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『映画クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝』ネタバレ感想、「屁祖隠珍蔵」が「もののけの術」を使えなかった理由

映画チラシ『クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝』5枚セット+おまけ最新映画チラシ3枚

『映画クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝』を観た。

 

  • 30周年記念作品

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今年のしんちゃん映画は「30周年記念作品」で物語は「5年前、病院の取り違えミスで実はしんのすけはひろしとみさえの子供ではなかった!?」的な内容。一昨年の『ラクガキングダム』、昨年の『天カス学園』に続いて、今年もコミックス16巻に掲載されている『もうすぐオラはお兄ちゃんになるゾ編 その8』のしんちゃんの生まれた日の原作描写からインスピレーションを受けた作品となっている。ただ原作及びテレビアニメ版の内容と比べると、映画の冒頭はしんちゃんの名前付けの経緯などが大分美化されている感が半端ない。

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鑑賞前の自分は本作を『ケツだけ爆弾』の「シロ映画」、『カスカベ野生王国』の「みさえ映画」、『オラと宇宙のプリンセス』の「ひまわり映画」、『ロボとーちゃん』の「ひろし映画」に次ぐ、30周年だからこその「しんちゃん映画」だと思っていたが、実際に鑑賞してみるとそれは半分正解で半分間違いという感だった。勿論、忍者の里に誘拐されて「屁祖隠珍蔵」扱いされるしんちゃんがホームシックになり、自分の名前の叫びながら「しんちゃん誕生からの5年間」と「アニメ開始からの30年間」を同時に振り返る作画含めてエモいシーンやパジャマを着たゴリラをしんちゃんと誤認したひろしとみさえが「ゴリラだって関係ない!」と熱弁する「泣き笑いシーン」など「野原一家の家族愛」を提示するシーンはある。しかしそれは映画の前半で終わり、何なら「取り違えの話は嘘だった」と打ち明けられたひろしとみさえは「だろうな」と「全て分かっていた」感すら漂わしていた。

 

※しんちゃんが忍者の里で1人でおにぎりを食べてるシーンとかは哀愁漂ってて、ちょっと夏の終わりの匂いがして良かった

 

 

  • 珍蔵が「もののけの術」を使えなかった理由

そんな本作は「野原一家」の絆だけでなく、後半は「かすかべ防衛隊」の絆も強固なものとして描かれる。一方で本作でしんちゃんと取り違えたとされた子供「屁祖隠珍蔵」は忍者の里で唯一「もののけの術」を使える家系の子供ながら「もののけの術」を使えないという設定になっている。しんちゃんと珍蔵は対照的なキャラクターだ。しんちゃんは不真面目なのに対して珍蔵は真面目。しんちゃんが両親に甘えまくってるのに対して、珍蔵は甘えてない。しんちゃんが幼稚園に通って友達が沢山いるのに対して、珍蔵はそうではない。この背景には屁祖隠家が忍者の里にある地球のへその栓を止めるという役割があり、母・ちよめが幼稚園に通わせるより家で修行した方がいいと判断していたからだ。

しかし珍蔵はしんちゃんの家族と友人と触れ合うことで、初めて駄々をこねる。劇中で「もののけの術」は子供なら誰でも使えるという解説がある。つまり、珍蔵が「もののけの術」が使えるようになったのは劇中の説明通り「ニントル」が溢れ出ていたことに加えて、これまでの我慢のリミッターを外して駄々をこねたことで初めて年相応の「子供」になれたからだったのではないか、と感じた。逆に言えば、これまでは我慢ばかりで「子供」になりきれたなかったから「もののけの術」が使えなかったのだろう。

 

 

  • 珍蔵だけでなく…

しんちゃんたちと触れ合うことで自らの気持ちを解放したり、成長したのは珍蔵だけではなかった。珍蔵の母・ちよめは忍術こそ優れているものの「ご飯のおかずにピザを出す」「大型ロボットを自分1人で操縦できる、と甘い見通しを立てている」など非常識な面が目立った。これも忍者の里という閉鎖的な空間で過ごしてきたことの弊害だと考えられるが、同じ母のみさえの「助けてって言えばいいのよ」という言葉により、1人で何でもやろうとするのではなく助けを求めていいんだ、ということを学ぶ。忍者幼稚園の風子もしんちゃんと触れ合うことで忍術の楽しさを再発見して、忍者の里自体も自身の利益のみを考える長老との決別を決意する。くノ一を下に見る長老をくノ一秘書が「なめんじゃねー」とカウンターを放ったシーンは忍者幼稚園のエースにも関わらずくノ一という理由のみで長老になることを風子が園児の段階で諦めざるを得ない心理にさせていた忍者の里にとっていい方向に進むのではないかと思うし、政治分野でのジェンダーギャップ指数の低い日本の子供向け映画のメッセージとしての「正しさ」も感じた。そんなこんなで今年のしんちゃん映画は「30周年記念作品」に相応しい「野原一家」と「かすかべ防衛隊」の強固な絆とそれに触れることで解放される閉鎖的な忍者の里とその住人たちという構造の作品になっている。これはこれまでの30年間、そしてこれから先の長い未来もしんちゃんの家族と友人を通して劇中キャラクターだけでなく画面を通して見ている観客も影響を受けてより良い方向に進んでいくことのメタ的なメッセージにも感じた。

 

※あの家族が背負わされていた役割から解放されたという物語も昨年の眞子さん結婚問題とかを踏まえると現代的なメッセージ

 

 

  • 最後に…

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「30周年記念作品」故の詰め込みすぎか、やや話が散らばっている感が否めない部分もあったが、野原家内でのちよめの操り人形を使ったアクションシーンの気持ち良さや緑黄色社会の主題歌『陽はまた昇るから』など満足度の高い作品だった。

 

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