寺が崩れ落ちていく音と南蛮楽器が奏でるメロディによるエンドクレジットの余韻は堪らなく切なかった。長尺に対してあまりに呆気ないエンドクレジットの入り方も信長の人生を体現しているように思えた。

 

 

  • 最後に…

本作の前半は信長と濃姫の喧嘩を外で聞いている家来たちは激しい初夜だと誤認して「殿は感じやすい」「姫は攻めが得意」と盛り上がる、「尾張は終わっ…」「ダジャレじゃない、怒らないで」、『SMAP×SMAP』のコントのノリの白塗りギャグなどコメディ要素も多いが、中盤には金平糖を盗まれてからの濃姫が勢い余って人を殺してしまったが故の戦闘、そして良い意味で居心地の悪くなるぎごちない濡れ場シーンが挟み込まれるなど他にはない奇妙なバランスの作品になっていた。最後に「木村拓哉×大友啓史×古沢良太」が吉と出るか、凶と出るかについては、疑いなく吉が出たという判断で間違いないのではないかと思う。古沢良太さんの脚本と大友啓史監督のダイナミックな映像とキムタクの存在感が見事に化学反応を起こした怪作だと感じた。リアル重視の大友啓史監督とキムタクレベルの俳優が大真面目に「信長生存ルート」を「if」とはいえ描き、演じたのは古沢良太さんが脚本を担当した故の功績であり、それでいて「変わり種」ではなく「本格信長映画」の風格も保てているのは大友啓史監督とキムタクの存在が不可欠だったのだろう。

 

  • 関連記事

mjwr9620.hatenablog.jp