スポンサーリンク

雫の「あの頃」と「今」の対比構造故の「ジブリ版との差別化」と「『翼をください』の意味」、実写映画版『耳をすませば』感想

映画チラシ『耳をすませば』5枚+おまけ最新映画チラシ3枚  

実写映画版『耳をすませば』を観た。

 

  • ジブリ版との明確な差別化

耳をすませば (集英社文庫(コミック版))

耳をすませば [DVD]

『耳をすませば』は柊あおい先生による少女漫画であるが、世間一般の認識としてはスタジオジブリ製作のアニメ映画。ジブリ人気にあやかり実写映画化した場合、それはもう目も当てられないような作品になってしまいそうな気もするが、本作は原作やアニメで描かれた中学時代を「あの頃」として、10年後の雫たちを描くオリジナルストーリーとなっている。そのためジブリ版が甘酸っぱい前向き青春映画だったのに対して、実写映画版は「あの頃」を懐かしみながら「今」の悩みに直面するセンチメンタルな映画になっており、明確な差別化が測られている。

 

以下ネタバレ

 

 

  • 「あの頃」と「今」の対比

その差別化の意図はオープニングから明らかだった。ジブリ版ではスタジオジブリ製作のアニメ映画としては珍しい夜景から始まり、『カントリーロード』のイントロが流れる。このオープニングからはこれから中学生の雫に起きる開かれた未来の可能性へのワクワクを感じさせる。一方で実写映画版ではまず中学時代「何年かかるか分からないけどまたここにこよう」と雫と聖司が約束した高台のシーンを軽く流した後に、大人になった雫が未開封の小説の選考結果を手に1人約束の高台で「いま 私の 願いごとが かなうならば 翼がほしい」と『翼をください』を口ずさむシーンから始まる。これは中学時代の「あの頃」、未来に夢を見て大事な人と一緒に歌った音楽を未だ夢を叶えることなく大人になった雫が1人で歌う対比構造故に「『あの頃』は開かれていた雫の未来への可能性が閉じ始めている」ことを暗示する哀愁漂うシーンとなっている。「あの頃」と「今」の歌詞に対する切実さが大きく異なるのも涙を誘うポイントだ。

実写映画版はオープニングに示された通り、雫の中学時代の「あの頃」と大人になった「今」を対比させながら物語を進めていく。物語前半はこの対比構造によって中学時代は未来への可能性が開かれていた「あの頃」の場所が「今」では「思い出の場所」でしかなく「今の悩みの答えを教えてくれる場所ではない」ことを示す中々辛い描写となっている。特に傘を忘れた雫の図書館帰りの雨の日の描写は中学時代の「あの頃」は天沢聖司が相合傘をしてくれたのに対して「今」は1人ずぶ濡れで帰るしかないという「『どうしよう』って相談したい相手は遠くに居て会いたい時に会えない」という辛い現実を示す見事な対比になっていたように思う。

 

 

  • 『翼をください』でシンクロ、水の色は…

雫の中学時代の「あの頃」と大人になった「今」の対比が初めてシンクロするのは「分かってるけど分からないんだよ、自分がどうすればいいか」と悩んだ末に有給休暇を取ってイタリアに向かい、天沢聖司と『翼をください』のデュエットをするシーン。天沢聖司は雫の「夢を諦めるか悩んでいる」という相談に対して「『翼をください』を歌えば分かるかも」と提案したように「子供の時 夢見たこと 今も同じ 夢に見ている」という歌詞の如く雫の「あの頃」と「今」が一致して彼女はスッキリした気分になる。そして雫は「違う世界に生きている」と思っていた天沢聖司も雫同様に悩み、そして自身の気持ちが軽くなった『翼をください』のデュエットによって彼もまた「音楽が楽しい気持ち」を思い出して前向きになったことを知り、自身も再び小説を書くことを決める。中学時代同様に雫の気持ちを動かすのはやはり天沢聖司であり、その逆もまた然りというのが熱い。一方で本作では雫の変化が天沢聖司との2人のやり取りのみという閉じた展開ではなく、職場の同僚や担当編集をしていた小説家など様々な人に揉まれた末の変化という形を取っている。そのため地球屋のおじいさんが言っていた通り、大人になった雫の心の中の水は中学時代の「青」から「オレンジ」へと変化をしていたのだ。

 

※「あの頃」と「今」がシンクロする歌詞という点で実写映画版が『翼をください』を劇中歌にした意味がシッカリと表れていたのが好感度高かった

 

※水に雫が落ちる描写はジブリ版では再現されていなかった原作リスペクト

 

 

  • 最後に…

クライマックスで大人の天沢聖司が自転車を漕ぎ出した時は「まさかそこまでやるのか!」と思わず苦笑いしたが、構造的にはやはりそこまでやらないと『耳をすませば』ではない。繰り返しになるが、本作は「あの頃」と「今」を対比させる構造にしたことでジブリ版との差別化かつ尚且つ原作及びジブリ版への観客の「思い出補正」も上手く利用する、あまり他に見ないタイプの作品に仕上がっていたような思う。正直、原作及びジブリ版に思い入れのない、本作が初『耳をすませば』という人にはどの程度受け入れられるかは不明だが、自分にとっては製作陣が意図する「こんな時代だからこそのヒーリング映画」になっていたように感じた。

 

  • 関連記事

mjwr9620.hatenablog.jp

mjwr9620.hatenablog.jp