映画『怪物』を観た。
- 「クィア・パルム賞」受賞の話題作
本作は『そして父になる』『海街diary』『万引き家族』などの是枝裕和監督、『花束みたいな恋をした』などの坂元裕二脚本のタッグ作品ということで公開発表段階から注目を集めていた。また先日のカンヌ国際映画祭の会見で是枝裕和監督が「LGBTQに特化した作品ではなく、少年の内的葛藤の話と捉えた」などと発言したことが一部から批判を集め、その後同映画祭で「クィア・パルム賞」を審査員満場一致という形で受賞したことで「宣伝で隠している部分が賞という形でネタバレされた」「そもそもLGBTQをネタバレ要素として扱うのは如何なものか」みたいな論争が勃発。是枝裕和監督はこの点について会見で「彼らの葛藤をネタとした扱ったつもりはない、ただ作品の構成上観た方が当事者として子供たちと向き合うには出来るだけ振り回された方がいいのではないか、観終わった後に自分がどこに着地するのか分からない方がいいのではないか」などという趣旨の釈明をしていた。
以下ネタバレ
- 三幕構成、「世の中には見えないことがある」
カンヌ脚本賞『怪物』坂元裕二:信号が青になった時に前のトラックが発車せず、クラクションを鳴らしたことがありました。トラックが動くと車椅子の方が横断歩道を渡り終わるところでした。私はクラクションを鳴らしたのをずっと後悔しています。世の中には見えないことがある https://t.co/w0cKOPZoKQ
— ゴミ雑草 (@mjwr9620) 2023年6月2日
そんな色々と物議を醸している本作は「キャバクラが入ったビルの放火事件」を起点に「担任教師から虐待を受けたと主張する息子を持つ安藤サクラ演じる母親の視点」「生徒から虐待を受けたと主張された永山瑛太演じる担任教師の視点」「担任教師から虐待を受けたと主張した少年の視点」の三幕構成となっている。そして物語が進むごとに一幕目の母親視点では不可解にしか思えなかった担任教師の行動や息子の見に起きたことが二幕目の担任教師視点、三幕目の少年視点で明かされていくことで「一面的な見方じゃ色々と分からないこともあるよね」「普通という固定概念に当てはめてどうとかって良くないよね」的なメッセージが伝わってくる作品になっている。脚本家の坂元裕二は本作執筆の動機を「信号が青なのに前のトラックが動かないからクラクションを鳴らしたら車椅子の方が横断歩道を渡っていた、世の中には見えないことがある」的なことを言ってたけど、正にそういう映画。また映画本編全て観終わった後も「あの校長先生、他にどんなバックボーンを抱えているんだろうね」とか「主人公の少年に何かしら思うところがありそうな女の子、なんで担任教師に猫の話をして、その後否定したんだろうね」とか「担任教師に『キャバクラばかり行ってちゃダメですよ』的なこと言った女の先生、校長先生の孫の死についても噂流したりしてて色々と察する部分があるけどどうなんだろうね」とか「そもそもあの父親、なんであんな大人になったんだろうね」みたいな「3人の視点からだけでは見えない部分」が多く残されるメッセージ性を体現した作品にもなっている。勿論、ここで自分が書いた女子生徒や女教師に向けた疑いもまた本作でいう一幕目の見方に過ぎないのかもしれないが…
- 「LGBTQ」はネタバレなのか
カンヌ映画祭便り:是枝裕和監督「存在しない怪物を見せる」 カンヌ映画祭記者会見 | 毎日新聞
— ゴミ雑草 (@mjwr9620) 2023年6月2日
→ LGBTQに特化した作品ではなく、少年の内的葛藤の話と捉えた。誰の心の中にでも芽生えるのではないか https://t.co/y2OLtH3Q8F
そのため「まっさらな状態で観て欲しい」みたいな製作側の気持ちも分からないでもない。今回は賞を受賞したことで少年の葛藤の一部が分かっている状況で観たため、母親からの「結婚して普通の家族を持つまで母さん頑張るから」みたいなセリフやバラエティ番組でオカマが映る場面が一幕目に出た段階で「あー、これが少年の抱える葛藤のフリなのね」と分かってしまったため、正直何も知らない状況で観たかった、というのが本音。もっと言えば三幕構成ということも知らないで観たかった。ただこれは自分がジェンダー的マジョリティであることや「普通」や「オカマ」などの描写に対して「是枝裕和監督ならちゃんと意味があるんだろうな」と思えるくらいには是枝裕和監督への信頼があるからこそ、みたいな部分はあるのだろうな、とも思う。ただ是枝裕和監督の言った「LGBTQに特化した作品ではない」というのは作品内容的に「主軸にはなってるけど、まー、その通りではあるよな」と感じた。
- 最後に…
是枝裕和監督「それ(自分の中に芽生えた得体の知れないもの)を彼らは『怪物』と名付けてしまう、もしくは周りの抑圧によってそう呼ばされてしまう/その子たちを孤独な状況に追いやってしまっている私たちっていうものを、要するに彼らから見れば私たちのほうが怪物である」 https://t.co/PrN55zcRVB
— ゴミ雑草 (@mjwr9620) 2023年6月2日
是枝裕和監督はタイトルの『怪物』について会見で「自分の中に芽生えてしまった、自分でも理解できない自分の感情や存在を『怪物』として名付けてしまう、もしくは周りの抑圧によってそう呼ばれてしまう、でもその子たちを孤独な状況に追いやってしまっている私たちの方が彼らにとっては『怪物』」という趣旨の説明をしていた。この発言の後に司会者は「今週末公開の映画なので、隠している訳ではないんですけど…」と苦笑いで配慮を求めていたのが印象的だった。また本作ではLGBTQの子供たちを支援する団体からの「11歳で自認、他認はまだ早い」との助言から直接的な描写をカットした、ということも一部では話題になっている。個人的には「他認はともかく自認はLGBTQに限らず、ケースバイケースなんじゃね」と感じた。最後に少年2人は死んだ、という見方も出来るラストになっていたけど、仮にそうなら死んでようやくあんなに解放的になれる社会って、みたいな問いかけをしてるのかな、とか思った。
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